25.動く油




「…………はい?」


 引き攣った顔で、儁亦すぐまた 傴品うしなは思わずそんな声を漏らした。


「き、聞き間違いですよね? ひゃくごじゅーいじょーって」


「言い間違えた、って言えればワタシ達も少しは気が楽なんだけどね…………」


 それに憂鬱そうな声色を隠そうともせず答えるのは、彼女の教導役チューターを不本意ながらに押し付けられた弖岸てぎし むすびだった。


「残念だけど事実だよ…………神話級ミソロジークラスって呼ばれてる最上位の死神グリム達は、みんな150%以上の偏在率を誇ってる」


「…………い、いやいや! いやいやいやいや、待ってください! むすびさんて局内でいっちばん偏在率高いんですよね!?」


「あー…………うん。まぁ。一応」


「…………えっ、と。そのむすびさんの、偏在率が、確、か…………」


「…………91.1パー。瞬間的な最高値で、ね」


 自嘲を滲ませた、渇いたような笑みを浮かべながら、むすびはそう言った。


「……………………」


 何とも言えない表情のままに傴品うしなは暫し沈黙し。


「…………無理ゲーじゃないです?」


 と溢した。


「…………まぁ、無理ゲーかもね」


「か、かもねじゃないですって。ど、どどどっどどうすんですか、このままじゃ人類めつぼー待ったなしじゃないんですか」


「んー…………滅亡はしないと思うけどね。多分」


「へ、へぇ? そ、その心は?」


「いや、死神グリムってにおける自浄機構みたいなものらしいからさ…………人類そのものを滅ぼそうとはしないだろう、ってのが見解らしいよ。ぶっちゃけて言えばむしろ人類を護る為のモノ、っていうのが定説なんだってさ」


「はぁ…………人類ぜんたいを護る為に人間こたいを死なせる、ですか…………なんか90年代のSFじみた話ですね。人類補完計画的な」


 傴品うしなのその緊張感なさげな感想が、しかしむすびには冗談に聞こえなかったらしく、むすびはその表情を尚更固くした。


「…………あんま笑えないけどね、その喩えも。あ、あとこの話はあんまり吹聴しない方がいいよ。流石に分かると思うけど、死神グリムは倒すべき人類の怨敵だー、ってのが局内では当たり前の見解だからね。学術的な観点はスルーで。この言だとなんか死神グリムが悪いヤツじゃないって言ってるみたいになるからさ」


