secret base(3)
――二つ前の世界。2005年10月16日。
水橋廉治は、この時も本番後に月谷潤の元を訪れた。
+++++
「レン!」
学園祭での舞台を終えた後。控室となっている教室を出たところで、廊下の向こうに廉治を見つけた潤は、飛ぶようにして彼のところまで駆け寄って来た。
「よくこんなとこ来たな!?」
「随分なご挨拶ですね。ジュジュの晴れ舞台なんだから、そりゃあ来ますけど」
「いや、だってさぁ……」
濁された語尾に、彼女が言わんとするところを汲んで、廉治は淀みなく答える。
「メグとは鉢合わせないように気をつけましたよ。ジュジュの出番開始直前に入って、終わったらすぐ撤収しましたから。
それにもし顔を合わせたって、その時は、
『引っ越しにあたって片付けをしたら潤さんの忘れ物が見つかったので届けに来ました、あいにくと連絡先を知らないもので』
って言い訳しますからね。メグが自分で撒いた種だ、納得するしかないでしょう」
「すっげえイヤミ」
「100%純然たる事実ですし」
「お前、恵に対しては昔から、ほんと、そういうとこあるよな」
「それだってメグの自業自得でしょう。言っときますけど、僕からは一度も向こうにケンカを売ったことはないです」
苦笑いを浮かべながら、潤はさりげなく、ちらと周りを気にした。
「ごめん。別の場所に移ろう。ちょっとこっちは、今まずい」
「何かありました? ……ああ、さっきのアルド、高神楽直彦の発言で、杏季さんが動揺してパニックになっているとかですか」
「いや。それより悪い」
彼女はゆっくり首を横に振った。黙って廉治を促し、控室からは死角になる廊下の角まで移動すると、潤は珍しく言葉を選びながら説明する。
「どうやらさ。その前に宮代氏から連絡が来てたらしくて、あの小動物の……直彦の話をちゃんと受け止めるように、みたいなメールがあったらしいんだよ。
それを受けてのあの発言だろ。動揺というよか、あっきーが荒れに荒れてさ」
廉治は怪訝そうに眉を寄せた。
「あの馬鹿、馬鹿なだけじゃ飽き足らずに、最悪な馬鹿だな」
「全国一位の宮代氏にすげえこと言ってる人がいる!?」
「だって馬鹿以外に形容のしようがないだろ」
口調を崩すと、険しい表情のまま、廉治はいたって真面目に潤に告げる。
「そこまで杏季さんとは親しくないから僕からは言えないけど、あとでジュジュから『竜太みたいな変態だけは止めた方がいい』って言っといてあげなよ」
「私からだって言えるかよぅ! それこそ私なんて宮代氏のこと、『全国一位であっきーの幼なじみ』ってこと以外ほぼ知らないんだが!?」
「友達を泣かすような男は、相手がよく知らない奴でも忠言した方がいいよ」
「後半は納得だけど、いや、実はちょっと違うんだ。
あっきー今、泣いてるんじゃなくマジギレしてる」
「えっ杏季さんがマジギレしてるんですか。ちょっと見てみたいんですけど」
「余計に場が混乱するから、まーじでやめてくれ!」
「今なら杏季さんと少しは仲良くなれそうな気がする」
「おーまーえーなー! 仲良くなるのは大いに結構だが今じゃねーんだ今じゃ!」
控室の方に身を乗り出した廉治を死角に押し戻すと、わざとらしく咳払いして、潤は話を戻した。
「ともあれ。今もあっきーを落ち着かせるのに、飲み物買いに来たとこなんだ。だからあんまり長居できないんだよ。悪かったな、せっかく来てくれたのに」
「僕が勝手に来ただけなんだし、それは気にしないでいいよ。
じゃあ話は手短にして、本題を」
廉治はポケットから、小さな茶色の封筒を取り出して潤に渡した。受け取った潤が中の紙を開くと、アルファベットと記号の羅列が二行、書いてある。一行目の羅列は「http」から始まっているところをみるに、ホームページのアドレスのようだった。
「これは?」
「個人サイトのURL。と、その掲示板のパス」
「個人サイト」
「僕のだよ」
「エッ意外お前そんなのやってんの!?」
「やってないよ」
「いや待てどういうことだ!?」
「持ってるけど、中身はないって意味。ちゃんとサイトとして運営するつもりはないからね」
片手で携帯電話を開き操作しながら、廉治は事情を説明する。
「メールの代わりに使えるよう、昨日の夜に作ったんだ。メグの目を欺いて連絡を取り合う上で、それでいて利便性を考えると、こういう形式が一番かなと思って。
今度からは、ここの掲示板を使って連絡を取ろう。メールほど即座には反応できないけど、確認しようと思えばすぐ見られるし、十分かなと。
掲示板はパスワードがないとアクセスできないから、僕とジュジュしか見られない。そもそもアクセス数を伸ばす気のない作りだし、平凡な仕様にしたから、検索にもそう引っかからないだろうけどね」
目的のページに辿り着き、廉治は潤に携帯電話の画面を見せる。そこにはパスワードの入力欄が表示されていた。そこへ紙の二行目に書いてあるアルファベットを入力すると、「テスト」という文字列だけが投稿された掲示板が開く。
「なるほど。天才だなお前……」
感心してから、潤も早速、自分の携帯電話を開いてURLを打ち込んだ。
繋がったサイトには、申し訳程度のフリー画像に、掲示板へのリンクがあるのみだ。
「まじで何もないな」
「言っただろ、中身がないって。
