「これ、自分でつくってみたんです」

 そう言いながら、由紀子がお弁当の中身を灯里に見せる。いつものように彩りよく並んだ由紀子のお弁当の今日の中身は、シャンピニオンのサラダ、クネル(洋風すり身団子)のベーコン巻、アスパラガスのグラタン、そしてクロワッサンだ。

「凄い、よくできてる」

 初めてとは思えない出来に、灯里は素直にそう褒めた。

「でも」

 と由紀子が言う。

「シャンピニオンのサラダは用意されたものを和えただけだし、クネルは缶詰から出してシェフが言う通りにベーコンで巻いたら焼いてくれたし、アスパラガスのグラタンは時間がなくてシェフがつくってくれました」

 正直にそう申告する由紀子に好感を抱きながら、灯里は言った。

「初めてだもの、十分頑張ってる。少しずつでいいと思うよ」

 灯里の励ましに由紀子はえくぼを浮かべて嬉しそうに笑い、それがまた繭里を思い出させる。


「でも」

 と灯里は少し可笑しそうに続けた。

「仁科さん家のシェフは、何料理が専門なの?」

「フランス料理が専門で、イタリアンもできるみたいです」

「じゃあ、お家ではいつも洋食?」

「はぁ、母が好きなので」

「仁科さんは?」

「私も好きです」

「それ、小さい頃から?」

「そう…ですけど」

 味覚は記憶だと灯里は思う。幼い頃から食べ親しんできた味が、おいしいと思う基準をつくりあげる。

「中華とか、日本料理は食べないの?」

「そんなことないです。中華も日本料理も、よく行くお店があります」

 そう答えて、由紀子はあらためて灯里のお弁当をまじまじと覗き込んだ。

「やだ、あまり見ないで。仁科さんのに比べたら、庶民で恥ずかしいから」

 しかし由紀子は、まるでめずらしいものでも見るように訊ねてきた。

「それ、なんですか?」

「炒り豆腐」

「へー、じゃ、こっちは?」

「もやしとほうれん草のおかか和え」

「それは?」

「ナスの豚肉巻」

 答えながら灯里は、なんだか恥ずかしく、可笑しくなった。

「超和風でしょ?それに安上がり」

「そうなんですか?」

「うん。独り暮らしだから、やりくりしないと」

「やりくり?」

「そう、節約できるところは節約しないと、ね」

 やりくりとか、節約とか、由紀子が生きてきた世界にはない発想だろうなと思いながらも灯里は言った。



 ✵ ✵ ✵


 お弁当を食べ終わると、由紀子は灯里に「ちょっと売店に」と言って席を立った。売店は学食に併設されていて、文房具からテッシュや歯ブラシセットなどの日用品、菓子、弁当、飲み物などが買える小規模なコンビニエンスストアのようなものだ。

 そこでのど飴を買って、由紀子は学食の中をゆっくりと巡り、メニューをあらためてよく見た。

 日替わりのAランチにBランチ、うどんやラーメン、カレーなどの定番メニュー…。由紀子の大学の学食にも同じようなメニューはあったが、女子大だっただけにもう少し見た目が可愛らしかったように思う。それに大学入試で入学してきた学生たちと違って、由紀子たちエスカレータ式の友人たちはあまり学食を利用せず、近くの洒落たカフェやレストランで食事するのが常だった。


 今日のAランチのサンプルをまじまじと見ていると、後ろから声を掛けられた。

「どうしたの?お昼、これから?」

 驚いて振り向くと、食べ終わったトレイを持つ星奈だった。そしてその横に、今日も柊の姿。

「あ、いえっ。お昼はお弁当で…。もう、終わって…」

 しどろもどろに言う由紀子に、星奈らしい質問が飛ぶ。

「お弁当足りなかったの?今日のAランチは、おいしいよ」

「今日の、じゃなくて、今日もだろ。それに、お弁当足りないからってAランチも食べようなんて発想は、星奈くらいだよ」

 柊が可笑しそうにそう言う。その笑顔が、由紀子には眩しい。

「え~、そんなことないよねぇ?」

 と問われても「はい」とは言えず、由紀子はもじもじする。

 さらに柊は可笑しそうに笑うと、由紀子に言った。

「職員の人たちはあまり学食利用しないと思うけど、ここ安くておいしいから一度食べてみるといいよ」


 確かに、ご飯にお味噌汁、ほうれん草のお浸しに中華風肉だんごがセットになったAランチが、ワンコイン以下というのは由紀子にとっては驚きを通り越して衝撃である。

 明らかにAランチとわかる星奈と並ぶ柊が持っているトレイをそっと覗くと、今日はカレーを食べたようだ。

「カレー、お好きなんですか?」

 思わずそう訊いていた。

「うん?あぁ、好きだよ」

 そう答える柊に、星奈が言う。

「柊ったら、週に一度はカレーだよね。あとはお蕎麦とか、そんなんでお腹空かないの?」

「そう言う星奈は、ほぼ毎日Aランチだろ。肉食獣かよ、今日はもうおにぎり買うの止めとけよ」

「え~、だって夕方になると小腹が空くんだもの」

 仲がよさそうなふたりの会話を羨ましく思いながら、由紀子はさらに訊いた。

「カ、カレーのほかに…好きなものは?」

 星奈と柊がちょっと驚いたような眼で見たので、すぐに由紀子は自分の愚かな勇気を後悔した。

「あ、す、すみません。…私、じゃ、行きます」

 そう逃げるようにして、由紀子は学食を小走りで後にした。


 

 そして。

 その日の帰りに再び遠回りして大学院の研究棟を通った由紀子は、偶然にも再び柊に会った。

「いま帰り?お疲れさまです」

 と言う柊に、昼間の失態を思い出して顔を赤くした由紀子は訊き取れないほどの声で「お疲れさまです」と言うと、顔も合わせられないまま通り過ぎた。

 そしてその背中に、明るい柊の声を訊いた。

「和食、て言うか普通の家庭料理かな、好きなもの」

 思わず由紀子は立ち止まった。

 教えてくれたんだ、好きなもの。なんて優しい人なんだろう。

 感動で思わず涙ぐみそうになりながら振り向いた先に、もう柊の姿はなかった。…なかったけれど、由紀子は幸せだった。


 和食…家庭料理…つくったことがないもの。

 家庭料理って、やっぱり肉じゃがとか?

 それと、あの仲の良い、いつも一緒の星奈と言う女性は、まさか彼女じゃないよね?

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