第20話 恐るべきバイオテロ その3

 ひとりの犯人を取り囲むには過剰とも言えるほどの人数だ。


「このくらい集まればいいかぁ……みなさ~ん、大切なお知らせです。大事な人とのお別れは済ませてきましたかぁ~?」


 男は集まった警察官達を前に嬉しそうにそう宣言する。それはまさしく何かを仕掛ける気まんまんと言う態度だった。この言葉に集まった警察官達は戦慄する。

 男の至近距離には最初に現場に到着した警察官がひとりいたものの、残りの応援の警察官は男の動きを警戒して迂闊に近付けないでいた。

 そんな中、応援の中のひとりが上司に先行する警察官のバックアップの許可を伺っていた。


「私にも行かせてください!」


「待て、奴が何を企んでいるのか分からん。薬物対応スタッフが揃うまでは刺激させるんじゃない」


 部下の提案を却下する上司。それは当然の話だった。男が不敵な態度を取る以上、下手に動くのは相手の術中にはまる事になりかねない。

 進言した警察官も上司のこの言葉を受けて沈黙するしかなかった。何事にも失敗は許されない。相手は薬物を使いこなすプロフェッショナルと予想されている。そう言う相手と対峙するには警察側もそれなりの備えが必要だった。

 応援の警察官達がひとりも動かない事を察した男は、その行動からすぐに警察の意図を察して、いたずらっぽく笑いながら彼らに声をかけた。


「あれぇ?まさか僕が君達の都合通りに動くと思ってる?思っちゃってるぅ?」


 この男の言葉に集まっていた警察官達は一気に動揺した。何か仕掛けてくる!と。全員が一気に拳銃に手をかけていた。何かあったら発砲してでもこの男の行動を止めなければと。

 しかし行動は男の方が早かった。


「残念でした!全員死ね!」


 男はそう言うと手をかざした。その手から何かが噴出される。無色無臭のその何かはまず至近距離にいた警察官を襲う。そしてそこから間をおかずに集まっていた警察官達にも次々に襲い始めた。その毒の広がりは恐ろしい程の速さだった。

 その結果、誰ひとりとして一歩も動く事なくその場にバタバタと倒れていった。


「ウグアァァァァ~!」


「う~ん、いつ聞いても人の苦しむ断末魔の声はいいねぇ~」


 苦しむ警察官達の声を聞きながら男はひとり悦に浸っていた。そうして警察官達の苦しむ声が聞こえなくなるとまた男はどこかへと消えていった。

 薬物対応スタッフが現場に駆けつけた時、そこには25名の警察官の死体が転がっているばかりだった――。


「何だと?全滅?それで?ウチの署員達は無事なのか?」


「……どうなんです?」


 報告を受けた警部は意気消沈していた。その態度を見て全てを察した俺はそれ以上言葉をかけるのをやめた。

 謎の薬物テロ犯を追い詰めたと報告を受け、俺は念の為に対策室に待機していた。要請があればすぐに出動出来るようにしていたんだ。

 全ての報告を聴き終えた警部は悔しそうな顔をしながら、俺にその報告された情報を伝えてくれた。


「全員が絶望的だと……くそっ、私達はまんまと敵の罠にかかってしまった。多くの正義に燃える同僚が……」


「俺、行きますよ。まだ犯人は近くにいるかも知れない」


 悔しそうな警部の言葉が胸に痛い。俺はいてもたってもいられなくなって警部に声をかけた。今更現場に行っても何の役にも立たないのかも知れない。

 けれど、何かしないとこの胸の中に宿ったものを抑えきれない。俺の言葉を聞いて警部は快くこの願いを了承してくれた。


「ああ、済まない。念の為に待機なんて出し惜しみするんじゃなかったな。君ならば、君のそのスーツならば」


「そうですよ、もっと頼って良いんです。俺はヒーローなんですから」


 俺を頼る警部の姿はどこか寂しげだった。こんな部外者に頼らなくてはいけないその状況がそうさせていたのかも知れない。

 俺は少しでも警部に元気になってもらおうと強がりを言った。こんな事くらいしか出来ないのが自分でも情けなかったけど。

 警部は俺のこの言葉を受けてキリッとした表情になって俺の肩に手を置いてこう言った。


「では、よろしく頼む、この街の危機を救ってくれ!」


「ラジャー!」


 警部からの力強い言葉を受けて俺は早速現場へと向かう。現場を調査した薬物対応スタッフの話によると、もうこの現場に毒物は残留していないとの事だった。

 遺体の収容も終えたその場所にあったのはボロボロの高級そうなソファーだけ。安全は確認されていたものの、念の為に警察によって現場には人はひとりも入らないようにされていた。誰もいない薄暗い廃ビルの駐車場はその場所自体が不気味に見えた。


 俺は駐車場の中をぐるぐると見回しながら、犯人の手がかりになるものがないか注意深く観察する。めぼしい物は全て回収されてしまったのか、ガランとした駐車場内に犯人のヒントになるようなものは何も残されてはいなかった。放置されたソファーにすら痕跡は何も見当たらない。


「しかし、当然だけどもうこの場所にはいないな……」


「現場の毒の痕跡を採取して。解析するから」


 俺が途方に暮れていると所長から連絡が入る。彼女によるとどうやら手がかりはまだ現場に残っているらしい。俺はこの連絡を受けて、すぐに現場に向かったのは正解だと思った。

 しかし、所長のリクエストは中々に難易度が高い。どうしていいのか分からず、俺は彼女に答えを求める。


「でもどうやって採取をすれば……」


「多分犯人は気体の様なものをバラ撒いたはず……取り敢えず周辺の空気だけでいいわ」


「瓶詰めにでもすればいいんですか?そんなものは」


 戻って来た答えは俺をさらに困惑させるものだった。空気を採取だなんて、そんな機材は持参していないんだけど――。俺の反応にようやく求められている答えが分かったらしい所長は、今度こそ具体的にその方法を指示してくれた。


「人差し指を立てて風を感じるような仕草をしてみて、それでデータは採取出来るから」


「了解」


 空気を採取とはその空気の成分を採取する事だったらしい。スーツにそんな機能まで仕込んでいたとは流石用意がいいとしか言えなかった。

 それともこう言う事態を最初から想定していた?真意は謎なものの、この空気成分採取はすぐに終わった。さて、次は何をすればいいんだろう。


「今日はもう撤収?それとも捜査でもしますか?」


「そうね、まずは一旦事務所に戻って来て。そこでまた説明をします」


 出来る作業を全て終えて、俺は一旦事務所まで戻った。殆ど何も出来ないまま戻るのは正直納得の行かないものがあったものの、ここにずっと突っ立っていてもそれで犯人が見つかる訳じゃない。それよりも数少ない手がかりから犯人を見つけ出す方が先だ。


「只今戻りました」


 事務所に戻ると、早速所長が真面目な表情で俺の方を向いて触っていたPCをこちらに向ける。もうすっかり準備は出来ていると言う訳だ。


「じゃあこのモニターを見て」


「解析、終わったんですか?」


 この状況に俺は少し間抜けな返事をした。伝えたい事がなかったら指示なんてしないはずなのに。この返事に所長は少しムッとした顔をしながら現在の状況を説明する。俺はその話を素直に聞く事にした。


「解析も終わったし、これは警察にもちゃんと話をつけたから正式な依頼としてしっかり仕事をするわよん」

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