第5章 帰郷

「いててて・・・」

情けなくも、尻もちを派手についてしまい、尻の骨が割れたのではないかと心配になるほど痛む。

ふと顔を上げると、阿比麻呂はたくさんの人に囲まれていた。

「大丈夫かねぇ」人々が口々に言う。

「あぁ、大丈夫です」

阿比麻呂は恥ずかしそうに照れて笑う。

「ここは何処であろうか」

狂った男に近寄るまいと思ったのか、人垣は徐々に消えていったのだが、母娘が憐れむように答えた。

「何処ってねぇ。新益都(あらましのみや)だよ。あんた知らないのかい?やっぱり頭打ち付けて具合が悪いんじゃないのかい。まぁ。私には何にもしてあげられないけど、早く帰って医師にでも診てもらったほうがいいよ」

言い終わらないうちに、子に急かされて引っ張られるようにして去っていった。

たくさんの人が暮らす日常の風景が阿比麻呂にどれ程の安堵を与えたか、計り知れないものがある。

「今度こそ、帰ってきたか・・・」

とにかく、この大和へ戻って来た。それだけで今は良しとしようではないか、と苦笑いをする。石鎚での日々が遥か遠くに感じた。

阿比麻呂は立ち上がって尻についた土埃をとると、都の中心を目指して歩く。

「不比等さまはどうされているであろうか」

さぞやお怒り・・・というよりも、呆れ果てているか、はたまた死んだと忘れ去っているかもしれない。

邸の所在がわからず、内裏の護衛を捕まえて「不比等さまへ阿比麻呂が来たと言伝てくれ」と頼むが、訝し気に睨むだけで、全く聞き入れる様子がない。

阿比麻呂の旅装束はあちこち擦り切れており、日焼けと土埃で全身黒ずむ男の話など聞く耳を持とうはずもない。少なくとも自分が門番ならば確実に門前払いする。

四年という月日は尊いもので、以前は全員が知り合いだ、と言えるほど顔が利いていたのだが、今は誰一人として知っている者はいない。

困り果てているところに、運よく見知った顔の男が目の前を通り過ぎた。

「おぉ!佐伯ではないか」

「あ・・阿比麻呂か!?」

「おぉ、久しいな!」

二人は固い握手を交わす。

「ところで。なんだってそのような格好なのだ。臭いぞ」大袈裟に鼻をつまむ。

「まぁ、そう言うな。着替えと食事を貰えないだろうか。ついでに風呂も・・・」

「構わないが。いったい何が起きたのだ」

「長い話だ」

阿比麻呂はこの学友にこれまでのあらましを話し聞かせながら、蒸し風呂に入り、久しぶりに褐衣(かちえ)に袖を通し、都の豊かな食事をした。

「生き返った!有難い」

「相変わらずだな、おまえも。で、これからどうするのだ」

「さぁ」

「さぁとは・・・確実にそなたの居場所はなくなっているだろうよ」

「頼みがあるのだ」阿比麻呂はにっこり笑う。


随分と偉くなられたのか、不比等の邸は以前に比べて大きくなっていた。

学友に頼んだのは無論、不比等への取り次ぎであった。

不比等邸に行くと、本人自らが出迎えに来て、化け物でも見るような目で阿比麻呂を見ている。

「そなた、生きておったのか・・・」

「太宰府への任の件は申し訳もございませんでした」

「今まで何をしていたのだ。そなたをこの任に推挙した私の責とどれほどお上にお叱りを受けたと思うておるのだ。なんとか話を繕うのにどれほど苦労を強いられたか、わかっておるのだろうな」

