第4章 天命開別命

一.


阿比麻呂は急ぎ国府のある讃岐へ入り、九州へ向かう船を探し出して交渉し、ようやくその二日後に讃岐の港を出ることができた。

船上から遠のく伊予二名洲に別れの挨拶をする。

多くの不思議や奇跡に出会えた。出会ってくれた多くの人々、そして多くの気づきを与えてくれた神仏に改めて深く感謝をし、一礼した。

何故神宝を託されたかは解決されないままであった。何かしら必ず理由があってのことだろうが、もし万が一にも神仏の意思と違えれば、私は神仏から見放されてしまうのであろうか。

不安に陥りそうになったが、あの鏡が創り出した光の柱に包まれている感覚を思い出したら、全てが大丈夫、うまくいくと思えた。


太宰府へは難なく到着し、防人司(さきもりのつかさ)が阿比麻呂の顔を見て驚愕の表情を見せた。

「今までどこで何をされていたのですか。貴方さまがいらっしゃらないことを散々内裏へ文を出しましたが、もう到着している頃だ、の一点張りでしてね。まさか三年も経った後にひょっこり現れるとは思いませんでしたよ」と顔をひきつらせて言う。

当然、阿比麻呂は耳を疑って「三年・・・とは?」と問うたのだが。

おかしな男だ、という目で防人司は阿比麻呂を見ているが、本人はまだ現実を受け入れられそうにない様子であった。完全に意識が迷走していた。

あのような不思議な出来事が立て続けに起きたのだから、三年経ったと言われてもおかしくはないが、それにしても、どこでどうやってそれだけの時を過ごしたというのか。

「まぁ、理解に苦しみますが、貴方さまの代わりの方が事を済ませてお帰りになりました。もうあなた様のやるべきことはここにはありません」と防人司は言う。

さすがにそのあまりに無礼な言い方に腹が立った阿比麻呂は迷走する自己を引き戻すと、早々に都へ戻る船があるかと、防人司へ問うた。

阿比麻呂は粟国を通って、海路を難波まで戻り、畿内へと帰ってきた。

その間、神宝を持っていることを人に悟られぬよう、都に到着するまで慎重に、かつ平静を装い、決して驕り高ぶるようなことがないように細心の注意をはらった。

この神宝をどうするべきかは阿比麻呂にはもうわかっていた。だが問題はどうやってそれをお渡しするかにあった。今回ばかりは不比等にも内密に進めようと心に決める。

山を越え川を渡り、そして無事に都へと戻ってきた。


阿比麻呂は都の門の前に立っていた。

だが、まるで暗黒に支配されたかのように、都には人の気配が全くなかった。

いったいどうしたことか。

廃墟と化した都を前に、阿比麻呂は膝から崩れ落ちた。

天皇(すめらのみこと)はどこかへ御遷りになったのか。

それとも、ここは大和ではないのか。

帰京したのではなく、まだ摩訶不思議な伊予二名洲から出られていないのであろうか。

もしや、これは夢か。

赤い門の向こうに見える大路をただ呆然と見るしかなかった。


その時、例のごとくリリリーン・・・と鈴が鳴った。

もううんざりであった。

大宰府での仕事がこなせなかったどころか、その場に現れもしなかったということは、今後の阿比麻呂の官吏としての出世はなくなり、自分を信頼していた不比等へも背いたことになる。大したことのない仕事とはいえ、ようやく築き上げた今までの実績や武人としての称賛をも全て崩してしまったことになるのだ。

精神的に成長しても、現実が成長しないどころか全てを無に帰すようなことがおきたのでは元も子もない。

阿比麻呂は憤慨して地面に拳を叩きつけた。

叩きつけた拳にしっとりとした霧が絡みつく。

いつの間にか辺り一帯は濃い霧に包まれていて、先ほどまで見えていた赤い門やその先の大路どころか、目の前の石ころさえ見えなくなっていた。

ふと、人の気配がして、通りの左側を見やった。

すると、真っ白な景色から浮き出るようにして、多くの随身や舎人を連れ従えた貴人の行列が阿比麻呂に向かって近づいてくるではないか。

その車はよく見ると輿で、お上が乗られるものであったから阿比麻呂は再び驚いた。

その歩みはゆっくりだ。まるで行幸(みゆき)のように・・・。


阿比麻呂は慌てて後ろに下がり、通り過ぎるまで額づいてやり過ごそうとした。

行列のちょうど真ん中、輿が通り過ぎようかという時、行列の歩みが止まった。

阿比麻呂は何事かと、地面に伏せたまま目を泳がせる。

「そこの者、そなた何を持っておるのだ」

そう語った御声は、今上天皇の御声ではない。

天皇でなければ、この行列はどの貴人のものであろうか・・・。

「そこの者、無礼であろう!すぐにお答えせよ!」

随身らが口々に阿比麻呂に声を荒げる。

「も、申し上げます。私が持っておりますのは・・・鏡にございます」

「・・・鏡か」貴人は答える。

「はい。しかしながら、これは川で拾った物でございます故、価値はございません」

阿比麻呂がこう言ったのは、この御声の主が誰なのか分からないからだ。

今上天皇に献上すると決めていた神宝を、今ここで、誰かもわからぬ貴人へ渡してしまうわけにはいかない。

その謎の貴人は高らかに笑うと、

「私に献上はせぬというわけか」と仰せになった。

阿比麻呂は焦るが、どうしても渡すわけにはいかない。

「恐れ多くも、私はどなたにこの鏡をお渡ししようとしているのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「なんと無礼な!」という声と同時に剣を鞘から抜く音が複数聞こえ、阿比麻呂の首に冷たい剣先がぴたりとつけられるが、阿比麻呂は動じなかった。

そこは武人の端くれ、刃を当てられることには慣れていて、いざとなればその剣を奪って一人残らず蹴散らす自信が阿比麻呂にはあった。

命にかえてもこの神宝を守らねばならぬ、と覚悟していたのだ。

「良い度胸だ。拾った鏡であるなら、私に差し出しても良いであろうに。何故差し出さぬか」

「私はこの命にかえましても、神より賜りしこれらのものを守り抜かねばなりません。献上するは我が治天の君のみ。その方以外にこれを献上することはできません」

「無礼者!このお方が大王(おほきみ)である」

「お言葉ですが、お上の御声には似ておりませぬ。お姿も見えず御声も違うそのお方がお上であると申されましても、信用できましょうか」

貴人は輿を下ろさせて、ゆっくりと地面へと足をつけ、その体を空の下へとさらけ出された。

「顔を上げよ」

その言葉で阿比麻呂は顔を上げて貴人の御顔を見上げた。

そして目を見張り、手を震わせた。

まさか・・・。

このようなことがあろうはずがない。

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