闇の試練

第21話 闇の試練 前編

「あれ?ここは……?」


(娘よ……久しぶりだな)


 見渡す限り真っ暗な闇の中で、声だけが聞こえてくる。私がそれを夢だと認識したのはしばらく時間が経った後だった。久しぶりに聞く闇神様の声。

 それは懐かしさすら感じるほどだった。私はついその聞こえてくる声に反応していた。


「あれ?闇神様?」


(お主の力を試させてもらうぞ……)


 久しぶりに聞く闇神様の声は、しかしそう一言言うと不意に消えてしまう。色々聞きたい事、話したい事があったのに何一つ言葉を交わせないまま、この暗闇の夢の中で私はひとりきりになってしまった。最後に言っていた"力を試す"って一体どう言う意味だったんだろう。


「ちょ、何を言って」


 私の言葉は虚空にすうっと取り込まれていく。もうこの問いかけに答えてくれる者はいない。私は途方に暮れて辺りを見回した。

 視線がどこを向いても闇以外何も分からないこの空間は、ここが現実世界ではない事だけを寡黙に主張している。それはまるで覚めない夢の呪いにかかったようですらあった。


「ゆ、夢だよね?」


 何もない真っ暗な異世界に取り残されると誰だって不安を覚えると思う。例に漏れず私もそうだった。

 逆に夢だからこそ、そこに自分の意志の介在する可能性を感じて、私は今ここにいて欲しい人材の名前を叫んでいた。夢だからこそ答えてくれるものだと信じて。


「有己ーっ!」


 今側にいて欲しいのは神出鬼没のあのちょっと面倒臭い私の守護者を自認するあの男の名前だ。彼ならばこんな時でも呼べばやって来るかも知れないとそう思えたから。

 しかし私の予想に反して、その呼び声はただ虚空に消えていくばかりだった。


 ――返事がない。ただの夢のようだ――。


 漆黒の闇の牢獄に閉じ込められた私は次に闇神様が語った言葉について考え始めた。もうそれくらいしかする事がなかったからだ。

 夢の中の時間はそれこそ永遠とも呼べるほどだ。多分ずっとその事を考え続けていられるだろう。例えずっと明確な答えが出なくとも……。


「試すって一体なんだろう?」


 ずっと考えて、考えて……それでも答えなんて出るはずもなくて……私は考えるのをやめた。私と言う存在が闇の中で浮かんでいる。もうそれだけでいいやとすら思えてきた。

 そんな時だった。急に暗闇だった世界が色付き始める。そして瞬きの間に何もなかった空間が見慣れた地元の景色に変わっていた。

 そこには見覚えのある人物の姿もあった。


「あれは……?優子?」


「あら、どうしたの?」


 夢の中の優子は仲が良かった頃そのままの彼女を演じていた。私に向ける屈託のない笑顔が眩しい。それは最後に見た現実の優子の顔とは正反対のもの。

 私は一瞬、それが夢だと言う事を忘れて問いかけてしまった。


「優子、どうして?」


「?」


 この私の問いかけに彼女はきょとんとしている。つまりこの優子はハンターじゃない優子、私のそうであって欲しいと願う理想の優子だ。


「はは、夢だよねこれ……」


 私は自虐的に笑った。これが闇神様の仕込みだとして、私に何をさせたいのかまださっぱりその目的は分からない。分からないならそれが分かるまでこの茶番に付き合ってやろうと。


