第81話 第3接触 その2

 彼に褒められた雪乃はぽっと頬を褒める。それから少し困ったような顔をしてヴェルの顔を見つめた。


「そんな……普通だよ」


「その普通が出来ないのが約一名いるけどね」


「べるのぉ~」


 すぐにそれが自分の事だと気付いたいつきは、ヴェルノに向けて鋭い視線を飛ばした。また喧嘩が始まりそうな雰囲気を感じた雪乃は、折角始めた勉強を中断されてはかなわないと、すぐに場の雰囲気を元に戻そうとする。


「ちょ、いつき、落ち着いて!ヴェルノ君もあんまり挑発しないで」


「ごめん」


 雪乃に注意されたヴェルノはすぐに自分の非を認めて彼女に謝った。

 けれど、もうひとりの方の当事者は少しも反省する素振りも見せず、シュンと小さくなっている彼を囃し立てる。


「やーい、怒られたー」


「いつきにも言ってたんだけど……」


 ひとり盛り上がるいつきに雪乃からの冷たい視線が突き刺さる。この仕打ちを受けて彼女の顔から笑顔が消えた。それからはまた勉強が再開される。

 殆ど進んでいなかったいつきの夏休みの課題は雪乃のアドバイスのお陰で進みに進み、おやつ休憩からたった2時間程で全体の3分の1程度まで埋まった。

 それはいつきの努力と雪乃の献身的なサポートあっての成果だった。


「いやぁ~進んだ進んだ。ゆきのん、有難う」


「役に立てて良かったよ」


 いつきから課題の手伝いの御礼の言葉を聞いて雪乃もニッコリと笑顔になった。雪乃は課題をほぼ終わらせていたので、いつきにももっと先まで進めて欲しかったものの、3時間も休みなしてテキストを進めた事で頭がオーバーヒートしてしまった彼女は、それ以上シャーペンを握る事も出来なかった。

 と、言う訳でその後、帰るまでの時間は話をしたり、漫画を読んだり、ゲームをしたりと、いつきのリクエスト通りに遊んで過ごした。


 やがて帰る時間になったので雪乃が立ち上げると、そんな彼女にいつきは声をかける。


「今度は遊びに行こうね!映画とか、プールとか!折角水着買ったんだし」


「それはまた……考えとくね」


 彼女の遊びの提案に雪乃はニッコリ笑って返事を返す。その笑顔を見たいつきもまた微笑み返し、帰る彼女に向けて手を振った。


「またね、雪乃」


「ヴェルノ君もまたね!」


 去り際にヴェルノにも挨拶をして雪乃は帰っていった。彼女の姿が見えなくなるまで部屋の窓から見送り、完全に見えなくなったところでいつきは勢い任せにベッドに倒れ込んだ。


「う~バテた~。夏休みの課題なんて一気に進めるものじゃないよぉ~」


「お疲れさん」


 そんな彼女をヴェルノがやんわりと労う。ベッドでうつ伏せになったまま休養していたいつきは、10分くらいしてからムクリと起き上がると、テーブルの上でまったりとまどろんでいた彼に向かって声をかける。


「べるのさぁ~。さっきの話って本当なの?」


「さっきの話?」


「大学出たって話」


 いつきはヴェルノの学歴自慢を少し疑っているみたいだ。何か変な誤解をされないように彼はすぐに一番突っ込まれそうな部分を強調する。


「こっちの人間の大学と魔界の大学はまた違うよ」


「それは……そうだろうけど……」


 いきなり出鼻をくじかれたいつきは出しかけていた言葉をごくりと飲み込んだ。それからまた3分くらい沈黙の時間が流れていく。その間に退屈になったヴェルノがあくびをしていると、何かを思いついたのか、彼女は急にヴェルノに向かって身を乗り出してきた。


