第3章 阿比麻呂

五.


阿比麻呂は身体を起こすと、身体中の土埃を払ってから歩き始めた。ふたたびあの翁の元を訪れて、事の次第を話さねばならぬ気がした。


事のあらましを聞いた翁は愉快そうに言う。

「それは、御許の心の闇が神宝の光で浮き出されたのでしょうな。まぁ、ついでに黄泉の国から縁ある亡霊を呼び出したのでありましょう」と言った。

「心の闇・・・。縁ある?あのような女は知りませぬが」

「人は何かと忘れがちですからな。まさかとは思いますが、『私には心の闇などない』とでも仰せになりたいですかな」

「皆無とは思わないが、あれほどまでに深い闇を抱えているとは思ってはおりませぬ」

「闇と光は表裏一体。誰にでも闇はあるものです。その神宝はおびただしいほどの神の光で照らすものだから、闇が一気に炙り出されたのでありましょうな」

金貨をばら蒔き、人間を貶めようというあの亡霊は自分の一つの側面だ、ということか。

金と権力を欲する豪族たちならまだしも、私にそれがあるわけがない。

一度だって贅沢を望んだことなどない。都での仕事は誰かの役に立っていると思える誇りある仕事だ。毎日が充実して何不自由なく暮らせている。何の不満もない。

天武天皇の治世下で律令制度が整備され、学び舎が出来た。望んで努力をし、才能を見せつければ官人としていくらでも成功できる世の中となった。

母はいつも「お父様のように御出世なさいね」と阿比麻呂に言っていた。

若狭の豪族の息子とはいえ、所詮は値の姓しか与えられない地方豪族。都に出てきてから、大王にお仕えできるようになるまで自らの力でのし上がったのだ。

そのような父を母は敬っていたのであろう。

この都で生きてゆくこととは、職責をこなして才を発揮し、出世してその対価を受け取りながら暮らしてゆくことであろう。少なくとも、天武天皇はそのような仕組みを完成させた。

ましてや、その社会を創り上げたのは、神の子とされる天皇だ。

「それこそが映し出された闇でしょう。神々が造り上げたこの世で耐えて生きているのに、私は少しもやましい金や権力など欲しくはありませぬ、と言う」

「・・・それの何がおかしいのですか」

「神々が、『貧に耐えよ、邪な金などに心染めるな』などと言いましょうか。権力も金も結構なこと。誰よりも一番に金や権力を持っているのは神々でしょう。なのに、持ってはならぬなどと完璧な神々が言いましょうか。そのような不完全な神々であるはずがありましょうか。本物の神とは皆が豊かに、皆が幸せに、皆が健やかになることを願ってやまぬ。産めよ増えよとはそういう意味ではございませぬかな」

「これはひがみなどではないのですが、実際、神々は才を与える者と与えない者を創っているように見えます。天孫とされる天皇でさえ身分をわけ隔てる‘八色の姓(やくさのかばね)’なるものを定められた。何か腑に落ちませぬ。だからといって今おかれている状況に不満はないのですが」

「豊かさとは世に貢献された量に比例する。時のお上が感謝とともに贈った‘賞’に八色の姓という名をつけたまで。我も他人もさらに豊かに、さらに健やかに、さらに幸せに。そう思い望むのが人間というものでしょう。少し生きることについて考えられた方が良いようですな」


阿比麻呂は翁に礼を言い、納得のいかない気持ちの悪い感覚のまま外に出た。

生きるということについて、今更考えて何になるというのか、という憤慨を表に出さぬよう、注意して歩いた。

茜色の空は東の地平線から夜の色に染まるところであった。

まだ薄っすらと明るい空に、蒼白く輝く、大きな星。

あれは北辰であろう。

陰陽道士らが何かにつけと北辰、北辰と言い、大王や豪族たちが占わせては、出た結果をやたらに重んじて、青ざめたり喜んだりする。

「北辰は何より大切な星だ。あれは我が故郷と言っても良い。あの光は人に閃きを与える。あの星は古代にも未来にも繋がっているのだから」と不比等が星を見上げて言ったことが不可思議で印象的であった。

昔から人々は、北辰に向かい願えば叶うと信じてきた。水の星であるとも信じられており、雨乞いの神事や儀式は北辰に向かって行われていた、と聞いたことがある。

この胸に詰まる靄(もや)のような得体のしれない何かや払拭しきれない感情のようなもの全てが消えてなくなりますように、と生まれて初めて北辰に願った。

阿比麻呂は鏡を皮袋から取り出して、鏡面をおもむろに天へとかざした。

特に理由はなく、ただなんとなしにそうした。

無論、なんの反応も示さない。

ところが、手を下ろそうとしたその時だ。

鏡からは真っ白な光が太き柱となって立ち上り、天空高くそびえ立ったのである。

阿比麻呂は言葉にならない声を出して、顎が外れんばかりに驚いた。

それでもしっかりと阿比麻呂の手の中に握られている鏡は、小刻みに振動しながら光を放っていて、その光の振動は阿比麻呂の手を通して、体の髄を震えさせ、やがて全身に広がっていくようだ。

