第8章 久米御前

八.


翌日、相州の次男は、相州に勘当された挙句、遠海へ流された。

予想どおり、相州は「なんと情けない!お前を可愛がって育てた親への孝行がこれか」と声を出して泣いた。


政所から戻ると、五条の局が帰参したと顔を見せた。

「御所さまにも御前さまにも、私のいないことでさぞかしお寂しい想いをさせてしまったと思いまするが」と言い、御前の笑いを誘う。

「また御所が賑やかに戻りますね。そろそろ、御所さまが昼餉に戻られる頃ですから、お顔をお見せになれば喜ばれますよ」

五条の局がいてくれれば、用件伺いも減るであろうし、と部屋へ戻り少し休む。ここのところ忙しい日々が続いていた。

畳の上に横になると、そのまま眠りに落ちてしまった。



心地よい風が顔に、髪に、衣に吹き付けてはゆったりと揺らす。

辺り一面、枯れた笹の葉で埋め尽くされている。

遠くから馬の鳴き声が聞こえてくる。

それと大量の蹄の音もだ。

あっという間に、辺りは戦場となった。


馬上の武士は、目の前で次々と敵に斬りつけられ射られて、とうとう笹の地に落ちて息絶えた。


「ひるむな、ゆけー!」

その声は、懐かしき父、常胤の声にも似ているが、どことなく違っている。


遥か遠くには、捕えられ今にも斬首されようかという武将が見える。

「この恨み、末代までとれませぬ」捕らえられた武将が笑いながら言う様に背がぞくりとする。

「悪く思うな、これ全てお上の御為。朝廷に逆らう者はこうなると何故わからぬ」

「我が祖は時の天皇の傍近く仕える身であった。この地へ下向してもなお、一時たりとも朝廷に逆らおうなどと思うたことはないと天地に誓って言える」

武将はそう話すと笑い出した。

「安倍らを征伐できたは我らの功によってではないのか。ふふ、そのようなこととっくに忘れ去ったのであろうな。先祖代々守り抜いてきた領地を藤原にやれという。私は一切間違ったことはやっていまい。この仕打ち、怨まずにおられまい。さぁ、斬るが良い」

そう言い残すと武将は斬首された。

すると、御前の身体の中をめぐる血液が燃えるように熱くなり、『源氏め、許さぬ』という声がこだまする。

身もだえしているその時、頭上より聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「おぉ、こうやではないか」

目の前に現れたのは、今度こそ紛れもなく父常胤であった。

ほころんだあの顔で、娘の頭を撫でて軽々と抱き上げた。

「こうや、どうだ。鎌倉は楽しいか」

勿論です、と答えるつもりであったのに、溢れる感情が暴走して、思ってもいない言葉が口から出た。

「父上、私は苦しいのです。何故かわかりませぬが、胸が締め付けられて息が出来ぬのです」

父は心配そうな声で言う。

「娘よ、一人になるな。みながついておる」

父の背後には、六人の兄上たちが控えていた。

「後悔はするな。それだけは言っておこう。命はいつなくなるかわからないのだから」


その遥か後方には、‘八幡大菩薩’と書かれた白い旗がたなびく陣地が見える。

陣には右大将家のお姿がある。右大将家の右隣にはまだ幼い金吾将軍がいる。

御所でいつも明るく微笑まれ、御前に「困ったことはないか」と満面の笑みで声をかけて下さったあの右大将家が、戦場ではこのような形相でお座りになるのかと御前は驚いた。

その右大将家の左側には、胡坐をかいて座る白い着物、白い髯、白き顔の老翁が一人座っている。

静かな瞳で、何事かを思案している様子だが、微動だにしない。

全身からほとばしる力強い気は、右大将家や金吾将軍とも通じるものがある。

「ふむ。終わらせる、か」

その白き翁は言う。

「時代とは変わりゆくものよ。尊き御国へとそろそろ、動かねばなるまい。まぁ、気楽にゆこう」

すっと立ち上がると同時に、背景が戦場から鶴丘宮に変わった。

『始まりと終わりに相応しい場所よ・・・』

そう老翁が放った言葉が空間にこだますると同時にその姿は霧散した。

あぁ、あの方は・・・。



久米御前は飛び起きた。

やはり夢であったか。しかし、なんとも後味のよくない夢よ。あの武将は誰であったのか。

胸が締め付けられて自由にできないというあの感覚は目覚めてもなお続いている。

辺りはすっかり陽が落ちて暗くなっていた。

身支度を整えてから母屋の方へ向かうと、ちょうど藤御壺で御所さまと五条の局が話をしていたところであった。すっかり日が落ちていたが、鶴丘宮詣での許しを御所さまからいただく。あのような夢を見て、詣でないわけにはいかない。


