第11章 手 紙
ⅰ
◆ 須藤 典子から 灯里への手紙
北川さん、お元気ですか。
引っ越しをされたとかで、この手紙があなたの元へ届くかどうかわからないけど、どうしても伝えなければならない気持ちが抑えきれなくて書いています。
まず最初に、ごめんなさい。謝っても許してもらえるかわからないけれど、本当に申し訳なく思っています。
北川さんのお家にご不幸があって、忌引をされている間、私は教務課に女性一人で心もとなさそうにしている仁科さんを誘ってお昼を食べるようになりました。北川さんがまた大学に来られるようになっても、体調がすぐれなさそうだったから、仁科さんとのお昼が続いていたのは知っての通りです。
仁科さんは本当にお嬢さんで、なんだか放っておけない不器用なところがあって、私だけでなく学生課の近藤さんや中田さんも、年の離れた妹のように可愛がっていました。高橋さんだけは、あまり彼女とソリが合わなかったみたいだけど。
年も改まったある日、いつものように仁科さんとお昼を食べていると、突然彼女がこんなことを言いだしたのです。
「なんだか北川さんって、男性関係が派手らしいですよ」
同じ教務課で、北川さんと仁科さんは仲が良いと思っていた私や近藤さん、中田さんは最初驚きました。
「なんでそんなことを言うの?確証もないのに、滅多なことを言ってはダメよ」
と、
最初こそ信じていなかった私ですが、北川さんが密かに次に狙っている相手として高橋さんの名前を出されたときには、訳のわからない嫉妬で眼の前が真っ暗になりました。
高橋さんが北川さんをモデルに写真展で賞を取ったときから、どんなにいままで通りあなたに接しようと思っても、どうしてもできない自分がいて、そんな自分を正当化するチャンスだと思ったのかもしれません。
私は仁科さんに便乗するように、近藤さんや中田さんに、北川さんがうちの大学の院生にまでちょっかいを出しているらしいと言いふらすようになっていました。高橋さんにまでそう言ったとき、彼は何も言わず酷く冷たい目で私を見て、さらにヤケになってしまったんです。みんな北川さんに
いま思えば、何と愚かで滑稽なことでしょう。恥ずかしくて、あのときの自分を蹴り飛ばしてやりたいくらいです。
そして4月になって次長から、「実は北川さんは3月末日で契約切れとなった」と訊かされたとき、私は初めて正気に戻ったのです。
自分は、なんてことをしてしまったんだろう。根も葉もない噂を信じて、さらに尾ひれをつけて流して、なんの
高橋さんも、近藤さんも、中田さんも、唖然としていました。そこまで大事になるとは、誰一人、予想していなかったからです。
でも、仁科さんを責めることはできません。なぜなら、私も同罪だからです。
私は高橋さんたちと話し合って、次長になんとかいまからでも契約を継続してもらうことはできないかとお願いしました。けれども次長の返事は「もう、あの噂は理事の耳にまで入っているから、無理だ」という冷たいものでした。
北川さん、本当に本当にごめんなさい。あなたは、いま、どうしているのでしょう?新しい仕事をしているのでしょうか?良き仕事仲間に囲まれて、新しい環境と住まいで心機一転、頑張っているのだといいのだけれど。
もしも、もしも、そうでないなら私にできることは何かありますか?高橋さんや近藤さん、中田さんも同じ気持ちです。一緒に旅行にまで言った仲間を、信じて守ってあげられなかったことを、私たちはとても後悔しています。
なぜ、あんなに優しくて控え目で賢いあなたに、何もしてあげられなかったのか。
それと、仁科さんのその後についてもお知らせしておきます。知りたくはないかもしれないけれど、あなたには知る権利があると思うからです。
彼女は、春学期いっぱいで結婚退社しました。お相手は、お父様の会社関係の優秀な方だそうです。お家もお金持ちだとかで、「結婚式には有名な政治家やビッグネームの歌手、俳優なども参列するから、ぜひいらして」と言われましたが、みんな分不相応だからと遠慮させていただきました。新婚旅行はヨーロッパ周遊、新居は都内の高級マンション、通いのお手伝いさんとシェフがいるそうです。
私たちとは、かけ離れた世界で生きている方だったんですね。
そして
仁科さんに関して、私たちは事実をそのまま受け止めています。それについて、何を言う気にもなれないからです。
北川さん、あなたは本当に真っ直ぐで、気持ちのいい人でした。そんなあなたと、ほんの少しの間でも同僚でいられたことを、私たちは嬉しく思っています。そして、あなたがいま、幸せに新しい人生を歩んでいることを願ってやみません。
北川灯里さん。
ごめんなさい、そしてありがとう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます