晴れてハレルヤ(2)
京也と直彦は、並んで帰路に着いていた。
奈由は一足先に退室し、その後すぐに潤も野暮用があると消えていった。葵とは同時にビルを出たが、舞高の寮は反対方向である。そのため彼ら二人が、先ほど杏季を寮まで送り届けたところだったのだ。
寮の前から元の道へ引き返し、数メートルほど歩いたところで、京也は隣の友人をちらと窺う。
「念のため聞くけど。お前、杏季ちゃんのこと好きなのか?」
京也の問いに、直彦は正面を向いたまま答える。
「好きと言う単語のニュアンスにもよるけど。それが恋愛感情を抱いているのかどうかという意味なら、
「だったら。お前のあれは悪質だぞ」
非難がましい目つきで、京也は直彦を睨む。
アジトから寮へ向かう道中、直彦と杏季の距離はかなり近かった。
寮の近くでは流石に離れていたが、それまではほぼ終始、直彦の方から手か腕を絡めていたし、事あるごとに髪へ触れたり肩を抱き寄せたりしていた。そのいちゃつきぶりは、二人の特殊な関係性を知らなければ、恋人といって何ら違和感のないものだ。居た堪れずに、京也の方が逃げ出したかったくらいだ。
しかし当人の杏季がもし逃げたくなった時に助けられるよう、渋々、彼も最後まで同行していたのだった。
結果として、それは杞憂に終わったのだが。
「お前に気があるならまだしも。許婚にしたいがために杏季ちゃんを籠絡しようとしてるならタチが悪い」
「そっちじゃないよ。さっきのは、彼氏彼女としての振る舞いをしてただけだ」
悪びれずに直彦は答える。
「許婚の方で関わるつもりなら無闇に触らないし、むしろ蝶よ花よと丁重に扱うよ。だけどさっき急に言われて、姫様に接するモードで扱い続ける方が彼女も困るだろ。
京也も知ってるだろ。許婚云々はともかく、今の関係性については俺が言い出したことじゃない」
「そりゃそうだけど」
直彦と杏季が付き合っていることにしてくれ、と言い出したのは他ならぬ杏季だ。先ほど直彦が許婚の打診をしたのは確かだが、それは杏季が宮代と距離を置いたことに伴う派閥の思惑によるもので、それとこれとはまた別の話である。
「杏季ちゃんは別に、見ていて熱苦しいほどいちゃついてくれとは頼んでないだろ」
「さては京也、羨ましいか?」
「違うわ呆れてんだよ。見せられる方の身にもなれ」
「お前、先帰ればよかったじゃん」
「あの直彦の責めっぷりに、杏季ちゃんが引いて怖がらないかどうか、心配にならんほど冷たくはないんでね」
なるほどね、と直彦は頷き、京也に弁解する。
「心配するのも分かるけど、彼女が嫌がるようなことは絶対しないよ。白原さんに嫌われたら困るってのは、さっきの話で分かってるだろ」
「それにしたって、やり過ぎじゃないのか」
「そのボーダーラインを探るための試みだよ。反応をみながら加減はした。さっきので白原さんの許容範囲というか、どこまで踏み込んで良いかのさじ加減は、だいたい把握したよ。結論としては、もう少し頻度を下げて人目も避ければ大丈夫だ」
何食わぬ顔で直彦は言った。第三者からしてみれば節操のないように見える行為でも、彼の方では、ぎりぎりのラインを分かってやっていたのかもしれない。事実、杏季は耐えられたのだ。
直彦は尚も続ける。
「周りにそう謳ってるだけの、仮面夫婦ならぬ仮面カップルだと、すぐにボロが出るだろ。そこを見逃してくれるほど竜太は甘くない。普段から恋人よろしく振る舞ってないと、すぐに見破られるよ。
京也はさっき、許婚にしたいがためにやってるのかって言ったけど、逆だよ。許婚にならないのなら尚更、仲良しであることをアピールしとかなきゃならない。でないと、白原さんを籠絡しにかかってくるのは宮代の方だ」
「……理屈はまあ、分からんではないが」
「っていうのが建前の理由だね」
「建前」
直彦の言葉に、京也は顔を上げる。
「じゃあ本音はなんだ」
「率直に答えるなら、ただの我欲だけど」
「我欲」
「別の直接的な単語に置き換えた方が分かり易いか?」
「置き換えなくていい!」
慌てて京也は遮った。
一方の直彦は、腕組みしながら空を仰ぐ。
「いやあもう、完全に役得でしかない。普通に最高」
「何言ってんだお前」
「だって正々堂々と女の子といちゃつけるなんてご褒美以外の何物でもないだろ」
「思った以上にゲスい発言をするんじゃあない!」
「じゃあ逆に聞くけど。ふわふわした可愛い女子が嫌いなオスっているの?」
「お前な……」
「そりゃ人によって、好みの系統の違いはあるとは思うけど。だけど京也の好みだってどっちかっていうと」
「言いたいことは! 分かった!」
京也は直彦の話を無理矢理に終わらせた。
