第8章 久米御前

四.


翌日、永福寺に参られる尼御台(北条政子)さまに供奉した。

尼御台さまは御所さまの母上さまで、執権である相州の姉にあたる。

御家人や女房らを掌握されているのは当然であろうが、御所さまもご意見を伺って政をすることもあり、相州も尼御台さまには最大の気遣いをしている。

周囲の反対を押し切って右大将が正室にされたお方だが、この方以外に源氏の棟梁の妻は務まらないと誰もが口にするほどに何事も明瞭豪傑に英断される。

「次は明王像を造立させようと思うが、どうであろうの」

尼御台さまが険しい顔でこちらを見られる。

「愛染明王像を三十三体造立させる、ということではいかがでしょう」

「三十三、であろうな。将軍家の名で」

「御意のままに」

「しかし。あの者たちも恥を知らぬ。そうは思わぬか。噂話ばかりして。噂好きな男は好かない。何故ああも女々しくなれよう」

尼御台さまの険しいお顔はこれが理由であった。苛立たれているのも無理もない。

金吾将軍が伊豆で誅殺されたという噂に加えて、残された御家人らが謀反を企てているとの噂が御所に飛び交っている。

「下々とはそういうものです、尼御台さま。あの三浦でさえそうなのですから。あれこれ詮索しては噂をすることが楽しみなのでございましょう。私も苛立ちを隠せませぬ故、そのような御家人を見れば叱責するのみです。しかし、下々がそうであるから将軍家が一段と輝きを増すというものではございませぬか」

実際、今朝も侍所で楽し気に噂をし合う情けない武士らを「随分とお手すきでいらっしゃいますのね」と一蹴したばかりだ。

尼御台さまは笑われて言う。

「十も年の離れたそなたの意見は将軍家の御心を癒すこともあろう。よう頼みますよ」

「力不足なれど、誠心誠意仕え奉ります」

「そなたに久米御前という名を御所が与えたのは何故か、きちんと聞いていなかった」

「久米は神武天皇へ忠義を尽くした一族だとして、千葉の家をそのように御所が仰せでありました」

「確かに。異論はない。亡き頼朝さまはほんに千葉を慕っておった。将軍家を宿りしときも、我が事かのように喜ばれて・・・」

伏し目がちに何事かに思いを巡らせているご様子であったが、暫くするとまた口を開かれた。

「ほんに、あの日は不思議な日であった。鶴丘宮の広場で、ふと空を見上げると、紫と黄色と赤の帯がはっきりくっきりと出でて、風にたなびくようにしてゆらゆらと揺れておった。息をすることも忘れてしばし見入ったもの。将軍家がこの腹に宿られたとわかったのはその直後のことよ」

「そうだったのですね」

「すぐに頼朝さまに事の経緯をお話しした時の、その喜ばれようといったら」

在りし日の思い出に顔をほころばせる尼御台さまは、瞳を麗しく輝かせて美しく、こちらを惹きつけて自然と笑顔にさせる。


鎌倉では、何かにつけて、いや何もなくともひたすらに神仏に祈り願って世を創りゆくことが最上の事であり、何より一番大切なことであるとされていた。

時折、血の中まで線香と読経の音が染み込んでいて、我が体から香りを発するような気さえする。

経を転読しながら次々と浮かんでくる雑念の数々。

武士の世とは神仏が願われた世であろうか、神仏はお怒りではなかろうか、と常に問うてしまう。

右大将家が開かれたこの鎌倉は、永遠に栄華を誇り続けられるであろうか。政所をこの地に託すことを内裏はどれほどの間許すであろう。

将軍家に流れる真っ赤な血は、煮えたぎるような誇り高き剣の力と、真っ直ぐに力強く打ち立てた忠義とで、京の敵となる者あればことごとく斬り捨て、帝の歩かれる道を造る。

それこそが武者。

まさしく将軍家、源氏の棟梁とはそういう血筋なのであろう。

御前がふと我に戻ると、目の前に盃が差し出されていた。

二所詣でからお戻りになったばかりの御所さまから、「月を愛でながら箱根の御神酒をいただこう」とお誘いいただいていたのだのだが、考え事に没頭して差し出された盃に気が付かなかった。

「も、申し訳ございません、御所さま」

珍しく慌てふためく御前を見て、御所さまは楽しそうに微笑まれる。

「おやおや。御一人で遠出ですか。どこまで出かけていたのですか。随分と長い間気づきませんでしたから、相当遠くにいらしたのですね」

「・・・いえ、すぐ近くにおりました」

御所さまは声をたてて笑われている。

「良いのですよ。私も声をかけませんでしたから。それで、何を考えていたのです。昼間、尼御台と出かけていたようですが、関係はありますか」

「いいえ。取り留めのないことです」

「いけないですね。この私に秘密など、有って良いものでしょうか。隠し事は私が一番嫌う事と知っておいででしょう」

「将軍家の血は、どれほど濃いものであるかを考えておりました」

「どういう意味です」

「誇り高く、大地に剣を打ち立てる強き力と意志、この御国のために持てる全てを貫き通すその御心。その体に流れる血はまるで煮えたぎる鉄の炉のようでは、と思うておりました」

御所さま再び笑われると、「血脈など関係ありません。やるかやらないか、それだけです。あなたがやりたいことと、私がやりたいことが一致しているからこそ、我らはともにここに存在するのでしょう。立場は違いますが、それぞれの立場にてやるべきことはあるはずですよ」

「はい・・・」

「あなたにしかできぬこと、それは何ですか」

「私はただの女にすぎません。なれば、御所さまのお世話を誠心誠意させていただくことにございましょう」

「こうや、まさか本気で言っているのですか」

諱(いみな)を使い放たれたその言葉に、御前の顔が曇る。

「浮かんだ答えを正直に言ってごらんなさい。私しか聞いていませんよ」

「この御所に仕えて二十年以上になります。女の立場である私なりに、さまざま見聞きし、精進して参りました。尼御台さまにも可愛がっていただき、御所さまのお傍においていただいている今、御所さまの目が行き届かぬ細やかな部分に配慮していくことはできるのではないかと思いましたが・・・」

「よく言うた。御所の雑用など若い女房に任せて、そなたはそなたのやるべきことをやれば良いでしょう。自信がないなどと言う方が恥ずかしいことです。坂東武者の鏡と世に言わしめたそなたの父が悲しみますよ。女であっても、御家人筆頭、千葉の姫でしょう。奥に引っ込んでいてはいけない」

「なれど・・・」

「なれどもしかしもない。五条の局と二人、相談事はまず二人に訴えることとしましょう。無論、二人に私を手伝う気持ちがあれば、ですが」


翌日、政所にお出ましになった御所さまは、細かい訴え事はすべて二人を通して申し出るようにと仰せになった、と重胤が言う。

内々に事を進めるのが得意な一部の御家人たちにとっては、何をいまさらという顔だったが、知らぬ者たちの間ではこれを機に、政から距離を置かれるおつもりでは、と噂し合っていたのだという。

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