「ねぇ、頭を良くする魔法ってない?こうなったらスパッと課題片付けたいし」


「思考力を覚醒させるようなのならあるけど、体質に合ってなかったら反動が大きいよ?」


 ヴェルノから該当魔法が存在する事をほのめかされたいつきの目はキラキラと輝き出す。それで、今度はその際の一番のネックのリスクについての質問が飛んだ。


「ど、どうなるの?」


「眠れなくなるね」


「そのくらいなら逆にどんと来いだよ!」


 彼から覚醒魔法のリスクを聞いたいつきは、思ったより軽そうなその内容に安堵する。そのくらいなら魔法をかけてもらおうと口を開きかけたところで、ヴェルノからそのリスクの詳細が語れらた。


「眠ろうと思っても眠れないんだよ。結構辛いよ」


「1日くらいの徹夜ならへーきへーき」


「合わないと最低3日は眠れないんだけど。普通は一週間は眠れなくなるんだったかな?」


「え?」


 ここで彼女は自分の考えの甘さを痛感する。もし魔法が合わなかったら、しばらく眠ろうとしても眠れない後遺症が続いてしまう。まる1日眠れないくらいならまだいつきでも何とか想像も付くものの、2日以上眠れないとなるとそれは未知の領域だ。彼女がゴクリとつばを飲み込んでいると、ヴェルノからの確認の言葉が飛んできた。


「それでも……使う?」


「い、いやいやいや。遠慮する!」


 ずっと眠れないままだなんて、たかが課題を進める為だけに引き替えに出来るリスクじゃない。いつきはそう判断してヴェルノの誘いを断った。


「はぁ~。世の中、うまくいかないねぇ」


「本当だねぇ~」


 それから2人は普段通りに過ごして、やがて就寝の時間がやってきた。今日はしっかり頭脳労働をしてかなり疲れが溜まっていたので、風呂上がりに勢い良くベッドに潜り込んだいつきは、そのまますうっと深い眠りに落ちていった。


 そうして、気がつくと彼女は不思議な空間の中にひとりぽつんと佇んでいた。そう、それは夢の中の風景だ。夢を見ながら、この夢がいつも見る夢と何か違う事にいつきは一抹の不安を覚えていた。


「あれれ?何この夢……」


「見つけたぞ」


「そ、その声は……」


 カラフルでパステルな映画のセットのような書割の背景の中、背後から何処かで聞いた、聞きたくもない声が聞こえてくる。その声は忘れたくても忘れられない、もはやトラウマに近い、耳にするだけで冷や汗の流れる、記憶に深く刻まれたあの恐ろしい声だった。


「この間はよくも俺様に恥をかかせてくれたな!」


 そう、それはアスタロトだ。いつきはすぐに辺りを見渡すものの、心強い味方の彼がいない。いつも彼女に付かず離れずのあの魔界の猫が。

 夢の中とは言え、いや、夢の中だからこそ、この状況でひとりと言うのはとても心細いものだ。ストレスがピークに達したいつきはすぐに彼の名前を叫んだ。


「べ、べるのーっ!」


「無駄だ、ここにやつは来ない!いや、来られないって言うのが正解か」


 アスタロトはそう言いながら、ぬうっと目の前の空間から浮かび上がるように彼女の前に現れた。ヤツの言葉が正しいかどうか分からないものの、実際呼んでも気付いてくれないのだから、結果的には同じ事なのだろう。


 カムラにすっかり力を奪い取られたはずのアスタロトは、本当にそんな事があったのかと疑ってしまうくらいにピンピンとしている。きっとそれはいつきの中のアスタロトのイメージが襲われた時のまま固定されているからだろう。つまり、この目の前に現れた厄介な魔物の姿は彼女の作り出した幻影なのだ。


 勿論、テンパっているいつきにそれを見破るすべはない。恐怖に怯えた彼女はこの夢の中のアスタロトを本物と信じ込み、静かにパニックになっていた。


「ふ、復讐しようって言うの?」


「そうだ!もはやお前に安息の日などない」


「こうなったらダメ元で!」


 いつきは何とか目の前の敵に対抗する為に、ヴェルノが側にいる体で魔法少女に変身しようとする。

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