72.蛾




 ──二日目、早朝。


 あたしはこの謎の異空間っぽくなった湘南の街を軽く見回っている。


「と言っても、あんまアイツから離れてはいられないっぽいけどねー」


 傴品うしなの容態はビミョーだ。

 あたしの所感だと、流石に生命に別状はないと思うが、まあ安静にしておくべきだろう。

 現在の湘南の状況は、正直言ってかなり悪い。

 昨日、外界から隔絶されたと同時に電気や電波も遮断されたっぽいのだ。

 この真夏の日本での停電は、まあかなり地獄である。暑い。洒落にならない。

 死神グリムであるあたしなら『暑い』と思ってそこで終わりだが、他の人間はそうはいくまい。扇風機もエアコンも無しはかなりしんどい、つーか普通に生命に関わる。

 が。

 まだ時間にすれば一日も経ってはいない。

 少なくとも今はまだそこまで致命的な状態というワケではない──


 ──ガシャアアアン。


 ──筈だった。


「………………」


 ビルの屋上から見下ろした街の様子は酷いものだった。

 一般人達が散々に争い、飲食店等の食料品を扱う店が荒らされている。


「展開が早い…………」


 こういうのはせめて二、三日は経ってからおこるものだろうに。

 とどのつまり、湘南の街は既に世紀末な雰囲気を漂わせていたのだった。

 死神グリムがどうこうするまでもなく、水や食料を求めての争いが頻発している。


「…………いや、どうこうはしてるのか」


 この閉鎖環境は言うまでもなく死神グリムの仕業だし──も、だ。

 生憎にして残念ながら、一般人達の諍いを止める気も手段もあたしにはない。

 そんな事に腐心するぐらいなら、この状況を作り出している死神グリムを探してぶちのめす方がずっといい。

 そんな風に考えながら、あたしは傴品うしなのいる建物の一室へと戻った。


「うーい、元気ー?」


「この状況で元気になれるわけないでしょう…………なーんでラブホテルなんですかどういうチョイスですか念の為言っときますがアタシはヘテロですよ」


「アホな想像してんじゃないっての。単に人が居なくて寝泊まり出来る場所をチョイスしただけだっつの」


 他に人がいたらどんな面倒臭い事態に発展するかわかったもんじゃないからね。


「つっても起き上がってるし喋れてるじゃん。だいぶマシにはなってるんじゃない?」


「まあそれはそうですけどね…………あなたに言われた通り偏在率を意識的に下げればだいぶ楽になった感じです」


「偏在率の高さは泡沫の空オムニアでの影響力の高さ──高ければ高いほど死神グリムへ与える力は増えるけど、逆に死神グリムから与えられる力も増えるからねー。低くしとけば【死因デスペア】の影響も最小限には抑えられる」


 もちろん、それはあくまでというだけだけど。

 無効には出来ないし、ぶっちゃけいくら抑えたところで生命を奪うには充分すぎるのが死神グリムの力だ──大半の死神グリムは基本的にはオーバースペックもいいところなのだから。それが神話級ミソロジークラスともなれば尚更。【死因デスペア】だの【死業デスグラシア】だのなんてものは、はっきり言って蝋燭の火を消すのに消防車を使うような過剰っぷりである。


「…………でも、死神グリムの場合は偏在率がいくら高くてもデメリットらしきものは感じられないんですが」


「そりゃー死神グリムはハナから泡沫の空オムニア側の存在だもん。死神グリムにとっての偏在率は単純に存在の強度と規模を表す数値だよ。高くて困るこたーない。受ける悪影響が大きくなったとしても自分の強度も上がってるならプラマイ0だしね」


