泥梨の淵:初夜




 妹の引き留める声を背に浴びつつ、楠城なんじょう 顕己あらきは後ろ手で家の玄関を音を立てて思い切り閉ざした。

 あからさまに染色した男子にしては長めの髪、着崩した服装、それらを見ればお世辞にも誉めがたい彼の人柄は推し量れる。チンピラとまでは言うまいが学徒として不真面目なのは間違いない、そんな少年が彼だった。

 うんざりだった。何もかもが鬱陶しかった。

 散らついている小雨さえもが癪に障る。

 そんなワケで顕己あらきは行き先など考えず、適当に駆け出して適当に電車に飛び乗り適当に繁華街へと繰り出すのだった。

 不夜なる街、東京の光は闇を蹴散らして煌々と輝いている。

 時間帯は深夜というにはまだ少し早い頃合い。

 同じ年代――中高生の姿もそれ程珍しくはない。

 が、今の顕己あらきの目にはそれらの少年少女達がとにかく腹立たしく、憎たらしいものにしか感じられなかった。

 行く場所なんてある筈もない。

 あまり治安がいいとは言えない街並みの最中を揺蕩うように流れ歩き、彷徨った。

 気がつけば雨を避け、地下街へと降りていく。

 閉鎖空間にて乱反射する酔っ払いの乱痴気騒ぎから逃れるように歩を進める。

 結局、行きつけと言えるゲームセンターの扉を潜って騒音の洪水の中へと飛び込んでいった。

 ゲーム音が縦横無尽に響き渡る中、足早に自販機や両替機が設置されている休憩エリアのベンチへと腰を下ろした。

 ここまで騒音に溢れていると、一周回って静寂と大差ないようにさえ感じられてしまう。

 喉は不思議と乾かない。濁流さながらに流れる音に身を委ねる――


「何ポケーっとしてんだよこんな所で」


「…………お前か。別に呆ける自由ぐらい誰にでもあるだろ」


「あるけどよ。わざわざこんな喧しいトコで黄昏るのはお前ぐらいだぜ」


「下手に静かだと余計なこと考えちまうだろ。何も考えたくないなら煩い位で丁度いいんだ」


「ふーん、耳鳴りでも起こさない程度にしとけよ」


 顕己あらきに語りかける少年は、実のところそこまで深い間柄というわけではない。

 このゲームセンターで度々顔を合わすというだけの仲であり、互いに名前も知らないままの関係であった。


「なんも考えたくねえなら、いいもんやろうか?」


 ポン、と手渡されたのは…………ラムネ菓子、のような何かだった。

 が、この街、この時間帯、この場所を考慮すればソレが何なのかはおおよその察しはつく。


ヤクはやらねぇっつったろこないだも」


「だから俺も違法なのはしねぇって。てかこれ麻薬とかじゃねーし。スマドラみてーなもんだし」


「違法じゃなくても合法でもねぇんだろどうせ。脱法薬、最近流行ってんなぁ。どっかから売人バイヤーが流れてきたのか?」


「さあなぁー? これは貰い物だし、詳しくは知らねぇ。売人バイヤーの噂は聞こえてこないから、どっかのクラブかなんかで先行投資としてバラまいてんじゃね?」


「あーやめろやめろ。下手に邪推して藪蛇はゴメンだ。マジもんの悪人になんざ近寄りたくねぇ。…………で、これ何作用系? コリン?」


「んにゃ、ドーパミン」


 言いながら少年はその錠剤をあっさりの呑み込んだ。


「…………その内ラリって警察にパクられるぞ。まあ俺とは関係ないけどよ」


「いやホントそんなキツいヤツじゃないんだって。他にもキメてる奴いるけど別に変になってたりはしねーし」


踏み石理論ゲートウェイドラッグってやつだろ絶対。そうやってなし崩し的に沼に沈んでくんだっての」


 そんな顕己あらきの忠告などどこ吹く風で少年は薬効に酔いしれる。

 もっとも、顕己あらきの方もそこまで熱を入れて言っているワケではない。

 所詮、他人である。


「…………なんか観客ギャラリー集まって来てるな。何だ?」


 顕己あらきが視線を遣るその先には、ゲームセンターではありふれた光景とも言える人だかりが出来ていた。


「あの位置は…………シューティングの筐体だったか。そんなに上手いヤツがやってるのかね」


「見に行こうぜー。どーせ暇なんだしー」


 何処か抑揚が緩くなった声で言う少年。まあ特にやることがない顕己あらきとしても否やはない。

 人混みをかき分けていくと見えてきたのは、筐体ゲームとしてはメジャーなゾンビもののシューティングゲーム。

 そして――それをプレイする一人の少女だった。

 最大二人用のそのゲームに備えられた二丁のガンコントローラー。それを両手で駆使して少女は実に巧みなプレイをしている。人だかりができるのも納得だった。

 が、その少女が人目を惹くのはそのゲーミングスキルだけではない。どころか観客の多くからすればその技術面は二の次だろう。

 まず、単純にその少女は可憐な容姿をしていたのだ。その辺のアイドルと比較しても遜色ない程だろう。

 加えて、そんな美少女が随分と奇矯なファッションに身を包んでいたのだから、否が応でも気を惹かれる。

 サイケデリックな色彩のショッキングパープルに染め上げたその髪はサイドテールにして纏められ、激しいプレイングによりフリフリと揺さぶられている。

 片目には医療用の眼帯をつけており、遠近が狂うであろうその眼でどうやってゲームのカーソルを合わせているのか甚だ疑問だった。

 上着のジャケットは乱雑に床へと脱ぎ捨てられていて、上半身の衣服は黒のチューブトップのみ。両肩や腰回りは大胆に露出され、それが観衆の目を惹きつけている。