「はい」

「あれから四年。そなたはもう死んだものとされているぞ。戻る職もなければ家もない。そなたがいない間に天皇は代替わりされた」

返す言葉もない。

「まぁ、中に入れ。何をしておったかすべて話すのだ」

阿比麻呂は細かに話して聞かせた。

あの神宝類のこと、翁や亡霊、地蔵さまの化身である不思議な女のこと。それに、天智天皇と父、武麻呂のことと、大久米のことを。

「そうか。そなたの父が何かしら情報を持っていたであろうとは思うたが・・・」

「・・・本当は確信されていたのではないですか。通告するなり、如何様にでもなさってください。償えるのであれば私が・・・」

「馬鹿を言うな。それのどこが証拠になるのだ。正気を疑われるだけであろ。黙って墓まで持って行け。それよりもそなたは祖に託されたことを考えたらどうだ」

「我が祖が大久米とは、初耳です。真にございましょうか」

「知るか。だが疑ったとて仕方あるまい。そなたの父が成し遂げられなかったことをせよ、という意味であろ」

「成し遂げられなかったことを、とは」

「・・・そなた、たまには自分の事なのだから自分で考えたらどうだ。優秀な武人とは、思慮深い智慧者であらねばなるまいよ」

「冷静になれぬのです」

「ものは言いようだな」

「確か大久米は、天皇の祖である神倭伊波礼毘古命に従ったという神話ですね」

「大伴の祖である道臣の臣下としてな」

「そうでしたか・・・?」

「天皇が史書として編纂させた記があるのだ。それを正統な書とする、との勅令が出ている以上はそう言わざるを得ぬが、そなたの知っている古くからの言い伝えでは、久米と道臣は同等の扱いだ」

「けれども今与えられし姓(かばね)は、道臣は臣下として最上位の朝臣(あそん)、対する久米は地方豪族と同等の身分である値(あたい)。随分と差がある、と。何故、久米は落ちぶれたのでしょう」

「何でも知っていると思うなよ。それはそなたが調べよ、阿比麻呂よ。しばらくは職もない故、暇であろ」

「不比等さま、何かお手伝いなどすることがあれば私が・・・」

「調子がいい奴よ。探しておくが、あまり期待するな。そなたがいた頃より格段に宮仕えが許されている人数が増えた。どこかに空きがあれば幸運と思え。それまでの間はここにいるがよい・・・と言うしかなかろうな。ただ飯食いにはならせぬぞ、働けよ」

「喜んで」


軍部は授刀衛に集約されたのだと不比等は言う。

天皇親政が強化されてからは、天皇や親王たちに権威が集中し、臣下はただの御意見番だ。「長くは続くまい」と太極殿の廊や朝庭のそこかしこでひそひそと立ち話をしては噂の真意を話し合っている。

不比等はといえば、噂の輪に加わることなく、話しかけられれば微笑みながら答えている様子だったが、「さぁ」「はて」「御仏の御加護がございましょう」などとのらりくらりとかわすばかりで、まともに取り合うことをしなかった。

阿比麻呂はその真意を問うが、不比等は呆れたように笑うと、「本気でそう言うのならば、それこそが久米が落ちぶれた理由であろ」と笑う。

「今は落ちぶれたとは言え、大伴は軍の力を誇示して朝廷内部に入り込んで当時の大王を意のままに動かしたと聞く。大久米の実力の程は知らぬが、おそらくは寵臣であるからには、久米も大伴のように栄華を極めることができたのではないか。二人の違いが何かわかるか」と問うた。

「身分の差、家柄の差でしょうか」

「ばかを申すな、‘久米の子’よ」

「久米一族は顔に入れ墨を入れていた、山岳民族だったのではと聞いたことがあります。だとすれば、都暮らしなどできるわけがないですし、政を行うような身分でも・・・」

「もうよい。おかしな話だとは一切思わないのだな」

「何がです?」

「合点がゆかぬと思わぬのか。いくら武勇あるとは言え、身分の低い卑しい一族を東征に付き従わさせようか。天皇の傍近く仕え、ともに平定を実現させた立役者であるのに、政の表舞台には一切出ず、挙句に値という低い姓で止まっている。言い伝えでは、士気を鼓舞せんが為に御製(おほみうた)を与えられたは道臣ではなく久米だ。さらに初代皇后選定に関わったのも久米だ。そこまでの信頼を得て愛された大久米であるのに、落ちぶれたという。なぜ納得できるのだ」

