0010

 赤より深い紅色の扉の前で進むのを止めた。申し訳程度の大きさのドアプレートには何も書かれていない。

 扉を開けると、香ばしい香りが鼻腔を刺激した。

「ガーリック……」

「お、鼻が良いんだな」

「犬みたいに言わないで下さい」

「ガーリックだけじゃないぞ。頑張って嗅ぎ分けろ」

「だから犬みたいに言わないで下さい」

 犬だろうが人間だろうが部屋中を満たす、この腹の虫が一斉に鳴き出すような香りが分からない者はいないだろう。

 広々としたレトロなキッチンとレストランの厨房にあるかのような超大容量な冷蔵庫、そしてテーブルが一つとそれを挟んで向かい合った椅子が二脚。

「食堂ですか?」

「いや、食堂はまた違うところだ。だだっ広すぎるからここに新しくりょうるところ食うところを一緒の部屋にした」

「違うところの食堂はどうして広過ぎると駄目なんですか?」

「いちいち厨房から料理を持っていくのが面倒だからだ」

 実際私が来る前までは、食堂のテーブルで食べずに厨房でそのまま食べていたという。厨房で料理をするシュワルツェネッガーさんを想像してみた。フライパンからそのまま料理をつつく姿が容易に想像できて吹き出しそうになったが、グッと堪えた。

 いつかこの屋敷にもっと慣れたら、その食堂や厨房に行ってみよう。

「先に奥の方に座れ、そっちの方がお前に合ってる」

 言われるままに奥の椅子に座る。向かいの椅子と見比べてみると、腰かける部分が少し向かいの椅子のほうが深いようだ。確かに身長に差があれば座高も差が出る。

 細かいところに気付ける人、ということがなんだか素敵に思えた。

「お待たせしました。本日の夕食でございます」

 違う誰かの低く通る声にビクッと振り返るとシュワルツェネッガーさんだった。声色を替えて意味もなく私をからかったのだろう。多分面白そうだからだ。

 私の反応を満足そうに見つめて、まるでホテルのウェイターのように、料理の皿を前に置いた。

「わぁ……」

「手前からタラのガーリック焼、キノコとベーコンのクリームパスタ、トマトバタースープ、そんでスペシャルソースのサラダ」

「これ、全部シュワルツェネッガーさんが作ったんですか?」

「おうよ。残さず食えよ」シュワルツェネッガーさんは得意気に胸を張る。

 シュワルツェネッガーさんが向かいに座ったところで、まずタラのガーリック焼に手をつけた。何の抵抗もなしにスッとフォークの刃が刺さっていった。

 口との距離が縮まれば縮まるほどガーリックの香りが更に食欲を煽る。タラを舌の上に乗せた瞬間、目の前が弾けたような気がした。

「あ、うわぁ……!」

「美味しいだろ?」

「はい! とても! 仕事で料理とかされていたんですか?」

「いや、独学だ」

「独学で?!」

 キノコとベーコンのクリームパスタも、トマトバタースープも、そしてスペシャルソースのサラダも全部美味しくて、ペロリとあっという間に平らげてしまった。

「お前、結構食べられるんだな」

「い、いえ。あの、美味し過ぎたので……」

 シュワルツェネッガーさんの手が止まった。ように感じた。顔を見ると、目を見開いて私を見ていた。

「あの、何でしょうか?」

「え? いや、えー……口の端にスペシャルソース付いてる」

「えッ」

 慌ててナプキンで拭った。だいだい色のソースが大きく付着していた。

「……ッあの、スペシャルソースって何ですか?」

 恥ずかしさを紛らわすように、訊いた。

「俺特製スペシャルソースが正式名称な」

「いやあの正式名称が訊きたいわけじゃなくて、何が入っているのかなぁって」

「んー……それは俺が言わなくても近々分かるさ」

 そうやってニヤリと笑った。

 その笑みは、今までのからかったような笑みとは少し違っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る