御所の西御門を出て間もなくに鶴丘宮はある。

日中は多くの人で賑わう境内は、夜ともなれば静かで、ゆっくりと詣でることができた。

『始まりと終わりの場所』とは、いったい何を意味するのであろうか。

尼御台さまは、御所さまが宿りし日、空にたなびく虹色の旗をここ鶴丘宮で見たという。

それを始まりというならば、終わりというのはやはり・・・。

御前はあまり夢を見ない。見ても覚えてはいないものだ。だがこのように印象に残る夢は必ず現実世界にも同様のことが起こる。

閉じた神門の前でしばらく目を瞑り微動だにせずひたすら祈った。


御所へ戻ると、五条の局がお傍に召されていないことを確認した上で御所さまの元へと向かう。

「どうしたのです、いつもこちらから呼ばないと来ないのに。珍しいこともあるものです」

そう微笑む顔を見ると、御前は嗚咽を漏らして泣き始めた。

「またですか。泣いてばかりですね」

いつか、こうしてこの胸で泣くことが出来ない日が来るであろう。夢に出てきたのならば、おそらくはそう遠くない未来だ。

「さあ、何があったのか聞きましょう」

夢で見たことを御所さまに話した。尼御台さまが見た虹色の旗のこととともに。

御所さまは笑われて、「そうですか。あなたもその夢を見ましたか。とはいえ、私が見た夢にはその武将は出て来ませんでしたが。ですが、その望みどおりこの血は絶えましょう。私に子はないわけですから」

気に留める様子もなくあっさりと言い放たれた言葉に驚いて涙も止まった。

「気になるのはその武将の方です。あなたは相当私を恨んでいるようですから。そちらの方がよほど心配です」

御所さまは微笑みながら言う。

「い、いいいえ、私は・・・」

「武士とは『矛を止める者』という意味であることを知っていますか」

「いいえ・・・」

「少なくとも、我が父は武士という名の意味を知っていたはずです。そこに理想を見たのでしょう。その為には怨みも死をも恐れていてはたどり着けぬという覚悟がありました。私にも同じ血が流れています。その理想とする国は、私が世を去った後でも、他の誰かがそれを目指すまでです。決してその志が絶えるわけではない。それこそが重要なのです。自らの命が絶えることなど取るに足らないことです。死は決して悲劇ではない。あとは世に託すのみです。自己の中での思いや怨みがあったとしても、そのような小さな世界での出来事に囚われている暇などないのです」

御前は笑い言う。「はい、ほんに下らぬことです」

「それが分かれば、もう金輪際自分の小さな世界に留まるということをお捨てなさい。その血に受け継がれている下らない思いの全てを捨てて、この世界の為にこの世の為に生きるということを始めたら良いのです。そうすれば、たとえ女であったとしても、知らない間に世に名が残る偉大な者になりましょう」


翌日、「良い機会ですから」と御所さまは近習の者たちを引き連れて鶴丘宮へ詣でた。

立ち込める白檀の香り。

煌びやかな金の装飾と朱塗りの柱、白と緑の壁。

菩薩と神話が共存する世界。

何度来ても大好きな場所だ。

御所さまが阿闍梨とともに拝殿へいらっしゃると、席を御覧になり、

「久米御前、隣においでなさい」

と仰せになって隣の重胤を手で払うようにしてよけさせた為、そこにいる全員の笑いを誘った。

「今日は互いの御魂の為に祈りましょう。それに、魂の絆へ祝福と感謝を祈念も忘れずに」そう耳元で聞いた時、また梅の香りがした。

季節は秋だというのに。


御祈祷を終えて階段を降りる時、御所さまが差し出された手を取る私を見た者たちは皆驚いて見ていた。

一番驚いたのは御前であった。あれほど内密にと言うていたのに・・・。

「私が仕え始めた頃、御所さまと尼御台さまが、下総の局を側室と認めた、という噂は本当だったのですね」と五条の局が言う。

「・・・全ては内々であったのです」

「私にくらい、打ち明けて下さっても良かったのに」とふくれっ面をする。

「あなたに打ち明けたら翌朝にはみなが知るところになっておりましょう」と言うと五条の局は「失礼な」と言いさらにふくれる。

笑う御前の鼻先に、またどこからともなく梅の香りが漂ってきた。

いったい、どこから香っているのであろうか。

訝し気に見渡していると、御所さまにどうしたのかと問われる。

「最近、梅の香りが漂うのです。咲いているわけもないのに・・・」

御所さまは口元に笑みを浮かべたまま、「梅は私が一番好きな花ですからね」と言う。

「あのように小さな花ですが、真に美しい形と香りは、気品という名がよく似合う。こうや、あなたには明るい陽の光となってこの地を照らす女性でいて欲しい。それが我が願いです。人の心を癒すその笑顔と明るさで生きていってほしいのです。この弥勒の世が弥栄であるように祈り続ける人であって下さい」

「・・・はい」

「そう話しているそばから泣くとは、いったい何事ですか。困った人ですね」

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