第110話 なおの記憶 その2

 そのリクエストを受けて、先輩はさらなる段階へ進むヒントを提示する。


「第1段階で位置イメージと魔法座標をシンクロ出来るようになったら、次は現在地の把握だよ」


「よぉーし……」


 こうして彼女の転移魔法習得へのチャレンジは続く。昨日と今日の違いはこの場所になおがいない事だった。彼女は覚えたての転移魔法を使って、とある場所に転移を試みていたんだ。その場所とは、転移魔法を使わなければ容易には辿り着けない場所――。


「ふう……」


 なおが魔法の成功に安心してため息を付いていると、そこにその部屋の責任者がふらりと姿を表した。長い黒髪が知的な雰囲気を漂わせるサアラ部長だ。


「おや、もうマスターしたんだ、早いね」


「ぶ、部長!」


「やあ、なお君。転移魔法マスターおめでとう」


「い、いえ……」


 部長に褒められて彼女は頬を赤らめる。どうやら召喚魔法部の部室には部長しかいないようだ。生徒会の命を受けて暗躍しているらしい他の部員は今日も目にする事はなかった。

 部長はひとりで部室にやってきたなおを見つめ、優しく声をかける。


「で、今日は何の用かな?私は招集をかけてないけど?」


「ぶ、部室に勝手に入っちゃダメですか?」


「いや、大歓迎さ」


 彼女の言葉を聞いた部長は優しく微笑みかけた。それから椅子に腰を掛け、彼女にも座るように勧める。その言葉の素直に従ったなおも椅子に座ると、まるで言い訳をする子供のように早口でこの場所に来た理由をまくしたてた。


「あの、私、転移魔法がちゃんと使えるかちょっと試してみたかったんです」


「ああ、見事に大成功だね」


 部長はニッコリ笑うとなおの魔法の成功を褒め称える。召喚魔法部の少し薄暗くて、怪しげな雰囲気の部室に知的美人の部長2人きりと言うシチュエーションはなおをとても緊張させていた。



 その頃、転移魔法の習得に励むマールはようやく今日が昨日と違う状況だと言う事に気付く。その違和感に顔を左右に振って、本来いるべき人物の姿を確認しようとした。


「あれ?」


「こらそこ、集中する!」


「や、分かってるんだけど……なおちゃんはどこに行ったんだろ?」


 その素朴な疑問に間髪入れず、スパルタ先輩からのきつい言葉が彼女の心を突き刺す。


「先にマスターしたんだから、ずっとお前に付き合う義理もないだろーが」


「そ、それはそうかもだけど……」


 流石にこの言葉はかなり効いたようで、マールの顔は動揺の色に染まった。彼女がいないと言う事が精神的不安を生み出し、当然のようにマールの集中力が乱れていく。それが魔法習得に悪い影響を及ぼしている事を読み取った先輩は、強い口調で彼女を指導した。


「さあさあ、さっさと感覚を掴みな!第1段階クリアしたならそう難しくはないだろ!」


「いやこれ結構難しいですって!」


「難しいなら余計無駄口は叩かないい!集中あるのみ!」


「だからもうちょっと具体的に何とか……」


 相変わらずのふんわり指示に彼女は閉口する。とは言え、魔法の習得には先輩の言葉に従うしかなかったので、何とかこの数少ないヒントから感覚を掴み取ろうとマールは悪戦苦闘を続けるのだった。



 召喚魔法部での部室では、部長と2人きり状態のなおが意を決して話を切り出していた。


「あの、質問があるんですけど……」


「何かな?」


「この転移魔法ってどこにでも行けるんですか?」


 彼女の疑問はこの転移魔法の限界についてのものだった。ミーム先輩の指導で魔法自体の習得は出来たものの、特性などは特に聞いていなかったのだ。

 なおの質問を聞いて大体の事情を飲み込めた部長は、微笑みをたたえたまま優しく返事を返した。


「ああ、そうだよ。本人が一度でも訪れた事がある場所ならね」


「それが魔法壁の向こう側でもですか?」


「それはどう言う……?」


 彼女の発したこの想定外の一言に流石の部長も目の色が変わる。雰囲気が変わった事を敏感に察したなおはすぐにこの質問の意図を説明した。


「私、昔の記憶がないんです。気がついたら浜辺に打ち上げられていたのだそうです」


「つまり、君は島の外から来たと……?」


「あ、いえ……ただ、その可能性はあるのかもって……」


 部長の静かで鋭い質問に彼女は思わず口ごもる。答え辛い雰囲気を察した部長は両手を組むと、自分の考えを淡々と口にした。


「……確かに政府の魔法登録が漏れてるとは考え辛いね」


 フォーリン諸島の住民は産まれた時にその情報を魔法で管理している。原則的に魔法登録は誰ひとりの漏れもなく、そのためにこの島において身元不明の人物は存在しないはずなのだ。たとえ本人の記憶がなくなったとしても、魔法特性を照合すればどこの誰かはすぐに判明する。

 なおがそのシステムに引っかからなかったと言う事はつまり、最初から彼女の魔法特性が登録されていない事を意味していた。


 考えに耽る部長を前になおの質問は更に続く。


「島が壁で守られているって事は外にも世界があるって事でしょう?」


「そうだね。確かに原則的に言えば転移は可能だと思うよ。ただし、距離に応じて魔力も消費するだろうけど……」


「すごいですね、転移魔法」


 部長の話す転移魔法の特性に彼女は感心した。魔法壁は島を守る壁で、魔法的にも物理的にも外界と遮断している。その壁を超えられるのだ、転移魔法なら。ただし、それをする事でどれだけの魔力を消費してしまうのか現段階では誰も知らない。何故なら、今まで魔法壁の外に出ようと試みたものが誰ひとりとしていないからだ。

 そもそも、現地の情報を知らなければ転移出来ない特性上、誰も島の外を目指そうと考えなかったのも当然と言えるだろう。


 なおの話を聞いてからずっと思考を巡らせていた部長は、そこである可能性に辿り着く。


「待てよ?じゃあ君がもし記憶を取り戻して、それが魔法壁の向こうの出身だと言う事になったなら……」


「転移魔法でその場所にも行けるって事ですよね?」


「ああ、そうなる。君は戻りたいかい?」


 新たな可能性の道が切り開けた事で、改めて部長は彼女に問いかける。なおはこの質問にすぐには答えられなかった。しばらくの沈黙の後、絞り出すようにぽつりぽつりと言葉を漏らす。


「……思い出す記憶次第でしょうか?もしそれが楽しい記憶だったなら……」


「君の両親の事もあるだろうし」


「両親……そうですね、私にもいるはずですよね」


 なおは部長の発したその言葉に声のトーンを落とした。自分の両親について、今までに考えた事がない訳ではなかったけれど、考えても仕方がないと半ば強引に諦めていたのだ。もし記憶が戻ったなら――転移魔法で会いに行く事も可能だろうかと彼女の頭の中で様々な可能性がぐるぐると渦巻いていく。

 部長はなおが記憶を失った理由を考え続け、やがてひとつの仮説に辿り着いた。


「うーん、君が何も思い出せないのは魔法壁の影響なのかも知れないな」


「それは……私を診てくれた先生も言ってました」


「記憶、思い出したいかい?」


 部長はそこで満を持して彼女に問いかける。どうやら部長にはなおの記憶を思い出させる何らかの方法を知っているようだ。この魅惑的な話に、しかし彼女はすぐに飛びつかずに慎重な対応をする。


「えっ、でもクリング島にいた頃に色々と試して……」

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