 優子は仲が良かったあの頃と同じようにニコニコと笑いながら私に話しかけて来た。


「しおり、うどん食べに行こっか」


「またうどんー?」


 ああ、なんて懐かしいやり取りだろう。昔はこんなやり取りを週に1回はやっていたような気がする。私は当時を思い出して、当時と同じ反応をしていた。

 心が拒否しても身体が覚えてるのかな。それは無意識の反応だった。


「いいじゃん、うどん美味しいんだから」


「まぁ、付き合ったげるよ」


 私が優子の要求を了解すると、すぐに場面は転換する。気がつけば私たちはセルフのうどん屋さんでうどんを食べていた。注文すらした記憶がない。

 その段取りまで省くなんて野暮だなあ。私の目の前には釜揚げうどん、優子の目の前にはぶっかけうどんが並んでいる。


「どうよ?」


「確かにここのうどんはコシがあって美味しいよね」


「でしょ?」


 ああ、このやり取り……。これだよ、私が幸せを感じていたのは。セルフのうどん屋さんで他愛もない会話を楽しむ。これがどれだけ楽しかったか。

 失ってしまった今なら分かる。現実の優子は演技で私に付き合ってくれていたのだとしても、あの時に感じたこの想いは本物だよ。私はここが夢の世界だと言う事も忘れて優子に話しかけていた。


「あ、あのさ……」


「何?」


「いつまでもこのままの時間が続いたら……」


 夢の中の間だけでもいい。目覚めるまでの一瞬でいい。どうかこの時間をもっと楽しませて欲しい。その想いが私の口をついて出ていた。勿論これは私の本心だから、何も恥ずかしい事もない。

 この素直な気持ちはきっと優子にも伝わると思っていた。本物じゃない、私の願望が具現化したこの夢の中の優子になら……。


「はぁ?何言ってんの?」


「え……?」


 思い切って私が想いを口に出した時、優子から返って来た答えは私のも望んだものじゃなかった。さっきまで笑っていた彼女の顔がぐにゃりと歪む。

 私はすぐに嫌な予感がした。そうして次の瞬間、優子は決定的な一言を私に告げたのだ。


「何で敵のあなたと仲良くしなくちゃいけないの?」


「で、でも……」


 この時点で優子は私の記憶の一番新しい部分、ハンターとしての彼女に変わっていた。何故?だってここは私の夢の中のはずなのに。夢の中でどうして現実と同じ展開にならないといけないの?さっきまでの優子を返して!


 私がそんな苦しみを感じていると、邪悪な笑みを浮かべた彼女がポツリと一言こぼした。


「で、あなた、今何を食べているの?」


「なにって、うど……」


 優子に指摘されて、さっきまで食べていたうどんを確認すると……そこには美味しそうな釜揚げうどんではなく、残飯が山盛りで悪臭漂う見るに耐えないものが丼に盛られていた。さっきまで確かに美味しそうなうどんだったはずなのに!

 私が丼を見て鼻を押さえて嫌な顔をしていると、優子が見下すように声をかけてきた。


「勝手に闇神の宿主になったあなたにはお似合いよね!」


「優子!」


 私は悲しくなってつい強めに彼女の名前を叫んだ。怒っている訳じゃない。現実の優子はこんな事は言わない。彼女の姿をした目の前の何かが、優子の真似をして彼女を陥れているようなそんな気がして、私は悲しかったのだ。

 そして目の前の優子モドキは私に名前を叫ばれた事で更に好戦的になっていた。


「何?やる気になった?」


「このくらいで?」


 私は冷静を保っていた。何を言われても気にしないようにと心を戒める。少なくともこの程度で心が動いてしまったら目の前の優子モドキの策略に乗るみたいで面白くない。

 この私の態度を見て彼女は何かを企んでいそうな顔をしてにやりと笑う。


「ふーん、余裕じゃない」


 これは今後第2、第3の嫌がらせをこれからしてくるに違いない、そんな態度だった。私はこの後に何が起こっても動じないようにと心を鎮める。

 するとすぐにまた周りの景色がぱっと変わってしまった。今度はどこかの部屋の中のようだ。明かりがろうそくだけで周りはよく見えない。

 流石に夢の中だけあって不思議な事が簡単に起こる。突然景色が変わった事に意識を取られて、私の身にも何かが起こっている事に気がつくのに時間がかかってしまった。


「あ、あれ?」


「悪いけど拘束させてもらったわ」


「うそ……」


 よく見るとこの部屋は拷問部屋のようだった。私は磔台のようなものに身体を固定されている。これはもう悪夢と言う他ない。

 私の身体を固定している拘束具は自力でどうにか出来るものではなく、身体の自由を奪われてもはや何も出来なくなってしまっていた。この状況で猿ぐつわをされていないのが唯一の救いだろうか。

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