第140話 土蜘蛛退治 その7
逃げる土蜘蛛の背後を狙ってキリトはいつの間にか取り出していた団扇を振りかぶり、そのまま力任せに思いっきり扇いだ。途端に発生した突風に巨大妖怪は呆気なく吹き飛ばされる。まるで風に翻弄されるビニール袋みたいに、土蜘蛛は何の抵抗も出来ないままものすごい勢いで山肌にぶつかった。
「ぐああああっ!」
巨大妖怪は苦痛の叫び声を上げその場にひっくり返る。身体は傷つき、体液をとめどなく垂れ流していた。たったの一撃でこの威力。私は天狗の団扇がすごく怖くなってしまった。
ひっくり返った土蜘蛛は、それでもまだ命はあるようでピクピクと動いている。その様子を見た私は思わず口を両手で覆った。
「どうして……」
「俺達への依頼は土蜘蛛退治だ。逮捕じゃない」
動揺する私に対して、キリトは飽くまでもクールに振る舞う。なんでそんなに冷徹になれるの?害虫駆除とは違うのに。相手と意思疎通が出来るのに。
私はこの事態を止められなかった事に、ひどく罪悪感を感じてしまっていた。
私達の関係が少しギクシャクし始めたその時、ひっくり返っていた巨大妖怪はタイミングを見計らってヒョイッと飛び上がる。そうして見事に体勢を立て直した。
「甘いな……この程度、すぐに回復する」
「生きてる!」
土蜘蛛がまだ死んでいなかった事が分かって私は喜んだ。復活した土蜘蛛は、けれどかなりのダメージを受けてる事には変わりない。まだ傷口は開いたままだし、このままだといずれは命の炎も消えてしまう事だろう。
そんな状態になってなお闘志は失っていないようで、キリトの顔をにらみつけて彼は挑発する。
「どうした?早くとどめを刺せよ」
その言葉に呼応するようにキリトは無言で団扇を振りかざした。きっとその攻撃がトドメになってしまうと感じた私は必死でそれを止める。
「キリト、待って!」
「何だよ。こいつは……」
「私、まだ納得出来ない。このまま退治だなんて」
私はもう無我夢中で喋り続けた。この際、もう説得出来なくたっていい。ただ心に溜まったものを全部吐き出すみたいに訴え続ける。
そんな抗議を前にキリトも気が立っていたのか、普段とは違う熱意で私に言葉を返した。
「お前を殺そうとしてきた相手だぞ!」
「でも私は無事だよ!」
そんなやり取りを黙って聞いていた土蜘蛛は冷静に会話を分析する心の余裕があったのか、私に向かって話しかける。
「へぇ、お嬢さんは優しいねえ」
「てへへ」
「ああ、こんなに優しくされたのはいつぶりだろう」
庇われたのがよっぽど嬉しかったのか、その鬼のような顔が優しく歪んだ――ような気がした。実際はあんまり変わってはいないのかもだけど。私は土蜘蛛のそんな一面を引き出せただけで満足だった。
そうして、この雰囲気の今なら本当の話が聞けるかもと改めて話しかける。
「話を聞かせて。本当の事を」
「ああいいさ。本当の事だろう。俺が仲間を殺したのはなぁ……」
気を許した私はこの巨大妖怪の間合いに入ってしまっていた。攻撃されても服の防御力で無効化出来る。それが油断を誘ってもいたのだと思う。土蜘蛛の声をよく聞き取ろうと私は更に接近する。
ある程度まで近付いたところで土蜘蛛の顔が本来の邪悪な表情に戻った。それを見た私は、怖くなって一瞬身体が動かなくなってしまう。
「服がダメでも首ならどうだあっ!」
そう、土蜘蛛の狙いは私の首。胴体を狙って効果がなかったので今度は服に守られていない場所を狙ってきたのだ。油断させて近付けさせ、その上で確実に仕留める。私が目の前の巨大妖怪を信用しようとしてしまったために最大のピンチが訪れてしまった。
どうしよう、体が、こんな時に体が動かせない!