「あー…………はい。わ、わかります。やっぱアレですね。局員さん方の基本スタンスは『駆逐してやる!』っていう感じなんですね」


「ま、死神グリムの被害者が多いからね、入局者は。というか入局時点で被害受けてなくても、局員として居る内にいつかは嫌でも被害を受ける事になるから」


「あー、まー、そりゃそうですか。自明の理、ですか…………」


 シュイィィン。

 と、音を立てて目前の自動ドアが開いた。

 少し距離を置いて二人を先導しているのは、灰祓アルバのトップに立つ煦々雨くくさめ 水火みかである。


「…………」


 追従する二人の会話が聞こえているのかいないのか、ともあれ黙して何も語らぬまま、彼女は歩を進める。


「で、その、あのですね。その、神話級ミソロジークラス、っていう死神グリムって、ええっと、倒せた事って、あるんです?」


 不安げな顔色でそう訊ねる傴品うしなむすびは。


「あるよ」


 と、端的に返答した。


「あ、あるんですかぁ。あーよかっ……」


「ここ半世紀で二、三体ぐらいだったと思うけど」


「………………」


 露骨に『選択肢ミスった……』という雰囲気を醸し出す傴品うしなであった。


「あまり新人に後ろ向きな話をするものではありませんよ、弖岸てぎし隊員」


 そこで初めて、煦々雨くくさめが二人の会話に口を挟んだ。


「……後ろ向きだろうと何処向きだろうと事実を伝える事が間違いって事はないでしょう」


「事実真実だけがこの世の全て、というワケではありません…………いえ、この辺りの論法は止めておきましょう。水掛け論ですね」


「…………同感」


 ──『生体認証完了。煦々雨くくさめ局長。同伴者二名。【死囚獄モリスアダムス】へ、ようこそ』


 機械音声が響き、目的地への到着を示す。


「【死囚獄モリスアダムス】、って…………えっと、その、きょくちょーさん。そろそろ、目的というか、説明とか、お願いしたいんですけども…………」


「そうですね。──儁亦すぐまた隊員への要件は二つです。一つは生装リヴァースの支給。ぜん隊長の要望通りの品が完成したとの事なので、後で【探究室マニアクス】へ受け取りに行って下さい。【探究室マニアクス】はこの【死囚獄モリスアダムス】とほぼ併設されているので、距離はありません。弖岸てぎし隊員は案内をお願いします」


「…………了解です。で、の用件はなんです? 厭な予感しかしないんですけども」


「生憎とその予感は的中ですね…………D内部まで儁亦すぐまた隊員に付き添いをお願いします、弖岸てぎし隊員」


「………………あ"ー、マジに言ってます?」


「無論です。貴女の時は私が付き添ったでしょう?」


「……じゃー今回も会長サンが付き添ったらいいんじゃないですかねぇ?」


「局長です。……生憎と私はにあまり好印象を持たれていませんので。貴女はどうやらお気に入りのようですし、色々と都合が良いでしょう」


「…………はー、なんっか面倒事ばっか押し付けられてる気がすんだよねーホント…………勘弁してほしーわマジにさ…………」


 割かし大きめの声で愚痴るむすびだったものの、煦々雨くくさめはまるで意に介さないようだった。

 自動歩道トラベレーターに乗って進む三人。やがて重々しい雰囲気の大きな自動ドアを抜けると、底の見えない吹き抜けの空間に出た。

 円筒状のその広大な空間、中心にはまるで貫く柱のようなエレベーターが直立している。その周囲をまるで吊り橋のような頼りなく感じる歩道が壁面と中央エレベーターを繋いでいた。


「…………こ、ここって、えっと、落ちたら、どうなります?」


 歩道の柵から底の見えない眼下の空間を見下ろし、傴品うしなが訊ねる。


「多分、というかほぼ確実に死ぬからあんま覗き込まない方がいいよ」


「うひぃ!」


 傴品うしなは悲鳴を上げて柵から飛び退いて通路の中心に移動した。

 そのまま中央エレベーターまで辿り着いた三名。その扉の横の操作パネルを煦々雨くくさめが操作する。


弖岸てぎし隊員、儁亦すぐまた隊員の二名をステージDまで。最大三十分の入獄を局長権限にて許可します」


『電子コード、認証。指紋コード、認証。声帯コード、認証。オールクリア。弖岸てぎし三階悌局員、儁亦すぐまた三階悌局員の入獄を限定承認します。』


「はぁ!?」


 煦々雨くくさめの操作と機械音声の認証が終わったかどうかの瞬間に、むすびが驚嘆の声を上げた。


「どういうことですか委員長!」


「局長です。何がですか弖岸てぎし隊員」


「何がも何もないでしょ! なんで今日入局したての新人がワタシと同じ階悌なんです!?」


「えっ、えっ、えっ」


 不満をあからさまにするむすびと、それに困惑するばかりの傴品うしな


「理由は幾つかありますが…………そうですね。一言で言えば適材適所ですよ。即戦力が必要だと言ったでしょう? ですが一階悌の戦闘員を選抜生セレクションにするのでは他の局員にあまり良い影響があるとは思えません。士気に差し障りがあってはなりませんからね。さらに階悌の低いままだと、生装リヴァースの所持、携帯にも制限が強くなってしまいます…………無論規則ですから致し方ありませんが。ともあれ、儁亦すぐまた隊員に迅速な活躍をしてもらうための処置ですよ。【死神災害対策局アルバトロス】への貢献の為の最適解だと思いますが」