体は燃えるように熱くなり、阿比麻呂のすべては鏡と一体となって振動し、光の柱となって上は天高くそびえ、下は地中深く埋め込まれるような感覚であった。

その感覚の中にあって、生まれて初めて、自分は天と地の間で、あまねく繋がり生きる存在なのだと思い出した。

木々は、天から降りる太陽の光と雨を管となって地へ降ろす。

揺るがないほどしっかりと根を張った地からも多くの恵みを受けとると、木々は天と地の愛の子をこの地上へ生み出す。

我ら人間はその愛の子がなくては生きられない。澄んだ酸素も柔らかな木陰も心に染み入る緑も、みな愛の子だ。

自分もまた、この木々のように森羅万象の中で生きる一つの生命だ。

私という生命は、深く地に根ざし、宙(そら)へ羽根をひろげ、自由に優しく力強く、天地に育まれて生きている。

その感覚は、随分長い間忘れ去っていた本物の愛と本当の幸せを阿比麻呂に思い出させた。ただここに存在するだけでいい、この宇宙に存在する全てのうちの一片としてここにこうして在るだけでそれが生きる意味となることを思い出した。

生きる意味や目的を小さな頭であれこれ考えたところで、独りよがりになるだけだ。自分とそのほか全員の幸せを願えば、全てがうまくいく。それこそが生きる目的であった、と。

生きる意味とは、力ある者に守られて懸命に生きることではなく、与えられた環境で慎ましやかに生きることでもなく、定められた運命を生きることではなく、天命を生きることだ。

天命とは、腹の底から震えるほどに悦びが湧き上がる。天命を生きる時、不思議とすべてが丸く収まって、すべてがうまくいく。

迷ったら、誤魔化さず素直に自分の腹が悦ぶ方を選べばいい。

自分の腹が悦ぶものは、自己や他人から見れば損と思えることでも、やれば必ず後に悦びとなる。

それこそが天地からの贈り物だ、天命だ。

悦びが阿比麻呂のすべてを包み込み、自然と涙がこぼれた。


恍惚感に満たされて、阿比麻呂の意識に一つの記憶が蘇る。

遠い昔、私は敬愛する誰かに仕え、「我が命にかえてもその方を御守りするのだ」と固く誓っていた。何故ならば、その方を御守りすることはこの国を守護することだからだ。

『小さな石も積み重ねてゆけばいつかは雲の上から顔を出す富士のような山となるように、私もまた、積み重ねて国を造る一人として生きよう。皆と肩をくみ、手を取り合って育もうではないか』


その想いは凝縮されて光の玉となり、阿比麻呂の頭上から赤子の姿となって舞い降りてきた。

手足をばたばたさせながら、親指を加えてやんわりと微笑む男の子は、地上で待ち構えていた夫婦の腕に抱かれた。

父は慣れない仕草で赤子を腕に抱き、頬ずりをする。

「我が子よ、健やかなれ、愛される子であれ」

そう言うと空高く赤児を掲げ、陽の光を浴びた赤児は嬉しそうに笑う。

周囲は新しい命に心躍り、大きな喜びと感謝に包まれる。

古代から大切に紡がれた命の糸は、父から息子に途切れずにこうしてまた紡がれた。どれだけ長い時をこの命が紡がれ続けてきたことであろう。その糸の始まりはもう見えぬほど遠くだが、この血がこの肉がこの髄が全てを覚えている。


阿比麻呂はゆっくりとその夢から離れると、閉じていた瞼を開けて天を見上げた。

阿比麻呂の鏡から出でて天高くそびえる光の柱は、天空で光の川を創り出し、途中で大きく左に旋回している。光の川は再び地上へと戻り北辰の左側、つまり東側の山の向こうに降りているように見えた。


翌朝、阿比麻呂は日が昇る前に村を出た。

昨日の態度を恥ずかしく思い、後悔していた阿比麻呂は、再び翁の元を訪れて、今度こそ丁重にお礼を言う。

翁は笑いながら「行く末が楽しみなことです」と言い、旅立つ阿比麻呂に稗や粟の握り飯や団子、木の実、それと天日に干した小魚を笹に包んで持たせてくれた。

「おぉそうじゃ。これを持っていきなされ」

そう言って翁が最後に渡してくれたものは、大きな鈴の周囲に小さな鈴山ほどついた祭祀に使う道具のようなものであった。

「鈴、ですか」

「これは役に立つ。特にこれからの旅路には必要不可欠なものになりましょう」

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