「なんで人間だけデメリット背負わなきゃなんないんですか……」


「そりゃ肉体っていうリミッターがあるから、しゃーない」


 偏在率が上がれば良くも悪くも泡沫の空オムニア内における強度や影響力が大きくなる、というのは人間も死神グリムも共通だが。

 肉体を持つ人間には偏在率100%の壁は物理的に越えられないし、強度だって限界がある。

 分かりやすくいうなら、死神グリム偏在率レベルが上がるほど全能力ステータスがくまなく上がっていくが、人間は偏在率レベル99で頭打ちレベルキャップ。加えていくら偏在率レベルを上げても生命HPは固定、みたいな感じ(ゲーム脳)。


「理不尽…………」


「そりゃー理不尽な事してるんだから当然でしょ。に抗ってんだよ? あんたらは」


「…………死が理不尽なんですかね? 死に抗う事が理不尽なんですかね?」


「知らない。どっちもじゃないの? いーから寝ときなって」


「寝れません…………暑いのもありますけどそれ以上に、お腹が減って、喉が渇いて…………」


「あっそ。だろうねぇ、だから街があんな感じになってんでしょ。まだ一日も経ってないってのに、みんな飢餓状態の一歩手前。その結果食料飲料を巡っての大騒ぎになってる」


「それはつまり、昨日言ってた通りの──【餓死がし】の【死因デスペア】の影響って、事ですか?」


「んー、微妙? 【死因デスペア】の影響をモロに受けたらソッコー死ぬからね、普通。腹減った喉渇いた程度で済んでるってことなら、そうだね、【死因デスペア】のがするってトコじゃない?」


「か、香り、ですか…………」


「ただ、【餓死がし】の【死因デスペア】の気配は街を見た限りだとそこまで感じなかったかなぁ…………どっちかと言えば【病死びょうし】──【澱みの聖者クランクハイト】の置き土産の影響が大きいんだと思うね」


 例の、【病死びょうし】の【死因デスペア】に侵された屍人達。

 【病死びょうし】によって感染していきながら、【餓死がし】によって餓えていたあの連中。

 あれら程【死因デスペア】に染まってはいなかったが、今街にいる一般人達からはあれらの延長線上にありそうな気配が漂っていた。


「あれ、どういう事なんです? 【病死びょうし】だから拡がっていくってのはわかるんですが、なんで一緒に【餓死がし】もくっついてるんでしょう?」


「いや、くっついてるワケじゃないと思う。あれから何体か見てみたけどね。【病死びょうし】の効果によって【餓死がし】に追い込んでるんだと思うよ」


「はい? 【病死びょうし】で【餓死がし】させる?」


「うん。未だに動いてる屍人達をちょっと触ってみたんだけどさ」


「はぇっ!?」


 目を剥いて驚く傴品うしな。まあ無理もないか。


「あ、大丈夫大丈夫。もう接触感染はしないっぽい。少なくとも死神グリムには」


「な、なんか悪影響あったらどうするつもひだったんですか」


「まあそんときゃ最悪触った手ェ切り落とせばセーフかなーって。どうせ戻るし」


「………………」


 ドン引きした顔だが、まあ別にどうでもいい。今更だ。


「とにかく、触った感じね。やたら体温高かったんだよねー。異様な程に」


「はあ…………それが何か?」


「つまりね。代謝が無茶苦茶に活性化されてたんだ。恐らくは【病死びょうし】の【死因デスペア】──いや、【澱みの聖者クランクハイト】はもう消えてるから、そのみたいなものかな。とにかくソレの影響で」


「【死因デスペア】の残り香とか…………そんなのあるんです?」


「普通はまず無いよ。たださー。【病死びょうし】っていう体系が厄介っていうかさー、【病死びょうし】は──【死】という結果は消えたけど多分その【やまい】はギリ残ったんだろうね。【死因デスペア】とは言えない、死には至らない程度のモノが。そして被害者に残ったその病はもう死神グリムというシステムの手を離れてるから、【澱みの聖者クランクハイト】という感染源オリジンが消えてもお構い無しにそのまま勝手に拡散していっちゃって湘南全体にまで行き渡ったんじゃないかな。厄介極まりないね」


