ⅵ
中学2年生になった秋、県内トップの高校への進学を目指す柊は、受験勉強に没頭することで余計な諸々を忘れようとしていた。
昼御飯を家族で食べて、1時間ほど休憩したらまた勉強しようと思っていたところへ、来客を告げるインターホンが鳴った。インターホンの子機を取った母の瞳が言う。
「あら、繭里ちゃん」
繭里?なんだろう、と柊は思った。
瞳が玄関で、繭里と何か話している。
「柊」
と母に呼ばれて、柊は繭里の来ている玄関へ行った。
「どうしたの?」
「あ、柊ちゃん。あのね、これ」
と繭里が小さな箱を差し出す。
「何、これ?」
「カップケーキ」
「カップケーキ?」
「うん。調理部の仲間でつくったの」
「僕に?」
「うん」
「ありがとう」
「柊、入ってもらったら?」
と瞳が言う。
「あ、そうだね。繭里、お茶飲んできな。一緒に食べようよ、カップケーキ」
「いいの?勉強の邪魔じゃない?」
と繭里が眼を輝かせる。その姿を見て、本当に繭里は正直で無邪気だな、と柊は思いながら頷いた。
「おじさん、お邪魔します」
とダイニングに入ってきた繭里が、リビングのソファに座ってテレビを見ている父の健に挨拶する。
「ああ。繭里ちゃん、いらっしゃい」
幼い頃から知っている娘のような繭里に、父が相好を崩す。
「繭里ちゃん、紅茶でいい?」
「はい」
繭里がミルクをたっぷり入れた紅茶を好きなのも、瞳はよく知っている。
「柊ちゃん、開けてみて」
と繭里がカップケーキの箱を柊の前に押し出す。柊が開けてみると、デコレーションがそれぞれ異なる5個のカップケーキが入っていた。
「あら、可愛い。みんな、飾りが違うのね」
瞳が覗き込みながら言う。
「ねえ、柊ちゃん、どれが好き?」
繭里が悪戯っぽい眼になって、柊に訊く。
「え…どれも、おいしそうだよ」
質問と繭里の表情の意図をくみ取りかねて、柊はそう言った。
「ダメダメ、どれか1つ選んで!」
そう命令口調で言う繭里と柊の前に、瞳が紅茶を置いた。
「ありがとうございます、おばさん」
「なあに?繭里ちゃん、占いかなんか?」
うふぅ、と繭里が笑って瞳を見上げる。しょうがないので、柊は一番シンプルなデコレーションの1つを選んだ。
「これ、かな?」
「うわぁお!瑞希ちゃんのだ」
「?」
怪訝そうに見る柊に、繭里は嬉しそうに種明かしをした。
「あのね、実はね。調理部の中で、柊ちゃんファンの5人がそれぞれ工夫を凝らしてつくったカップケーキでぇ~す!」
その言葉に、健が振り返った。
「え、なに?柊のファンなんて、いるのか?」
「やだぁ、おじさん。柊ちゃんモテるんだよ。勉強は学年トップだし、バスケだってキャプテンじゃないけどレギュラーだし」
「へぇ、知らなかった。で、繭里ちゃんのつくったのは、どれ?」
瞳も嬉しそうに驚いて、繭里に訊いた。
「繭里のはないんです。繭里は、お届け係で~す!」
「なんだ、繭里ちゃんは柊のファンじゃないんだ」
健が可笑しそうに、繭里に訊く。
「だって、柊ちゃんは兄妹みたいなものだもの」
ケロっとして言う繭里に、柊は灯里も自分のことを姉弟くらいにしか見てないのだろうかとため息をついた。そんな柊を気にもせず、繭里が言う。
「おじさんとおばさんはどれ食べる?あたしは、菜摘ちゃんがつくったのにしよっ」
「あらあら、想いがこもったお友達のを食べちゃっていいの?」
瞳が呆気にとられて、繭里に訊く。
「いいの!だって、そういう約束だし。これ、ゲームだし」
「あはは、繭里ちゃんは無邪気でいいなぁ。よし、じゃあ、おじさんも柊のファンがつくったカップケーキとやらをいただくか」
瞳がカップケーキをお皿に乗せて、健と自分の分の紅茶とともにリビングに行った。
ダイニングテーブルで、柊と繭里は向かい合ってカップケーキを食べる。
「繭里。繭里は高校、もう決めた?」
同じ受験生の幼なじみに柊が訊ねた途端、繭里は鼻に皺を寄せる。
「はあ。受験なんて、思い出したくない」
「模試で、合格率どのくらいだった?」
柊は心配から、そう訊かずにはいられない。
「柊ちゃんはいいよ。こないだの全国模試だって凄かったんでしょ?先生たちが、うちの中学からランキング内の生徒が出たって大喜びしてたもん」
繭里が食べかけのカップケーキを、つまらなさそうに突く。
「まだ時間はあるから、頑張れよ」
はあ、とため息をつくと繭里は言った。
「あたしね、N女學館へ行きたいの。でも、合格ラインに届かないの」
N女學館はミッション系の伝統ある女子高で、制服が可愛らしいことでも女子に人気だ。
「大丈夫だよ、英語、とくに頑張れ」
うん、と繭里は言って、それからリビングの健と瞳の方を窺いながら小声になった。
「ねえ、柊ちゃん。柊ちゃんは好きなひと、いるの?」
受験の話から突然、恋の話題になるのは繭里らしいというかなんというか、柊は思わず苦笑いする。
「そんなことより、いまは受験勉強だろ?」
「わかってるけど」
繭里が不服そうに、唇を尖らせる。そんな正直な幼なじみを見ていて、柊は思わず訊ねたくなった。
「繭里は、いるの?」
繭里の顔がぱっと明るくなる。わかりやすすぎる。
「うん!」
それは誰かと訊いていいものか、柊は迷った。しかし、繭里のほうからこう言ってくる。
「でもね、片思いなの」
「そうなの?」
「うん、片思いって、せつないよね」
本当にせつなそうに眉根を寄せる繭里に、柊は心の中で同意した。受け止めてもらえない、宙ぶらりんの恋心はせつない。その上、可能性すら閉ざされたいまの柊には、その苦しさがよくわかる。
「でもね」
と繭里は言って、再びいつもの愛らしい笑顔になった。
「ちゃんと告白するんだ。N女學館に合格できたら」
「そうか。じゃ、両方、頑張んないとな」
「うん。応援してね、柊ちゃん」
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