第8章 久米御前

三.


「姫さま」

背後からせつが呼ぶ。

せつは、下総からともに御所へ入った幼馴染だ。幼い頃から孤独と無縁でいられたのはひとえにせつのおかげであるし、せつは私の全てを知り尽くしている。

「どうしました、せつ」

「並木さまがお見えですよ。いつもはあんなにしかめっ面ですのに、今日はとてもにこやかでいらして。驚きました」と楽しそうに笑う。

間も無くして白髪交じりの千葉家老臣、並木が入ってきた。

並木家は代々千葉家の家臣であるが、この老臣は私の育ての親である。幼い頃から、じぃ、と呼んでは厠に付き添ってもらい、花を摘みに野原へ行き、それに箸の持ち方から殿方への接し方まであらゆる事を教えてくれた。

その並木が家督を息子へようやく譲るという。

「並木、これまで本当にご苦労様でした」

並木は父がもっとも信頼を置いていた人物でもある。

「畏れ入ります。この倅が今後は家督を継ぎます故、お見知りおきを」

見ればまだ若い若者であった。並木にこのような若い息子がいたとは。

「引き続き並木家は姫に付き従います故、どうぞ鍛えてやってください」

「姫さま、皆さまいらっしゃいましたよ」せつが言う。

千葉家ゆかりの家臣が続々と集まり始めた。

老臣は驚いて見渡す。

「姫さま、これは何事ですか」

「並木の長年の苦労を労おうとみなを呼び寄せました。今宵は身内での酒宴とする旨お許しを御所さまにはいただいておりますので、楽しみましょう」

嬉しそうに涙する並木を見ると、こちらもこみ上げてくる想いが溢れる。

幼い頃から大きな皺のある手で小さな私の手を引いて、様々なものから守り抜いてくれた。

鎌倉へ入る時も、ひどく泣きじゃくった私をずっと抱きしめてくれたあの温もりを忘れた日は一日もない。

叱られて泣く日はただ黙って傍に居てくれた。嬉しい知らせがあればともに飛び跳ね喜んでくれた。私が間違った時には激しく私を叱ったこともある。我が父とも呼べる人だ。

いつの間にか、部屋にはたくさんの家臣や縁のある御家人らが集まってきていた。この日のためにわざわざ下総からやってきた者もいる。

すべてはこの並木の人徳であろうと微笑みながらも、あらためてたくさんの人に千葉家もこの鎌倉も支えられて成り立っているのだと思う。

だから、私は私のやるべきことをやろうと思えるのだ。

千葉家の為、自分自身の為、そして一番は御所さまの御為に。

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