「やっぱ理不尽です…………いや、だからそれがどうして【餓死がし】に成り代わるワケなんですか」


「言ったでしょ、代謝がスゴいことになってるって。新陳代謝が進めばエネルギーを消費して──必然人体は、


「…………あ」


 傴品うしなは口を空けた間抜けな顔で驚いていた。

 無理もない。


「つまり、【病死びょうし】は下拵えの段階だった──効率良く【餓死がし】の【死因デスペア】を誘発させるためのね。いくら強大な死神グリムとは言えど何の行動も起こさず【死因デスペア】を発動させるなんて出来ない筈だけど…………この隔絶されて認知の狭まった湘南エリア内で、既に【死因デスペア】に至るの状態が出来上がっているとなれば、極論死因デスペア】を発動させる事も不可能じゃない」


 【餓死がし】を司る死神グリムからすれば、今の湘南の人々はまな板の上の鯉もいいとこ。

 【駆り手あたし】で言えば既に全員が車輪に接触しているようなものだ。

 致命的なものではないとは言え既に餓えているなら、それを更に促せばいいだけである。


「…………じゃ、じゃあもう、湘南の人達はいつ【餓死がし】で死んでもおかしくないって事ですか」


「うん。てかもう死人は出てるかも。少なくとも【病死びょうし】の残り香で飢餓状態に追い込まれてる人達はね」


 もちろん全員が残り香に侵されているというワケではないだろうし、大元の【澱みの聖者クランクハイト】は消えてるんだからそこまで酷いことにはならない筈だ──なら。


「この、真夏でインフラの死んだ閉鎖空間っていうシチュエーションがもう殺人的なんだよねぇ…………そこに一部とは言え屍人達や【餓死がし】数歩手前の暴徒達が加わったとくれば、もう役満だよ。治安もクソもないこの状況下で何人が理性を保っていられるもんだか」


「………………えげつないですねぇ」


「ホントにね。【澱みの聖者クランクハイト】によればこのイベントは全三日で、今日が二日目…………この分だと何が起こるかわかったもんじゃないけど碌でもない事が起こることだけはわかるね」


 まーったく、ウンザリする。

 センパイとか、今頃どうしてるかなー。ささっと元凶の死神グリムを刈ってくれたりは──しないかな。しないよな。ゼッテーそんな手際良く出来ないよな、センパイは。


「ま、あんたはさっさと体調戻しな。ほれ、適当に食料持ってきたからさー。ルームサービスのは食べ尽くしちゃったでしょあんた」


「………………」


「うちわで扇いであげよっか? 扇風機も無しじゃしんどいよねー、うんうん」


「…………昨日も言ったでしょ、


「昨日言った事を今日も言う必要ある? まあそれに習ってあたしもリピートするけど、確かにあたしはあんたなんか一番ムカつくし嫌いなタイプだよ」


「なら──」


「けどあたしはあんたと違って人間が出来てるからねー、嫌いなヤツだろうとと思ったら優しくしたげるの。いやーあたしってば聖人だなぁ」


「……………………」


「んな殺意剥き出しにしたってベッドの上じゃあ説得力ないぞー。屈辱だってんならはよコンディション戻せっての」


 ったく。

 らしくない事をしてるなぁ、我ながら。

 ホントなら、こんなのほっぽいて【十と六の涙モルスファルクス】の連中を探しにいくなりセンパイとの合流を図るなりした方がいいんだろうに──




 ──コン、コン、コン、コン。




 と、ドアがノックされた。


「………………」


 誰だ。

 いや、この際それはどうでもいい。

 だ?

 今、ノックだけで全身が粟立った。

 そんなもので推し量れるものなんか何もない筈なのに。

 ドアの向こうにいる存在の埒外っぷりを、否が応でも理解してしまった。

 


傴品うしな、あんたは逃げ──」


 と、即座に振り替えると。




     ベッドは既にもぬけの殻だった。




「………………」


 恩知らずめ!



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