第10章 天地の夢

娘はゆっくりと目を覚ますとすぐに、頬をつたう涙を指で拭った。

気が付けば、牛車に揺られていて、さらに傍らにいらっしゃった君にあろうことかもたれかかっていた。

娘は驚き慌てふためいて起き上がる。

「申し訳ございません・・・」

「由比浦で涙しながら浜に行き倒れになっている女房を抱えて車に乗せる主など、都中を探したとて、私しかおらぬであろうな」

御返しする言葉もなく、ただうつむき黙るしかない。

「鎌倉右大臣はさぞやお喜びでしょう」

「何故だ」

「遷都こそ叶いませんでしたが、時を経て、こうして御幸は叶ったわけですから」

「私はただの勅使として来たまで」

「・・・お上の御父上である院が、勅使とは、さぞやお上はご心配されていることでしょう」

君は声をたてて笑われる。

「私はようやくあの龍の夢の意味を知りました」

「ほう」

「龍が落とした玉は調和と均衡の玉。あの龍の役目とは‘和する’ことでございましょう。玉を持ちながら、あの龍はその玉の大切さを忘れてしまったのではないでしょうか。でなければ、大切なものをあのように風に飛ばされてしまうことなどないはずです。『和すること』その役目を持ちこの世に生れてきたものの、情に流され、あらゆる思いに捕らわれて時を重ねてゆくうちに、その役目を忘れ去ってしまうものかもしれません。

大久米もまた、ほんの小さな勘違いから、武人として尽くすというその役目を放棄した人でありましょう。

その子孫である武麻呂はあろうことか、天智天皇を弑(しい)し奉り、その御恩と寵愛とに報いるどころか、大久米の生きた道を踏襲してしまう。

天智天皇の子の落胤、不比等さまに付き従う、久米の子阿比麻呂。

源氏に仕えた久米御前。

みな同じ夢でした。

まるで太陽と月との関係のようです。太陽がなければ、月は輝けませぬ・・・私はいつも自分の陰の部分のみを見てしまいがちになるのです。それではいけないと思うていても」

いったい何度同じことを繰り返し生きてきたのであろう。

大久米が言うように、終わらせるべきだ。

右大臣が言うように、絆と志で生きるべきだ。

「今もまた、闇夜を照らす月は、こうして太陽に照らされているにも関わらず、誰の役に立つこともなくただ夜空に漂うのみです」

院は微笑まれる。

「下世話な物語よりもおもしろかったぞ。この世とは、まこと繊細で一寸の狂いもない絶妙な御縁で結ばれている。そなたをいつも支え続けた者たちがいたこと、その深い愛を忘れてはならぬ。そなたが死してなお、弔う人があることを。そこに共に生き続けた人の温かなぬくもりと言葉を。死してなお、魂に刻み込まれた記憶は忘れぬものだ。笑い合い幸せであった記憶を刻め。憂いや孤独や悲しみに彩られた世界など幻だ。実朝の歌にもあるであろう。


世の中にかしこきことも はかなきことも 思ひし解けば 夢にぞありける

(この世の中では、優れているものも取るにたらない者も、よく考え感じてみれば、夢のように儚いものだ)

と」

「‘君’とは、孤独なものだと思うておりました」

「それは違う。孤独を感じながら行う政では、人々を誤った方向に導くだけだ。実朝は間違っていたか」

娘は首を振る。

「いつも仰せでした。『我が心に寄り添う神仏に問い続けて政は行うものです』と」

娘は思い出していた。

わが唐衣の袖に落とした涙に映る月を微笑み愛でた御所さまを。

「もう泣くな、とまた言われるのか。泣いても仕方ないというのに」

「はい・・・」

「『和をもって尊しとなす』か。この国は大きく和する国であったな。この生をどのように生き行く抜くかは、次の生を、そのまた次の生を、そしてこれまでの生をも変えるのであろう。まぁ、私の場合は後世に揶揄されるであろうな。兄弟の仲違いで分裂と」

院は兄上を慕っていらっしゃった。

しかしながら、御父上が院を殊に取り立てられ寵愛し、とうとう後深草天皇に対し、弟である院への譲位を申し付けられた。

これには、お上や幕府が驚いたのだが、一番驚いたのは院御自身であった。

「北と南の両朝廷に分裂か」と言われる事態になってしまっている。

「和と輪とは同じ言霊であろう。輪の上を、兄上が右から回られるのであれば、私は左から回ろうではないか」

「どういう意味ですか・・・」

「この富める日の本の御国を、兄上は右、私は左から回りめぐって治めれば良いと思う。まさに太陽のように。佳き案であろう」

下々の者には理解できないこともある。鎌倉の地で宗尊親王がそう囁かれているように。

「わからぬか。対とは強きことと思わぬのか。一人では成し遂げられぬことも、二人で対になれば成し遂げられることもあろう」

「ですが、我らは容易にそのように考えることはできません」

「この世がいかに深遠で精妙であるかを我ら人間は知る由もない。だからこそ、注意深く生きねばならぬ。

責めか許しか、と問われれば許しを。

突き放しか歩み寄りか、と問われれば歩み寄りを。

悲しむか愛するか、と問われれば愛することを。

注意深く選択せねばならぬ。

だがこれらは強制はできまい。

なぜならば、個々は自由に生きてよいという定めがあるからな。

なれど、それで良いのであろうか。

責めることに身を任せ、それを許し、

突き放すことに身を任せ、それを許し、

悲しむことに身を任せ、それを許し、

相手の佳き心を悪しき言霊にて穢しゆくことは本来の我らの生き方であろうか。

それは否、ではなかろうか。

もしもそれを良き事とする者があれば、その者を救ってやりたいと思う。

愛する民らがそのような苦しみにうちひしがれているのならば、手を差し伸べてやりたいと思う。身代わりになってやりたいと思う。

この胸に溢れている愛が、この想いが、民らに届いてその苦しみを溶かすように祈るしかない。

神々に、民らの邪な想いや行いのすべてをお持ちいただくよう、私も兄も、歴代の天皇たちもそう願ってやまなかったはずだ。

そうでなければ、この血を受け継ぐ者としてこの御国に生まれてはいない。思うに、あの龍の見た扉の向こうにいたのは、きっとそのように祈り願う御魂たちであろう」

神仏が常にそう願われているように、この国や民を想い祈る心に権威は比例する。

権威とは、愛であり続けるということであろう。政とは、民の心から塗炭を取り除きたいと切に願う志から行うものだ。

だからこそ人々は、権力や権威に対して跪くのではなく、自分たちに向けて注がれる、その圧倒的な愛の力の前に跪かざるをえないのだ。

『あなたの全てを受け入れて面倒みよう。私があなたの全ての責任をとろうではないか』

という大きな気を感じて、民らは自然と伏す。

その愛が深ければ深いほど、人は豊かにもなれ、幸せにもなれ、健やかにもなる。

生まれた環境も、血脈も、才能も結局は関係ないのだ。

ただ、どれだけ深くこの世の全てを愛し続けることが出来るか、ただそこだけだ。


「長い間、大切なことを忘れていました。私もそのような御魂たちに混ざれるよう精進いたします」

院は微笑まれ、「それは佳き願いだが、決して忘れるな」と仰せになる。


「さあ、ともに天地の夢を生き抜こうではないか、我が朋よ」

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天地の夢〜久米の子ら〜 和香 @nodoka123

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