 総じて、まあ、扇情的と言える外観の少女だった。野郎どもの人だかりが出来るのもむべなるかなといった風情だ。


「あの衣装、なんかのコスプレか? どいつもこいつも分かり易いなまったく…………」


「いやアレは見るだろ普通。今日日硬派ぶったってモテねーぞぉ? うっわスゲェ、おっぱい揺れまくりじゃん」


「思春期丸出しかお前は」


「バッカわざわざあんなあざといカッコしてるって事は見せつけたいって事だろ見なきゃ失礼だって」


「都合のいい解釈してんじゃねえ。お前みたいなヤツがいるから男女間の確執が深まってくんだっつうの」


「うっせーなーお前もガン見してる癖に。説得力ないっつーの紳士ぶっても」


「……………………」


 そこでようやく顕己あらきは視線を逸らした。

 お年頃。

 彼も。

 そんな観衆達の煩悩を知ってから知らずか、眼帯の少女のプレイングは佳境を迎えていく。


「いやしかしエロいだけじゃなくてマジで上手いな。何者だろあの子。有名なゲーマーだったりする?」


「知らねえ。見たことねえ」


「んー、あの外見ルックス腕前PSなら絶対評判になると思うんだけどなー…………お、全クリしたよー。てかノーコンテニュー? ヤバいな、一人二役プレイしてたのに」


 偉業と言っていいプレイングを披露した眼帯少女はしかし汗の一つも見せず、ガンコントローラーを華麗に弄びつつ筐体へと収めた。

 周囲からは歓声が上がり、少女は手を振りながら笑顔でそれに応える。

 やがて人混みを割って、歩き出した。

 丁度、顕己あらき達のいる方向へ向かって。


「うおっ、こっちきた! おっしゃ連絡先訊いてこよ」


「勝手に訊いてろ。ゲーセンに出逢い求めてんじゃねぇよ」


 ため息を吐いて自販機へと歩き出す顕己あらき

 相変わらず喉は渇いていなかったが、取り敢えず眠気覚ましにコーヒーを買っておく。


「おっとおにーさん、オレにも一本奢ってちょ」


「あ?」


 振り返る。

 と、そこに件の眼帯少女が立っていた。


「はぁ?」


「だーかぁらぁ。ちょっとジュース奢って♡ 喉渇いてるから、オレ」


「…………いや、自分で買えよ」


「えー、やだ。てか無理。財布持ってないもん」


「はぁ? 何だそのしょーもねぇ嘘。ここゲーセンだぞ。お前さっきアーケードやってたろ。金無いワケねーじゃん」


「その辺の人に奢ってもらったの。ほら、オレってば美少女じゃん? 男の人におねだりしたら大抵のものは貰えるんだよねー」


「あーそー。だが俺はお前に何もやりたくなくなったよ。じゃあな」


 他人を嘗め腐ったその態度は、現在の顕己あらきから見て最も不愉快なものだった。さっさとその場から離れようとする。

 が。


「あー。なあーにさ良識人ぶっちゃってぇー。さっきオレの乳揺れ凝視してたじゃん。その視姦の代金って事で」


「みっみみみっみ視てねーし!? てか自分で乳とか言うな!」


「はいはいそういうのいいから。男のチラ見は女のガン見。これ常識ね。ホレ金払えー」


「他人のポケットまさぐってんな勝手に! 止めろおい!」


「ほい、100円と。あ、諭吉出してくれればもっと見させたげるよー。おさわりは無しだけど」


「初対面の相手に何言ってんだテメーは!!??」


 叫びながらも顕己あらきは動かない。動けない。

 少女の胸部がモロに背中に当たっていたからである。


「当ててんのよ」


「ネタが狭い&古いわ!」


「けどわかってんじゃーん。ケコカケコケコケコカコーーーーラっと」


 ガシャコン、と缶コーラが転がり出て、少女はそれを手にとってプルタブを空ける。


「コーラって容器によって味変わる気がするよねー。瓶ペットボトル缶、全部違う味に感じるよオレは」


「知らねぇよ」


 コーラを口に運びながら、少女は顕己あらきをジットリとした目線で眺めていた。

 品定めのように。


「おにーさん、名前は?」


「何でんなこと言わなきゃなんねんだよ」


「乳圧堪能した料金」


「さっきから当たり屋みたいなマネしてんじゃねぇエロ女!」


「若干前屈みで言っても説得力無いよーチェリーおにーさん」


「ううぅるっせぇ! …………クソ、楠城なんじょう 顕己あらきだ」


 不貞腐れたような声色だが、律儀に答える辺りは生真面目な少年だった。


「ふーん? あらきが名前? 名字みたいな名前だね」


「俺に言われても知るか」


「ふーん、まあいいや。顕己あらきクンね。呼び捨てでいいよね?」


「勝手にしろ。てか何なんだよマジでお前は。俺に何の用も無いだろ」


「そだねー。無いね。まあいいじゃん暇してんだ、オレ。ちょっと今晩付き合ってよ、なんか退屈してそうじゃん?」


「…………付き合ってって何にだよ」


「何にでも、かな? 気負う事ないよ大したことしないから。二つ返事で了承しときなよー、こんな巨乳ガールから逆ナン喰らうなんて人生で最初で最後だよー?」


 巫山戯た態度、韜晦するような笑顔で。

 少女は嗤った。

 可笑しそうに。

 犯しそうに。







「──あひゃ♡」





 ──【泥梨ないりふち】、開幕。

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