第2章 久米の子ら

二.


君はたいそうご不満の様子で、眉をひそめられて仰せになる。

「これは古事記(ふることぶみ)ではないか。みなが知っているところだ。今更何を語るのだ」

娘はうつむいて瞳を潤ませ、腹の前で組んでいる手は小さく震えている。

「なれど、これが観えた物語にございます。私にも、何故古事記の物語だったのか・・・」

叱責を覚悟で申し上げた娘は、今にも泣きそうな顔であった。

「そなたを責めようとは思うておらぬ。しかし、何故大久米であろうな。神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が話の中心でもなく、民らから人気のある倭建命(やまとたけるのみこと)などでもなく」

沈黙が辺りを包んでいた。

仕えの者たちは皆寝静まったのであろうか。

雑多な物音は何一つなく、ただ澄み切った月夜が静かに空にあるだけだ。

月は早くも中天に達していて、月の周囲に輝く七色の光の環からは惜しみなく生命力がこの地に注がれている。

君の言うとおり、このような夜に月読をせずにおくのは、あまりに勿体ないことと思えた。

その君は先ほどから黙られたままだが、急に何かを思い出されたかのように、くくっと小さく笑われた。

「なるほど。おもしろい。今後何を語るか楽しみぞ」

と仰せになり、娘に久米を知っているのかと問うた。

君の想像どおり、「存じ上げません」と答えた為、久米について語られた。

今も大祭後の豊明(とよあけ)の節会(せちえ)で久米舞は舞われる。道臣の臣下であった久米部の士気を高める為の、神倭伊波礼毘古命の御製だと知らぬ者はいない。

気がかりなのは、古代にあれだけの栄華を誇った大伴氏に比べ、久米は朝廷内では一切名を聞かぬし、文献にも出てこないことだ。失脚したのか、はたまた故郷にでも帰ったのか。

「どうなのだ」

「わかりませぬ」

「であろうな。明日は母上が盛大な花見の宴を開かれるそうだ。久しぶりに兄上のご機嫌でもとってまいるか」

君が放たれた面倒そうな言葉とは裏腹に、そのお顔はたいそう嬉しそうであった。


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