ため息を吐き出して、京也は額に手をやる。
「リンの前じゃ絶対にそういう発言するんじゃないぞ。宮代だけじゃなく、そっちからも闇討ちされる羽目になるからな」
「あれ。あいつって、そうなの?」
へえ、と呟いてから、直彦はやはり、しれっと続ける。
「臨心寺に言っておいてよ。
『夏からずっと目の前にいたのに手を出さなかったくせ、昨日あの場ですら躊躇してそのまま静観してた方が悪い』
って」
「言えるかバカ」
京也は二度目のため息を深く吐き出した。
横目で彼を見ながら、直彦はぽつりと言う。
「すぐ手が届くところに居るのに、それに慢心して何もしないのは、バカのすることだ」
口元にだけ笑みを浮かべ、直彦は京也を見つめる。
「臨心寺に何かを言われる筋合いはないよ。あいつの落ち度だ。
俺は、白原さんとの関係は、ビジネスライクな互恵関係だと思ってるけど、
「お前のそれには結構な我欲が入ってるみたいだけどな……」
「どうせなら死ぬ前に一度くらい、いい目みたいじゃんか」
直彦の言葉に、諦めて京也は肩をすくめた。
「お前が割り切ってるのは分かった。けどな、もし杏季ちゃんの方が本気になったら、どう責任とる気だ?」
「そしたら、それこそ責任をとって許婚になってもらえばいいだろ。全てが丸く収まる。何の問題もない。シンプルに最高じゃん」
「お前の責任の取り方は、現代ではやや飛躍してんるだよ……」
直彦の返答に京也は頭を抱えた。
小首を傾げて、直彦はさらりと言う。
「心配しなくても、白原さんは俺のことは好きにならないよ。そもそも、これ自体が竜太への当てつけなんだし」
「そりゃそうだろうけど。けどな、杏季ちゃんは男に耐性のない温室育ちなんだ。今はそうだとしても、お前からそう扱われるうちに、後から気持ちが変わることだってあるだろ」
「白原さんに、不特定多数の男への耐性がないのは事実だろうけどね。けど、『気を許した相手からの接触』への耐性がないわけじゃないよ」
直彦はひらひらと右手を振った。
「さっき程度のスキンシップなら、彼女は竜太に日常茶飯事でされていた。それでいて竜太は、清々しい程に彼女への下心が一切なかったから、『触れてくる』イコール『気がある』ってことじゃないのを、白原さんはよくよく身に染みて知ってるんだ。だからあの程度の接触じゃ、絶対なびかない。女友達と戯れてるのと同じ括りだと思う。
後々、危ういと思うよ。彼女、野郎の下心に気付かないんじゃないのかな。俺が言うと
直彦の言葉に、京也は顔をしかめた。
「……改めて、罪深くないか? 宮代は」
「罪深いよ。おまけに無自覚だから最悪だ。こと白原さんのことになると、全然、人の話は聞かないしね」
「そんな厄介な男を、どうしてまた杏季ちゃんはずっと好きだったんだろうな……まあそれが厄介なところなんだろうが」
「――そう。だから、白原さんには安心できるんだ。さっき話した理屈以上に、そうそう彼女はぶれないからね」
何気なく漏らした京也の台詞に、直彦は独り言のように呟いた。
「あのレベルまでの同類には、流石に初めて会ったよ」
「同類?」
京也の問いかけには直接答えず、直彦は
「俺と白原さんは、案外と似たもの同士だよ。だから恋愛関係は無理でも、きっと信頼関係は築けると思ってる。
ああ、ただそうすると、友達として情が湧いて、動揺させる可能性はあるかもしれないな。
さすがにそれは――かわいそうだから。場合によっては、途中で考える必要があるか」
「……何の話をしてる?」
「こっちの話だよ」
顔に笑顔を貼り付けて、京也の疑問を無視してから、直彦は思い出したように告げる。
「そうだ。このこと、東風院妃子には言うなよ」
「今のところ言ってはないけど。あんだけ噂をばら撒いておいて、今更何を言ってんだよ」
「そっちじゃない。許婚云々の話だ」
人差し指を立てて、直彦は唇に当てた。
「最終的にばれるのは仕方がないし自然の流れだが。ルートってもんがある」
「ルート」
「お前経由で伝わるのはよろしくないってだけだ。彼女には、家経由で伝わるのが望ましい」
「よく分からんが……分かったよ」
「頼んだよ」
にんまりと笑みを浮かべて、直彦は足早に前へ進み出た。京也を追い越しざま、さながら独り言のように呟く。
「お前には今後、健やかでいてもらわなくちゃ困るんだから」
意味深な言葉に、京也は眉を寄せる。
「何だよそれは」
「あまり深く気にするな」
立ち止まり、直彦は京也を振り返った。
「――ただの、友人としての我欲だよ」
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