第7章 出羽の娘

二.


「少し時をいただけますか」


背後から声がして振り返ると、君が寝間着姿のまま出でていらした。

慌てて二人して額づく。

君は娘の側に来て膝を折ると、父に聞こえぬよう扇で隠しながら娘の耳元で、

「黙っていなくなるとは、礼儀を知らぬのですか」と仰せになる。


君は二人を先ほどの部屋に引き戻して御帳台に座られると、扇で口元を隠しあくびをされた。

「一晩中主を眠らせぬ上、ようやく一時ばかり眠ったかと思いきや、朝早うに起こす困った娘がおりましてね。本人にそのつもりがないとはいえ、甚だ礼儀を知らぬと呆れております」

顔を赤青くしたであろう娘を見たか見ないでか、父は「申し訳もございません」と言う。

「殊更無礼なことに、主から暇(いとま)の許しも得ずに親御の元へ参ろうと言う」

「なれど、女御が・・・」

父が左手を少し動かして私の口を静止させて言う。

「非礼な親の元に生まれし子です。どうかこのご無礼を御許し下さい」

君はその答えに満足されたのか、目元が微笑む。

「彼の地、出羽で賢者と頼られるあなたのことは、出羽守からよくよく聞いていましたよ」

「過ぎたる噂にございます」

「そうでしょうか。女御があなたを呼び寄せるのを止めなかったのは、他でもない、霊験あらたかな出羽三山の話を聞きたかったからなのですが」

「有難いことでございます。お話させていただければ娘の罪は許されましょうか」

君は声をたてて笑われると、

「おかしなことを言うものです。罪とはまた。賢きあなたのことならば、全ておわかりでしょうから、これ以上無駄話は良くないですね。今日のところはここへ留まられるべきです」

「畏れ入ります」

「万が一にも、女御が私に付き従わぬと言うならば勘違いも甚だしい。すぐにでも出て行かせましょう」

君はあくびが止まらない様子であった。

「部屋を用意させました故、ゆるりとされていかれるがよい。火急の用件もなければ、午後にでも出羽の話をお伺いしたいものです」

「はい・・・」

「都の見物もまだでしょう。ちょうど良い機会ですから、二人で行かれてはいかがでしょう」

君は再びあくびをされる。

「ともかく、何かあれば部屋付きの者に言いつけください」

そう仰せになると主は戻られていった。


「どういうことだ」

いつも冷静な父は、さすがに少し取り乱した様子で娘に問う。

「私にもよくわかりませぬ」

「気に入っていただいているのか」

「わかりませぬ。もしそうであるならば、賢き父上と、それと私が語る拙い物語のおかげでございましょうか」

「物語?」

「いつのことでしたか。幼い頃に、龍の物語を語り聞かせたことがありましたが、父上は覚えておいでですか」

「もちろんだ。陸奥に住まう龍と姫の話であったな。よく覚えておる」

「何故か、こちらへ到着したその日に、母上さまへ献上する物語を書き綴るよう命じられたのでございます。出羽守はいったい何を君へ吹き込まれたのやら・・・」

「そう言うな。今回の出仕の話は出羽守から来たのだが、自身の官位昇進だけを望み動かれるような方ではない。『我が郷には美(うるわ)しく賢い巫の娘がいると伝えてみたならば君が出仕を許された』と聞いている」

そのうちに、部屋付きの女房が二人を迎えに来る。美人ですこぶる愛想が良く、仕草も洗練されていて品がよく、良家の娘であることを容易に想像できた。

美しく賢いなどと、この邸で出羽守はよくぞ言えたものだと娘は恥ずかしくて隠れたい一心であった。


その日の夕餉終わりに、君がいらした。

「遅くなりました。今日は楽しい一日となりましたか」

父は深々と伏して感謝の意を申し上げた。それならば良かったです、と君は微笑まれる。

「羽黒の神祇官の家柄と聞き及びましたが、神和(かむなぎ)の力はそれ故のことでしょうか」

「おそらくは。女系に見られる特徴の一つです」

「やはりそうですか。それで、あなたがたの祖は天津久米命である、というのは真ですか」

父は驚いた顔で君に申し上げた。

「遠い昔、出雲から出羽へ下向してきた祖があると伝え聞いております。その血筋を遡れば、天津久米命、さらに高御産巣日神(たかみむすびのかみ)へ繋がると受け継いでおります」

「なるほど」と、君は娘の顔をちらりと見やると、娘は目を見開いて父を見ていた。

その様子を見た君は笑顔で娘の父に言う。

「女御の望みどおり、一度あなたにお返ししましたから、今度は私が女房として召し抱えたく思いますが、お許しいただけますか。ちょうど邸を遷すところで人手不足なのです」

父はたいそう喜んで、何卒お願い申し上げますと額を地につけ申し上げた。

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