「ちひろーっ!」
土蜘蛛の腕が私の首に接触する刹那、とんでもない切れ味の突風がまたしても吹き荒れる。キリトの放った風の刃が今度こそ巨大妖怪をバラバラに粉砕した。
こうして私の命は助かり、それと同時に今回の依頼も達成された。私が助けたかった妖怪はもうただのバラバラ死体と化している。
呆然と立ち尽くす私の隣に、キリトが降り立った。
「……どうして」
「いや、もう無我夢中で」
彼はさっきの自分の攻撃の理由を言い訳のように口にする。
けれど、私が欲しいのはそんな言葉じゃなかった。涙をためながら私は命の恩人の顔を見る。
「そうじゃない、どうして土蜘蛛は……こんな事……」
「それはもう分からないよ」
「だよね」
地面に転がるバラバラの妖怪の成れの果てをしばらくの間私達は眺め続けた。この間、2人共ずっと無言だった。自分達のした事が心にしっかり収まるまで何も喋る事が出来なかった。
……長い沈黙の後、手を下さなかった私の方から先に言葉をかける。
「やっぱり後味悪いね……」
「うん……」
それから私達は土蜘蛛の亡骸が埋まる大きな穴をお宝の力で掘り、その中に土蜘蛛だったものを収め、簡単なお墓を作った。両手を合わせ、しばし冥福を祈る。
それで気持ちの整理をつけ、私達は天狗城に戻った。その道中も何となくお互いに話しかけられないまま。無言で城に着くと、いつものようにハルさんが出迎えてくれた。そう、今日もいつものように。
「おお、2人共見事であったぞ!」
「ハルさんはずっと見ていたんですよね」
「うん?ああ、そうじゃが?」
一部始終を眺めていて、どうして変わらない態度が取れるのだろう。やっぱり妖怪だからなのかな。それとも、人間でも軍隊だとこんな感じなのかな。
どうにも気持ちを察してくれそうもないハルさんに向かって、私はポツリと言葉をこぼす。
「もうこう言うの嫌です」
「ふむ」
「嫌です!」
一度言ったくらいでは思いが届いていない気がした私は、同じ言葉を二度繰り返した。二度目は語気を強め、強い意志を示したつもりだ。
けれど当のハルさんは私の態度にどこか納得がいかないのか、首をひねる。
「お主が手を汚した訳ではないじゃろう?土蜘蛛を退治したのは……」
「目の前で生き物が死ぬのを見るのが嫌なんです。それが妖怪でも!」
嫌と言う感情だけでは伝わらなかったので、今度は具体的な理由を口にした。最初こそはその勢いに圧倒されたような態度をとったハルさんだけど、すぐに真顔に戻ると、逆に私に向かって意味深な言葉を投げかける。
「いつまでもそう言っていられるかのう」
「なっ……」
その言葉の裏には今回のような退治仕事が今後も続く事を示唆していた。私はその事実にうまく言葉が喋れなくなってしまう。私達の会話を黙って聞いていたキリトはここでようやく重い口を開いた。
「ちひろ、もういいよ。また退治の話があったら俺だけでいくから。それでいいですよね?」
「ま、まぁお主らがそれで納得するのならな」
こうして話はまとまり、次は大天狗に仕事の報告をしに向かう。今までは仕事の達成感もあって楽しく雑談をしながら最上階に向かえていたものの、流石に今回は無言のまま重い空気を維持して大天狗の間にまで辿り着く。
そうして襖を開けると、今朝と変わらない光景が私達を待っていた。
「うむ、土蜘蛛退治ご苦労であったな」
「あの……。何故あの土蜘蛛は退治されなきゃならなかったんですか」
大天狗に仕事の報告をした後、堪りかねた私はつい自分の思いを吐き出してしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます