第91話 泰葉、倒れる その3

 その頃、泰葉は自室で布団に潜り込んだまま、うんうんと苦しそうに唸っていました。前日の朝から体調が優れず、ベッドから起き上がる事すらままならなかったのです。と、言う訳で彼女はトイレ以外はずうっと横になって過ごしていました。


「うーんうーん」


(大丈夫?)


「大丈夫じゃない……。どこでウィルス貰っちゃったんだろ?」


 泰葉自身はこの体調不良の原因を風邪だと思い込んでいました。風邪だと思えばこそすぐに治るものだと信じ込めたのです。それは自分に対する慰めの意識でもありました。

 しかし彼女の様子をじいっと眺めていた西洋人形はその甘い幻想を軽く打ち破ります。


(風邪とは限らないわよ?)


「いや、きっと風邪だよ。だから薬飲んだら治る!治るはずだから!」


(多分家庭用の薬じゃ……)


 ナリスは泰葉の症状を想定して、それが簡単に治らない事を分からせようとしますが、その話を聞きたくない彼女は大声を出してすぐに耳を塞ぎます。


「あーあーあー!聞こえない聞こえなーい!」


(じゃあ、とっとと寝て早く治しちゃってね)


「眠れるならとっくにそうしてるよ」


 体調が悪くなってからずっとベッドに横になっていたため、十分過ぎるほど睡眠を取ってしまっていた彼女は眠るに眠れません。弱音を吐く泰葉を見ていた人形は憐れみを感じ、何とかしようと一計を案じます。


(そっか、じゃあ私がとっておきの子守唄を歌ってあげる)


「うん、頼むね……」


 ナリスの歌声は精神に心地良く響き、ただそれだけでかなりの睡眠効果をもたらしていました。しかも歌っているのが子守唄です、催眠誘導ミュージックのように、彼女は呆気なく深い眠りの中に落ちていくのでした。



 それから数時間後、学校が終わり放課後になったところで、お見舞部隊が泰葉の家を訪問します。メンバーはセリナとアリスの2人。セリナは軽く様子を見るだけのつもりですが、アリスはもし泰葉が重病なら本気で能力を使って治すつもりでいます。

 呼び鈴を鳴らしてお見舞いだと告げると、母親は快く2人を家に上げてくれました。2人はすぐに泰葉の部屋に向かいます。

 軽くノックしたところ、内側から何の反応もなかったので心配になったセリナはそうっと静かにドアを開きました。


「泰葉、起きてる?」


 彼女の部屋を見渡すと生活感のあるある程度散らばった室内と、机の上にちょこんと座っている西洋人形、そしてベッドで布団をかぶって寝息を立てる少女の姿がありました。


「寝てマスネ」


「寝顔だけ見てると、そんな病人には見えないね」


 2人が寝ている泰葉の寝顔を興味深そうに覗き込んでいるその時でした。この部屋のもうひとりの同居人が、何の前触れもなく彼女達の脳内に直接語りかけます。


(でも、調子は悪そうなの……)


「うわ!びびった!まさか直接脳内に?」


(ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんだけど……)


 ナリスは驚かせてしまった事を無表情のまま2人に謝りました。セリナはこの人形に対し、普通の人と接するのと同じ態度で返事を返します。


「いや、いいよ、びっくりしただけだから。こんにちは、ナリス」


(あ、そう言えば挨拶を忘れてましたね。こんにちは、皆さん)


 ナリスは改めてこの泰葉の友達の見舞客に挨拶をします。丁寧に挨拶をされた2人もぎこちなく頭を下げました。普通にコミュニケーションが取れると言う事が分かったので、セリナは意を決してずっと泰葉の様子を見ていたであろうこの人形に尋ねます。


「ナリス、泰葉の病気は普通の病気なの?もしかして……」


(いえ、それは分かりません。普通の病気である事を願ってはいますが……)


「だ、大丈夫だよ。風邪、風邪だって」


 どうやらセリナ同様、ナリスも泰葉の容態を心配していたようで、慌てて彼女は慰めの言葉をかけました。そんなやり取りを横目に、アリスは眠っている彼女のおでこにそっと手を当てます。


「熱はあるみたいデス!」


「え?本当?」


 その報告を聞いたセリナは、泰葉が本格的な病を患っていると感じて動揺します。それで重病人かどうかを判別する、もうひとつの条件をナリスに尋ねました。


「食欲は?食欲はあるの?」


(食欲もそう言えば……昨日の晩御飯以降は……)


「2食抜いているのかぁ……。重い風邪にかかると食欲なくすって言うよね」


 人形の報告を聞いた彼女は腕を組んで考え込みます。眠っている泰葉はそんなに苦しそうには見えません。食欲はなくても、熱が出ていると言う事は病気がどんどん治ろうとしている傾向にあると言う事――セリナは自分の経験と照らし合わせ、そう判断しました。

 ずっと腕を組んで考え事をしている彼女を見て心配になったアリスは、真剣な表情でセリナに話しかけます。


「これって快方に向かっているって言う事なのでショウカ……」


「熱は心配だけど、特にうなされてもいない訳だし、きっと明日こそは学校に来てくれるよ」


 不安がる彼女を安心させようと、セリナは明るい声で明るい展望を口にしました。この言葉を聞いた彼女の表情がパアアと一気に明るくなります。


「そ、そうですヨネ!」


 折角お見舞いに来たものの、当の本人が寝息を立ててるのであんまり騒がしくしてはいけないと言う事で、2人はすぐに帰る事にしました。部屋から出ていこうとすると、その背後からナリスの声が脳内に直接届きます。


(今日はお見舞い有難う。泰葉も後できっと喜ぶと思う)


「ナリス、泰葉が起きたら私達がお見舞いに来たって事、ちゃんと伝えてね」


(お安い御用ですよ)


 こうして2人の御見舞はただ彼女の寝顔を確認しただけで終わりました。靴を履いて外に出た彼女達は、明日泰葉が無事学校に登校する事を信じ、それぞれの家路についたのです。



 次の日、セリナ達が期待した元気な泰葉の姿ですが、残念ながらこの日も教室にありませんでした。この件について鈴香も淋しそうに声を上げます。


「みっかめぇ~」


「セリナ達はお見舞いに行ったんでしょ?どうだった?」


「えっと、私達が行った時はぐっすり眠っていたから……」


 ゆみの質問に受けて、セリナは昨日の彼女の様子を話します。この会話をしている時に突然アリスが声を上げました。


「あ!」


「アリス?」


「大丈夫そうでも、あの時ちゃんと能力を使っていれば良かったデス」


 そう、彼女は昨日御見舞にいった時に能力を使わなかった事を後悔していたのです。がっくりと項垂れるアリスを見て、一緒にお見舞いに行ったセリナが優しく慰めました。


「過ぎた事をずっと悔やんでいても仕様がないよ。また今度にしよ」


「私、今からチカラを使ってミマス」


 思い立ったが吉日とばかりに、アリスはまぶたを閉じて突然能力を使い始めます。他のクラスメイトがいる教室の中で異能の力を使って、もしかしたら騒ぎになるかも知れないと感じたセリナはすぐにその行為を止めようと手を伸ばしました。

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