「………………なるほど。なるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほど。よくわかりましたこれでもかというほど。で、更に質問を重ねて申し訳ないんですが」


 隠そうともしない怒気を滲ませ、むすびが言う。


「じゃあ! なんでっ! ワタシは一階悌からスタートだったんですかっ!」


頭尾須ずびす隊長からの強い要望があったからです。私は儁亦すぐまた隊員と同じように、早々な高い階悌への特別昇格を推奨しましたが」


「…………へー…………そう……………」


「ひ、ひぃ……」


 感情の失せた顔で、冷えきった声を絞り出すむすび

 その様子に怯え切った悲鳴を漏らす傴品うしな


「…………念の為に言っておきますが、頭尾須ずびす隊長なりの考えあっての事だと思いますよ」


「そーですかー。そーですねー。えーそーでしょーともー。はいはいわかってますよー」


 およそ上司の上司のそのまた上司に対する態度ではなかったが、煦々雨くくさめはさして気にする様子もなく二人に語りかける。


「では、このままエレベーターに乗ってください。エレベーターを降りた瞬間から経過時間のカウントが始まりますので、三十分以内に面会を済ませて再びエレベーターに戻るように。時間をオーバーしてしまうと異常有りと判断され階層ステージごと完全封鎖されますので。対象の監視と警戒は絶えず続いておりますが、決して気を抜かぬよう」


「は、はい? えっと、面会って、その」


「わかってますよー。ったく、んなヤバいのになんでわざわざ会いにいかなきゃ…………いや理由はそりゃわかってるけど…………」


「では両隊員、よろしくお願いします」


 ピ、とタッチパネルを煦々雨くくさめが操作し、エレベーターが稼働する。

 困惑したままの傴品うしなと億劫そうな態度のむすびを乗せ、やがてエレベーターは下層へと向かって降下し始めた。


「ふぅ…………あ、傴品うしな。最下層まではちょっと時間かかるから楽にしてていいよ」


 エレベーター内の壁に凭れかかりながらそういうむすびだったが、傴品うしなは当然楽にするような余裕などなく。


「いやいやいやいや楽にって言われてもそもそも何がなんなんだかえっといやだからあのだいたいそもそもここってここってあうあうえうあえええっと──【死囚獄モリスアダムス】、でし、たっけ?」


「うん、そーだけど?」


「そ、そーだけどじゃなくてですねぇ。なんなんですかここ? えっと、その、会話とか雰囲気的に、は、あー…………監、獄…………?」


「ん、わかってんじゃんさ──そ、監獄。死神グリムを捕らえて閉じ込める、ね」


 肩を竦めながら、むすびはそう答えた。


「…………えっと、出来るんですか? 死神グリムを捕まえる、なんて…………」


「一応出来る、らしいよ? ワタシは捕まえた事とかないけど、捕獲班みたいなのがいるらしくてね…………【聖生讃歌隊マクロビオテス】にも捕獲特化の隊があるし。第八隊バレンワート──氏管うじくだ隊長の隊だね。…………ワタシはあの人好きくないけどさ。ぶっちゃけ苦手だね」