「・・・」

「少しは考えろ。そなたの人生はそなたの為だけではないのだぞ。そなたの子らに受け継ぐ大切な人生だ」

「その割には、身分、身分とうるさく聞こえる世ではないですか」

「そなたも知っている通り、私は大津宮とともに全てを失った。父などいないも同然。その結果の下働きだ。たとえ下働きであっても、この人生のどこを到着点とするか、それだけは決めていた」

「到着点・・・?」

「その、大久米とやらの祖に言われたのであろ、祈れば山をも動かせる、と。従ってみれば良いではないか」

「山が動くとは到底思えませぬが」

「・・・それではいつまでも大久米はうかばれぬな。久米は落ちぶれたままよ、阿比麻呂よ。政とは根回しや策略や陰謀の中にあるとそなたは嫌っているが、それはそなたの思い込みというものだ。少なくとも私はそうではない。道なき道を切り拓き、我が理想郷を目指し掻き分けて行く。多少体が傷だらけになっても構わぬ。毒草があらば切り落とし、烏が嘘を吹き込もうとすれば討ち落とし、道を塞ぐ人があれば言向け和し、無理ならば迷うことなく斬り捨てよう。そうまでしてでも、理想郷を目指すのは、揺るぎない信念、意志の力だ。そのためなら、山をも動かす祈りをすることなど苦ではない」

「理想の国・・・」

「そうだ。目指すは高天原の顕現よ」

「この世を高天原にしたい、と言うのですか」

「そうでないならば、何故天照大御神は孫を地上へ下したのだ。『知らせ、地上の高天原を』という意味ではなかったか」

「ではなぜ、それを邪魔する者や、私のようにそれに関わろうとしない者がいるのでしょう」

「知らぬ。何らかの理由があるのだろうが、天地への恨みか、傷つけられた哀しみか」

「政に一切関わらない民はどうなるのです?」

「我らの与えられし役割が政であるならば、民は民で役割があろ。でなければ生まれた意味がなく死霊のごとく生きねばならぬではないか」

「死霊・・・」

不比等は、にっと笑う。

「で、そなたは何のために生まれてきた。そなたは何者だ。それともそなた死霊か」

この人が律令に詳しいのは天智天皇の勅令を受けた鎌足の遺志を受け継いで密かに学び続けたからだ。

度々天武天皇に召されていたのはその件であろうとしか思えない。皇太子である草壁皇子に仕えていたのも皇后の勧めであった。

恵まれた環境とは決して言えない状況であった。そうでなければ、あのような努力を積み重ねることなくいられたはずだ。今の地位は血の滲むような努力の賜物だと私は知っている。

「私はなんと情けない男であるかがよくわかりました」

「わかればよい、今更だがな」


我が父、武麻呂と、不比等の父、鎌足の仲の悪さは有名であった。

そんな父親の事情など関係なく、不比等と私は連れ立ってよく遊んだものだ。

我らがまだ近江にいた十五の頃、大海人皇子の乱は起きた。

近江朝の重臣たちが次々と処分される中、不比等はその処分対象から外されていた。政とは一切無縁であった十五の童に何ができようか、という理由だからだと人々は噂しあった。だがそれは間違いであろう。なぜならばあの時、大海人皇子からの「飛鳥へ来い」との勅使が不比等のもとへわざわざ遣わされたのだから、そうではない何かがあると思わざるを得ない。


二人で山の上から都が荒れゆく様子を複雑な心境で見ていた。

「気持ちいいほどの敗北だな」

そう、不比等に言わせるほどの惨敗であった。

大海人皇子が即位されて天皇となられ、都を飛鳥に遷された後も、天皇は下級官人であった不比等をお召しになっては政の話などをされた。皇后となられた讃良皇女(さららのひめみこ)もまた、不比等さまを重臣であるかのように贔屓し、事あるごとに不比等へ相談されていた。

そして今や天皇の全幅の信頼を得る、朝廷の中心的人物になられた。生まれながらの才を、天武持統両天皇は見抜いていたのか。それともまた他に理由があるのか。

これだけ長い時間傍にいながら、一度も確かめていない噂がある。

だが、それはまだ聞けそうにない。

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