第3接触
第80話 第3接触 その1
8月に入ってすぐの日曜日、その日はいつきの家に雪乃が遊びに来ていた。何やらオシャレなカバンを小脇に抱えて。いつきはその荷物の事については全く触れずに、まずはこの間の旅行の感想から話し始める。
「楽しかったね、旅行」
「うん、うちのお母さんもよろしく言っといてって言ってた」
仲良し2人の会話はそんな感じで穏やかに始まった。いい雰囲気だったのもあって、彼女はニコニコ笑顔を崩さずに雪乃の顔を見る。
「ねえ、またどっか遊びに行こっか?」
「いいけど、ちゃんと課題はやってる?」
「えっ?」
遊びの話を進めたかったのに、ここで急に話の流れが変わっていつきは困惑する。そんな彼女を置き去りに雪乃は話を続けた。
「もう8月に入ったけど、油断してると夏休みなんて終わるのあっと言う間だよ」
「な、何言ってるの?私だってゆきのんと同じだけの数の夏休みを体験してるんだよ?そのくらいちゃんと分かってるって」
「急に饒舌になるし」
焦り始めたいつきの話しぶりを見て雪乃は冷静に突っ込んだ。話を誤魔化そうとしている雰囲気を感じて、それまでベッドの上で寝転がっていたヴェルノがここでむくりと起き上がる。
「いつきはぜ~んぜん勉強してないぞ」
「ちょ、べるの!寝てなかったの?」
「さっきまでは寝てた」
寝ていたと思っていたヴェルノに話を聞かれていた事にいつきは驚いている。寝起きであくびをする彼を見た雪乃はにっこり笑って挨拶をした。
「ふふ、ヴェルノ君、おはよ」
「おはよ、雪乃」
「もっかい寝ろおお!」
ヴェルノに自分の失態を暴露されて恥ずかしくなったいつきは、ペロペロと顔を洗う魔界の猫にものすごい勢いで布団を被せようとする。この攻撃を自慢の身軽さで回避しながら、ヴェルノはその理不尽な彼女の行為に抗議した。
「な、なんでだよ!」
「ゆきのんに余計な事言ったからだよ!」
「無茶苦茶だよそれえ!」
それから2人の攻防が始める。それは基本いつきがヴェルノにちょっかいを出して彼が避けまくると言う展開だ。これは2人にとっては日常の光景で、ある種スキンシップのようなもの。傍から見ていると実に微笑ましい光景だったものの、どうやら雪乃が今日いつきの家に来たのには何か目的があったらしく、この愉快な喧嘩もそんなに長くは続かなかった。
「いつき!私、何しに来たんだっけ?」
「え?遊びに来たんでしょ?」
急に注意された格好になっていつきは戸惑った。この突然の展開にヴェルノもまた固まっている。その様子を見た雪乃はため息を吐き出すと、持参してきていたカバンから次々とテキストやらノートやらを取り出した。そうしてテーブルに手際よく並べ始める。
「違うよ、勉強しに来たんだよ。課題進めないと」
「ええ~?それ最初から言ってたっけ?」
「最初から言ったら話に乗ってくれた?」
「いや、多分……」
雪乃の追求にいつきは声が小さくなる。彼女は持ってきたテキスト類を綺麗に整理すると、テーブルにドンと手をついた。
「でしょ?だから言わなかったんだ」
どうやら雪乃はいつきの性格を読んで、適切なタイミングでこの話を切り出すつもりだったらしい。それでさっき課題の話を切り出したようだ。この彼女の作戦に対して、いつきは明確な拒否の態度を示す。
「いやでも勉強なんていいじゃん、遊ぼーよー」
「だーめ。折角おば様に旅行連れていってもらったんだもの。その分くらいのお返しはしないと」
彼女の要求を聞かず、雪乃は断固として自分のペースで話を進める。普段の彼女ならここまで強引な話の進め方はしない。そこでいつきは頬に指を当ててこの話の裏を読んだ。そこで、ふとある考えが彼女の脳裏に浮かび上がる。
「あ、まさか……裏でコソコソと?」
「別にコソコソはしてないけど……」
いつきの追求に雪乃が若干怯んだその時、示し合わせたかのように部屋のドアが開く。一斉に部屋にいた3人が注目する中、そこに現れたのはお菓子と飲み物を持って現れたいつきの母親だった。
「は~い、おやつ持ってきたわよ~」
「お母さん!」
このあまりにタイミングのいい状況にいつきは強く反応する。突然呼ばれた側の母親は、持ってきた物をテーブルの上に置きながら、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「ん?」
「まさかゆきのんと裏で変な話してないよね?」
「変な話って?」
飽くまでもしらを切る母親は逆にいつきの顔をじっと見つめる。この無言の圧に娘は一瞬たじろいだ。
「うっ……」
「色々勘ぐり過ぎだって。じゃ、ごゆっくりぃ~」
母親は有無を言わさず、用事が終わるとすぐに部屋を出ていった。娘の話を全く聞かなかった事と言い、表情がどこか不自然だった事と言い、いつもと違う母親のその雰囲気にいつきは疑念を抱かざるを得なかった。
「あからさまに怪しい……」
「とにかく!おやつ食べたら課題進めよ?ほら、私も協力するからさ」
彼女が母親を訝しむ中、雪乃は話を進めようと強引に切り出した。折角友達といるのにその時間を苦手な勉強に費やすのに抵抗があったいつきは、少しでも楽をしようと、かなり課題を進めているっぽい彼女に懇願する。
「じゃあ写させてよぉ~」
「自力で解いてください!」
そんな彼女の切実な願いを雪乃は一言でピシャリと断った。このやり取りを物見遊山で眺めていたヴェルノは、楽しそうににやりと口角を上げる。
「頑張ってねぇ~」
「くぅ~。いいね、べるのは宿題がなくて」
自分が苦しんでいるのに無関係を決め込んでいるこの居候の態度に気を悪くしたいつきは、おやつのお菓子を食べながら憎まれ口を叩いた。それを聞いたヴェルノはしゃらりとテーブルの上にしなやかに飛び乗ると、真顔でいつきの顔を見上げる。
「一応言っとくけど、僕は魔界じゃ飛び級で大学も卒業してるからね?」
「口では何とでも言えるもんね~」
「信じないなら別にいいけどね」
彼女の安い挑発には乗らず、ヴェルノはお皿に乗っていたおやつのクッキーを器用に摘んで口に放り込む。その態度にカチンと来たのか、いつきはテキストを彼に見せて声を荒げる。
「そんな言うならこの問題を解いてみせてよ!」
「そんな手には乗らないよ~」
「くぅ~ムカつくー!」
流石飛び級故の余裕なのか、ヴェルノにまた簡単にやり込められた彼女は更に憤慨する。そんなやり取りを眺めていた雪乃は、そろそろこの茶番を終わらせようとパチンと手を叩いた。
「いつき!真面目にやろっ」
「はぁ~い」
雪乃の優等生オーラには逆らえず、いつきは渋々自分の夏休みの課題を机の引き出しから取り出して同じテーブルの上に乗せる。それから急いでおやつを食べてジュースで流し込み、勉強する態勢になった。
最初こそノロノロと始めたものの、その様子を見た雪乃の適切な指示で彼女の勉強のスピードも徐々に勢いに乗っていく。いつきをサポートをするその様子を眺めていたヴェルノは感心しながら口を開いた。
「やっぱ雪乃は偉いね」
「えっ?」
「いつきの勉強に付き合ってくれるし、真面目だし、優しいし……」
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