第8章 久米御前

十.


ここへ参った時はまだ雪が積もって、庭がこんなに美しいとは気づかなかった。

御所さまが想像されていた、赤松越しの月とはおそらくこのようであっただろう。

黄金の望月が闇を照らして、月の周囲は光の環が出来ている。

松もその葉を艶めかせ、木肌は刻まれた深い皺を隠すことができないでいる。

庭に面した廂に座る私の隣には御所さまの遺骨があった。

「お茶は飲めませぬが、赤松越しの見事な望月をご覧いただけましたね」

そう言った時、頭が割れそうに痛んだ。

痛みに耐えて、しばし目を瞑ると『あなたとともに、ここで月を愛でるのも悪くはないですね』と御所さまは言う。

「そうです。あのように忙しない鎌倉から離れて、ここでゆるりと出来ることは幸せにございましょう?」

どのような歌を詠まれるのでえあろうか、と御所さまの心に我が心を寄せてみる。

「姫さま、そろそろ冷えてきました。中で休みませぬか」とせつが言った。


「出でて去なば ぬしなき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘れるな」

(私が出ていったら主人のいない家になってしまうが 軒端の梅よ 春を忘れることなく咲いてくれ)


「御所さまが最後に詠まれた歌だそうです。実に梅がお好きな方です」

頭がひどく痛む。

頭を押さえてかがむ御前をせつが心配して体を支えようとする。

「せつ。私に万が一のことあれば、みなで下総にお帰りなさい」

「何を仰せですか。そのようなこと」

「ここに来てからというものの、酷く頭が痛むのです。私はそう長くはないでしょう。あなた方がここにいる必要はないのです。下総に帰れば家族がいますし、みなもまた千葉に奉公できましょう」

「いいえ。今さら下総に戻って、いったい誰にお仕えするというのでしょうか。御前が生涯、将軍家にお仕えしたように、我らもまた同じ気持ちでお仕えしていることをどうかお忘れにならないでください」

「私は皆を巻き込んでしまいましたね」

「いいえ。我らはそうしたいから、ここにいるのです。ただお傍にいたいのです。我らがいなければ生きてゆけぬお方を、誰が放っておきましょうか」

「私は幸せものですね。ほんに、私は幸せです」

御前は本当に幸せそうに笑った。


「そうですか、久米御前が」

「はい。将軍家の御隣で、庭が見える廂にお座りになったまま、眠るように」並木は瞳を濡らして尼御台に言う。

「いつであったか、久米の由来を聞いたことがあった。まさしく、あれは将軍家にとって久米であったことであろう。よく仕えてくれた」

「尼御台さまからのそのお言葉、墓前にて必ずお伝えします」

「来年の春の梅はいつもよりも強く香り、さぞや美しく咲き誇るであろうな」

御所さまが愛した庭に立ち並ぶ梅の木を眺めて尼御台さまは微笑まれた。

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