「ええっと、でも、捕まえるのとか…………死神グリムってそんな事が出来るような相手なんです? 捕まえるのなんてただやっつけるのよりずっと困難でしょう」


「へえぇ、わかったような事いうじゃん。ぜんさんに鍛えられただけあって、死神グリムの怖さは承知済みって事かな?」


「え、あ、いや、ほら、ポケモンとかも倒すより捕まえる方がめんどいですし」


「……………………」


 むすびは何も言わぬまま天を──いや、エレベーターの天井を──仰いだ。


「あのー、むすびさん?」


「………………」


「ええっとー。あのー…………」


「……………………」


「そのー…………もしもしー…………」


「………………………………」


 その後、エレベーターが停止するまでむすびは沈黙を貫いたのだった。


 やがて、ポーン、という無機質な音が響き、扉が開いた。


『最下層、ステージDに到着しました。承認滞在時間は、三十分です。』


「…………んじゃ行くよ、傴品うしな。ちゃっちゃと終わらせよ、こんな陰気な仕事…………」


「い、いやー、いえー、アタシまだ何が何だかといいますかですね」


「迷わず行けよ、行けばわかるさ」


「えっ、何故に猪木?」


「んにゃ、正しくは清沢哲夫だよ」


 そんな緊張感のないやり取りをしながら、幾重にも幾重にも閉ざされた重厚な扉を二人は越えて行く。

 やがて、大銀行の金庫もかくやという巨大な鉄扉を抜けた、その先に──






 は、辛うじて存在していた。






『──やーあ、むすびじゃあないか。もう来たのかい。気が早いなぁ、つい先週来たところじゃなかったかい? あ、いや、先月だったか? いやいやいや、前年だった気もするな。何にせよ再開できて何よりだ、今日は実によい日和──だったりするのかな?』


「…………前に来たのは二ヶ月と半月前だよ。あと今日は若干曇り気味で、もう日は落ちてる頃だから」


『ははぁ、そりゃ残念というかなんというか。いや、まぁその辺は許してくれよ、わかるだろう? なんせこんな地の底の、そのまた奥の奥の奥に閉じ込められちまってんだからさ。時間感覚なんざ爪の先程も残っちゃいないんだ。連中もつくづく臆病な事だ──こんな虫の息以下の消し炭みたいな搾り滓、どこに怖がる要素があるってんだろうねぇ? ──【鳳凰機関】だなんて御大層な名前が咽び泣いてるよ、まったく』


「…………それには微塵も同意できないかな。畏れて当然でしょ、あんたみたいなの…………まぁ確かに、こんな風にただ閉じ込めるぐらいなら、とっとと殺しちゃえばいいのにとは思わなくもないけど」


『あっはっは、そりゃド正論だけどもそれをいうのは酷ってもんだよむすび。連中はそんなこと百年単位で試み続けてきたんだから──ははっ。結果、諦めてこうしてただ見て見ぬフリをし続けてるってのが現況なワケなんだけどもさ…………ま、前置きはこの辺にしといてさ、むすび


 ソレは話を一旦切り、むすびの背後へと目をやる。


『──ソレ、なんだい? 初めて見る顔だなぁ。そりゃあの煦々雨くくさめ鬼子おにごが来るよか些か気が楽だけどもさ』


「…………って訊きたいのは──」


 表情はおろか、感情も、血の気すら失せた顔色で。

 儁亦すぐまた 傴品うしなは、辛うじて声を上げる。


「絶対に、アタシの方だと思うんですが」


『──ハッ、ハハッ! また面白い子を連れてきてくれたなぁ…………初対面で私にまともに口を利いた人間は、それこそ水火みか以来だ…………そこにいるむすびだって最初は反吐ぶちまけて逃げ出そうとしたってのに』


「………………」


「…………あー、吐いていいなら吐きますけどね。エチケット袋とかないです?」


『ふ、くくくくっ…………いやぁ、残念ながら無いねぇ。確かに不親切だな、水火みかに言っておくといいよ』


「…………いや、それより…………質問には答えてもらえませんかね? あなた…………?」


 むすび傴品うしなの目前に在ったのは──水溶液で満たされた、巨大な水槽のようなもの。

 分厚いガラス面を隔てた、その先に在ったのは──











 ──水溶液の中にふよふよと浮かぶ。






 少女の頭部、だった。






 顔面のその半分は、焼け爛れ。


 灰色のその長髪は、みすぼらしく漂うのみ。


 首の下から胴体は存在しない──が、何故故か脊髄だけは欠損しないままに残っている。






『──私は、死神グリムだ』






 その死神グリムは。


 醜く歪んだその顔で、それでも尚愛らしく──微笑んだ。




『もう百年以上、ここで揺蕩っている──神話級ミソロジークラスの恥さらしだよ』




 それは、或いはどの死神グリムよりもこの上なく──光景とさえ言えるような。











『──【灰被りシンデレラ】、と呼んでくれたまえ』



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