Office-11勘違い

『私……もっと好きな人が出来たんです』



 ちゃんと真っ直ぐ彼を見て言った。

 あわよくば気持ちが伝わればいいとも思った。

 だから、恥ずかしさに負けてやっぱり誤魔化しちゃおうとする弱い自分を精一杯、精一杯押さえ付けた。

 彼は一瞬真顔になったから、次の言葉も言ってしまおうかと、『倉科さんのことです』と続けてしまおうかと、それくらいの気分になっていた。


 ――それなのに。


『そっかそっか。良かったな』


 彼は腕を組んだまま頷きニカッと笑った。



『……はい。た、橘さんのことなんか遥か彼方に忘れてました!あは、あはははは』

『さ、コレやっつけちゃいましょう!!』



 ――彼は


 急にお喋りになった私をどう思っただろう。


『よし、今日はここまでにするかー』

『倉科さん、いつもいつも面倒かけてすいません!!』


 時代劇で殿様にやるみたいに……大袈裟に、深々と頭を下げた私。


『ぷはっ、なんだそれ』


 ちょうど烏龍茶を一口含んだばかりの彼は吹き出しそうになり、慌てて左手の甲で口を隠す。

 無意識に広げられた彼の広い胸に、またドキドキしてしまう自分がいて咄嗟にもう一度頭を下げた。


『お、お疲れ様でした!!』

『お疲れさん』

『ではでは、私はこれで失礼いたしますっ!!』

『あ、麻生?ちょっ、麻生!』


 呼び止められたような気がしたけれど、倉科さんの顔は見れなかった。

 急にお喋りになっただけじゃない。

 わざと笑いを誘うような、宴会芸みたいな喋り方をした私に……気がついてくれましたか。



 コートを取りに入った更衣室は真っ暗で不気味なほどシーンとしていた。

 お化けが見えたことなんてないのに怖がりな私は、こういうの本当は苦手なんだけど……今は何とも思わなかった。


 パチパチと事務的に灯りをつけ、ロッカーの内鏡に映る自分の顔を見た。

 誤魔化して大笑いし過ぎたせいか、マスカラの黒い色が目尻に付いて酷い顔。

 朝は似合ってると思った新作の口紅の色も、今はほとんど落ちている。

 恋するリップだなんて謳い文句にやられた自分がバカみたい。


 すごく優しいから期待してた。

 もしかしたら特別なのかなって。


「……アウト……オブ……眼中」


 企画室の新人が他にもいたら、彼はその子にもキーホルダーとか買ってきちゃうのかも。

 仕事が出来て、面倒見がいいだけ。

 スマートなフォローに他の理由なんてないのかもしれない。


 それなのに勘違いして告白の一歩手前まで行ってしまった。


 なんてバカなこと。

 勘違いも甚だしい。


 いくら自分を磨いたって、いくら頑張ったって、それが彼のアンテナに触れないんじゃ意味がない。


「圏外じゃ……声だって届かないよ」


 次々と沸き上がる複雑な感情。

 それは徐々に自分を守ろうする。


「……勘違い……させないでよ」


 そうよ、私じゃなくたって勘違いするよ。

 あんな風に優しくされたら、頭をポンだなんてされたら普通……普通は……


「普通は……」


 私が嬉しいと思わなければ、すぐにセクハラで訴えられちゃうようなことなんだから……


『泣かずによく頑張りました』

『いつも頑張ってるから、特別!』


 特別じゃないくせに、特別扱いしないでよ……


「……好きになっちゃったのに」


 ファンデーションを塗れば塗るほど、隠そうとすればするほどどんどん変になる。

 ここで泣くものかと思えば思うほど、目に熱いものが込み上げた。


 涙が零れないように上を向いたまま少し屈み、伸ばした手でロッカーに置いてある鞄の中からハンカチを探る。


 ――ゴトッ!!


 ハンカチと一緒に引っ張り出してしまった携帯電話が足元に落ち、静かな更衣室に大きな音が響いた。

 いきなりの音に驚き、少し引っ込んだ涙。


「……びっくりさせないでよ」


 そう呟いて、携帯に手を伸ばした時だった。


 床でブルブルと震えながら、携帯画面が表示した名前。


 ――倉科 奏――


 しゃがんだまま少し躊躇ったが、彼からの着信を拒める筈もない私はそれを手に取り、ゆっくり通話ボタンをスライドさせた。


「……倉科さん」

『麻生?今どこ?』

「更衣室ですけど……」

『あ、良かった』

「なにが……」

『会社の横に車停めて待ってるから』


 望みが薄いと知った直後なのに、声を聞くとやっぱり嬉しくて……


『送ってくから降りといで』


 やっぱりバカかもしれないと思いながらも、そのペラペラな望みに懸けたいと、急いでその場を飛び出してしまう私がそこにいた。

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