土・絨毯・カエル(SF)

 神々は土から我々を創造したという逸話は、西洋・東洋問わず、いたるところで散見されるエピソードである。集合的無意識における先天的な原型であるのか、はたまた超次元的な存在の悪戯か、定かではないが、人類の根深いところに存在する共通の教唆、のようなものであることは間違いないだろう。


 それでは、もし神の手違いで、知恵を持って生まれてきたのがカエルであったなら。人の多くは一笑に付す戯言である。しかし、その男は信念をもってこう返すだろう。「カエルこそが、本来神に選ばれるべき生物であるのだ」と。


 彼は神になろうとしていた。


 男が好んで使うのは、よく乾燥した砂丘の砂であった。きめ細かくて繊細なその手触りは、まさに創造という高尚な行為にふさわしく思えたのだ。そして、洗練された井戸水を一滴たらしてやると、砂粒の表面はたちまち濁った色味を帯び始め、生命の息吹を感じさせる粘性を持つ。これこそが万物誕生の鍵である、と彼は信じてやまなかった。


 丁寧に爪を切りそろえ、禊を終えた清潔な両手で彼は土を捏ね始めた。不純物が混じらないように、慎重に、まるで生まれたての赤子をあやすような手つきである。土はしばらくすると泥と呼ぶにふさわしい状態になる。どこか淫靡さを感じさせる粘ついた音色を立てながら、彼の手によって攪拌かくはんされていく泥。常人が抱くのと同様に、彼もそこに汚らわしさを見出していた。生命にとって、その汚らわしさはなくてはならないものであった。知恵の実を齧ってしまったアダムのように、箱を開けてしまったパンドラのように。


 まんべんなく混ぜられた泥は、彼に海を連想させた。静謐で平坦な海面に、ところどころが立っている。寄せては返す、恒久のさざ波であった。月の引力に導かれて、命は地上へと排出される。あまたの感動を覚えながら、彼も輝く満月となり、泥の一片を掬い取った。


 完璧なフォルムとは、はたしてどのような形象を指すべき言葉なのであろうか。彼は不定形の泥をその手に抱えながら、幾万回も熟考した。


 例えば、人間。


 なるほど、他の生物と比較してみれば、突出して均整のとれた四肢である。力学的に優れた、柔軟性に富む身体であった。


 だが、彼にとってそれは無意味な価値である。バランスなど、大自然の前では如何様な意味を持つというのか。深淵なる森に入って、ぐるりと周囲を見渡してみよ。そこはカオスに満ちている。枝の一つとっても、人間の尺度で測れるものなどありはしないのだ。真実に優れたものとは、つまり不均一なのだ。


 その点、カエルはまさに理想的なアンバランスさで構成されていた。そもそも、卵から生まれた時点でカエルは未来に対して定まった方向性を示してはいない。オタマジャクシには尾ひれしかない。どんな形、色になるのか、誰も知りえることはできないのだ。


 そこに、後ろ足が生えてくる。強靭さと瞬発力を併せ持った、ハイブリットな代物だ。それを見たものは、皆こう想像するだろう。この生物は、将来恐るべき怪物になるのではないかと。


 それがどうしたことか! 前足を見よ。なんと貧弱な、脆弱なことか!


 予想を覆されて、男はけたたましく嘲笑した。そしていつものように悟るのだ。そう、この不完全さこそ、最も敬愛すべき形であるのだと。


 泥を緻密に成型していく男の手に迷いはなかった。それは度重なる作業によって体に染みついた慣れ、などとは決して違うと男は答える。あくまで無からの創造なのだ。混沌の中から崇高なる造形に光明を見出して、おのが両手が無自覚に、機械的に動くのだと主張する。


 爪先で丹念に細工しているのは、ちょうど目にあたる部分だった。憂鬱を携えた思慮深い眼差し。彼が溺愛するカエルとは、そのような瞳を持っていなければならない。欲にまみれた人間とは違う、高潔な色味を醸し出させるのだ。我々のように失敗しないように、慈愛溢れた生物になるように、彼は丹精に作業を続けた。


