第14話 海を渡る蝶のように
葉月先生の家の縁側で、律と二人、足をぶらぶらさせる。
ここは、どうしてこう落ち着くのかなー。
先生が珈琲を入れてくれる昼下がり。
ミルを回す音が響いて、いい香りがしてくる。
さやさやと頬を吹き抜けていく風が心地いい。
五月の風は、透明な羽衣。
朝顔がぐんぐん伸びて支柱に巻きついて、今年も青い花を咲かせてくれるのかな。
*
葉月先生の庭には今、青紫色の花が揺れている。
「先生、これはしょうぶかな、あやめかな、それともかきつばた?」
私がキッチンに向かって聞くと
「みんな似ていて、みんないいって、ことにしちゃおっか」
って、律がいたずらっぽく笑う。
あー、律らしいな。私は妙に気になっちゃうんだよね。
どこで見分けているのかな。葉っぱ? 花? もしかしたら匂いかな。
「まず、ハナショウブとショウブは別の植物ですね。ハナショウブ、アヤメ、カキツバタの3つはアヤメ科のアヤメ属。ショウブは、サトイモ科ショウブ属になります」
葉月先生がコーヒーマグを運びながら登場。
「ショウブの花は、
「蒲の穂って、因幡の白兎が転がって体につけたあれ?」
「フランクフルトみたいなっ?」
「色は違いますけどね。ちなみに端午の節句に葉をお風呂に入れる
「しかも、アヤメもショウブも漢字で書くと、同じ字なんですよ」
私は先生に、その漢字をスケッチブックに書いてもらう。
そうか、「菖蒲」って書いて、あやめとも、しょうぶとも読むんだ。
「大きさを比べると、ハナショウブが大、アヤメは中、カキツバタは小でしょうか。ハナショウブは花色もたくさんあります。紫、黄色、白。大きくて華やかですね」
「『
「さすが、りっちゃんは言葉から入りますね」
「昔の人も、似ていて困ってたのかな」
先生が植物図鑑を指さしながら、見分け方を教えてくれる。
「ハナショウブは花の付け根が黄色いですね。アヤメは付け根に網目模様がくっきり入って、ややスマートです。カキツバタは湿地帯に生え、スッと細身で涼し気に咲きます」
「杜若は、花の汁を布にこすりつけて染めたので、書付花と呼ばれて、それが後にかきつばたになったと聞きました」
ふふ、やっぱり律は響きから、私は見た特徴から考えるから面白いな。
「えっと、じゃあ、色々推理すると、先生の庭に咲いているあの子は、あやめちゃんかなー」
「正解です。凛として慎ましやかでしょう?」
「和服美人って感じがするー」
私たちは、それぞれの道へ。
律は国語、私は理科。
互いの方向にアプローチして、そして大切に抱えて、時には交換してみようね。
珈琲を飲みながら、しばらく揺れる
*
名前が蒼のせいかな。青、蒼、碧の色がすきだ。
弟が空だから、空色もだいすき。
それはみんな、見上げた空に繋がっていく、遥か遠くに続く色合い。
青い色は、幼い頃の夏休みの日々を思い起こさせる。
虫かごと虫取り網を持って、純と空と駆け回った真っ青な夏空の下。
捕まえた虫たちは、家に帰る前にはまた草原に放して、バイバイ。
花が終わりかけた
茎の両端をもって、お互いにひっかけて引っぱる。
切れてしまった方が負け。結構強い茎だからいい勝負になる。
負けた方が地面に転がって、大笑い。 勝った方も一緒に転がって。
背中に草の色をつけて、洗濯しても落ちないのよって母に睨まれた。
なつかしい。
でも、いつまでも思い出の中ではいられないんだ。
*
ね、葉月先生、海には蝶はいるの?
海を渡ったりするのかな?
「アサギマダラという蝶が海を渡りますよ。僕の大好きな美しい蝶です」
先生が昆虫図鑑を見せてくれる。わぁ、生きて動く宝石だ!
字は、
透明感がある羽。空を透かしたら、より青く見えるかなぁ。
ああ、無性に海が見たい。海を見てみたい。
夜になると時々泣いてしまう。失恋は思ったよりきつかった。
涙が塩辛くて、海の中に紛れて捨ててしまえたらいいのに。
そうしたら、こんなきもち、少しは軽くなる気がするんだ。
決めたんだ。海の近くの高校に行こうと思う。
私がめざす分野をたくさん学べる場所に。
夕日が落ちる日本海を眺めて、スケッチできるかもしれない。
先生。今、つばめが低空飛行で掠めるように飛んだよ。
私も、つばめや、海を渡る蝶のようになりたい。
どこまでも青い空を飛んで行きたいんだ。
また、夏が来るよ。
ここで過ごす14歳の、一度きりの、みんなで過ごす最後の夏だ。
春のものがたり - おわり -
<完>
葉月先生の恋 水菜月 @mutsuki-natsumi
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