 出来上がったのは、二ホンアマガエルに似た、どちらかといえばスマートなカエルであった。サイズ的にはヒキガエルに近く、拳よりもやや大きいくらいだった。表面はまだ乾いておらず、褐色の肌はヌメヌメとした光沢を放っていて、両生類特有の質感を巧妙に表現できていた。彼は得意げに小さく頷く。納得のいく出来であるらしい。


 彼は形を崩さぬよう、恐ろしいほど丁寧にカエルをつかみあげると、そのまま床に敷いた絨毯の上に乗せた。深い緑のビロード織は、まるで岩肌に生える苔のような印象を彼に与えた。カエルが誕生するには、あまりにもふさわしい場所であった。


 さあ、跳べ。鳴け。


 カエルの前に正座して、彼は静かに祈りを捧げる。全身をくまなく流れる血潮に意識を集中する。その奔流が、目前のカエルにもあるように、そうあれかし、と。


 日が昇って、沈んでいく。日付が変わっても、彼は微動だにしなかった。停止こそ、神の本質である。乱雑さからは神秘性など見出すことはできはしない。信念を抱いて、彼は神に近づこうとする。


 そうして三日三晩、聖なる祈りは続いた。


 夜明けに近い、淡い灰色が世界を支配している時間だった。カエルに、僅かな動きがある。


 彼は期待した。ついに、真理が彼に答えたのかと。明けの明星を見つめる心持ちで、彼はカエルをじっと見据えていた。


 しかし、動いたのはただ単に風化によるものであった。乾燥してしまった泥の表面がついに重力に負けて、ボロリと目玉が落ちる。隻眼になったカエルは全身にひび割れを起こしていて、もはや黙示録の悪魔同然の風貌になってしまっていた。


 混乱。怒り。慟哭。


 毛穴から噴出されるような感情の激動を抑えることはできなかった。立ち上がり、素足でカエルを踏み潰す。そうしている間も、彼はまだ心のどこかでささやかな希望を持っていた。神話とはすなわち、破壊と創造である。破壊することで、かの体内から瑞々しい内臓が零れだしてくれるのではないかと。


 しかし実際には、彼の足裏によって作り出されたのは無残な土塊だけであった。高級そうな絨毯に、カエルの残骸がへばりついていく。それはどこまでも土気色をしているままで、泥のままである。事実を認められない彼は何度も絨毯に足を叩き付けた。


 後に残ったのは、汚れた絨毯だけであった。カエルは細分化され散乱し、そのどの部位ももはや原形をとどめてはいなかった。彼の素足や絨毯の毛先にへばりつく微細な汚泥になり果てていた。


「また失敗したんだね」


 妙に高いだみ声が彼の耳元で囁いた。病的に肌の白い、裸の少年であった。ぎょろりと目玉を動かして、は彼を責めるように睨み付ける。


「僕を作ったときはあんなに上手にできたのに。やっぱり作り方がまずいんじゃないかな。ゲロゲロ。あのときみたいにさ、もっとほら、人間らしくね。ゲロゲロ」


 大きく横に裂けた口が開かれて、中から毒々しいピンク色の舌が伸びてくる。それは触手のように、男の二の腕を嘗め回した。泡立った唾液がねっとりと肌を包み、全身に不快感がよじ登ってくる。


 男は獣のような雄たけびを上げながら少年を突き飛ばした。しかし、そこに少年の姿はなく、男の腕は宙を切る。まるで初めからそうであったように、少年のいた場所にはぽっかりと虚空だけが存在していた。父さん、と小さな呻きが希薄となった空気から漏れ出て、そうして少年の気配は完全に消え去った。


 男は魂を抜かれたように、絨毯の上に立ち尽くした。まるで釘づけにされた日時計のように、影が彼の周囲をぐるぐると旋回する。そして影が闇に飲まれて消えて、また日付が変わって、次の朝日が昇ってきて。


 ようやく男は、活動を再開する。


 また、明日だ。


 そう一言だけ呟いて、男は寝床へと歩いて行った。

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