もっとも、万一メグに履歴を覗かれたとしても怪しまれないように、後でダミーの日記くらいは置いとくつもりだけど。同級生か誰かの個人サイトだと思われるような感じにね」
「ていうかこのパスワード」
「これなら絶対忘れないでしょ」
「そりゃあな……」
情報量の少ない掲示板を上から下まで確認してから、潤はやや控えめにぽつりと告げる。
「これなら、恵にもそうバレないだろうし、バレたところで簡単にゃ探られないだろうけど。
けど、ここまでする必要あるか? もう恵は向こうに帰るんだし、普通にまたアドレス登録すればよくない?」
「弟のストーカー力を舐めない方がいいよ」
真顔で廉治は顔を上げる。
「事ある毎に、何らかの手段を使ってチェックしてくるだろうし。多分、僕の携帯の番号もメールアドレスも暗記されてる」
「面倒だろうけど、アドレス変えるってのは」
「下手すると今の僕の交友関係まで把握されて、そっから情報を取られる可能性すらあるから始末が悪いんだよ。
ジュジュは本気でメグのそういうところを侮らない方がいい。警戒し過ぎるくらいし過ぎても、ちょうどいいか怪しいレベルだよ」
「そんなに!?」
「子どもの頃で相当だったんだ。今はもっとヤバいと見ていい。小1か小2かそこらで、スーの裏事情を突き止めた奴だろ」
「いや、まあ、そうだけど。にしたって、遠くに居てそんなことできんのかなぁ……」
「それをやるのがメグだろ」
廉治の弁に困惑しつつ、しかし概ね潤は納得したようだった。
潤は開いていた廉治のサイトをブックマークに登録し、携帯電話を閉じる。
「恵は。お前がレンってことに気付いてるんかな」
「……どうだろうな」
廉治もまた、携帯電話をポケットにしまい込んだ。
「昨日、メグは僕のことを『
「『芦原』……じゃあ恵の奴、気付いて?」
「いや。気付いてもおかしくはないけど、多分、それが僕だとは結び付いてない段階なんだと思う。
気付いてたら、もっと昨日、とんでもなく当て擦られてたと思うよ」
「確かになぁ……」
想像して、潤は呆れ顔を浮かべた。
「当時あの辺には、他にも何件か芦原姓の家があったしね。
そもそも僕らは本名で呼び合ってなかったし、学校も違ったからフルネームを名乗ったり聞かせたりする機会はなかった。ジュジュすら知らなかったんだ。メグとは絡みが少なかったし、その辺の有象無象だと思われてただろうから、それ以前に僕の事なんか覚えてない可能性だってある。
あの頃のメグは、スーのことで手一杯だったろうから。だから僕がジュジュのとこに居ても消されなかったんだろ」
「消され!?」
「だからメグはそういう奴なんだって。
ジュジュにメグのヤバさの自覚がないのは、その脅威の情報収集能力が発揮されるのが今は多分ジュジュに対してだけだからだよ。なまじ当事者だから気付かないんだ」
廉治は当たり前のような口ぶりで言った。
潤は腕組みして空を仰ぐが、否定はしきれないようで、うーんとただ唸る。
「まあ。念を入れるに越したこたぁないか」
「うん。最適解かは分からないけど、現時点ではこれが一番無難な方法だと思うよ。パスワードが割れる可能性もゼロじゃあないけど、あれなら、メグはそう打ち込みたくないはずだし。
デジタルにはアナログを、と言いたいところだけど……アナログの方が外に露出する分、逆に気取られそうだし。東京にいるくせ、こっちにもツテはいろいろあるっぽいしな」
「そうだなぁ。……にしても、これ整えるのも面倒そうなのに、よく一日で準備したな」
「そんなでもないよ。今はホームページくらい簡単に作れるしね。
それに、メグの裏をかいて出し抜いてやるほど楽しいことある?」
「……そうだった。レン、恵に対してはそうだったよな」
目の前の幼なじみに、当時のようすを重ね合わせて、潤はまた苦笑いを浮かべた。
「そういや、引越しはどうなったんだ?」
「するよ。明日」
「手際早ァ!?」
「元々大した荷物もないしね。昨日の時点でほぼほぼ終わってた。じゃないと、さすがに今日は来られなかったよ。だから引っ越す前に、どうしても今日までにどうにかしたかったんだ。
そうそう。それと、もう一つの本題」
廉治は持っていた紙袋を彼女に手渡した。
受け取った潤は、紙袋の中を覗き込む。
「なんだよこれ?」
「花束とお菓子。差し入れだよ。皆で分けて」
「おー、ありがと! でも、受付に場所があっただろ」
「受付でなんかやってると、誰かに見られるリスクが上がるじゃんか」
「それもそうか」
「それに。直接、ジュジュに渡したかったからね」
照れるでもなく、からかうでもなく、ごく自然にそう言うと、廉治は柔らかい笑みを浮かべた。
かえって潤の方が気後れして、少しだけ目を逸らす。
「良かったよ、演奏。僕も多少なりとも協力した甲斐があった。
だけど、制服で出て大丈夫だったの?」
「他に思いつく衣装なかったしな……。服装のこと考えるのすっかり忘れてて、うちらの学祭の時と同じ感じにするしかなくてさ。
だけど今回は、上はさすがに文化祭Tシャツじゃなく私用のTシャツにしたし、まあバレないだ」
「スカートが思い切り舞女の制服なのに、バレないわけないでしょ。同じ市内なんだから」
「ぐっ」
廉治の指摘に、潤は「広まらないのを祈るだけだな……」とぼやいた。
そんな彼女を見つめながら、廉治はにこやかに伝える。
「お疲れ様、ジュジュ。聞きに来てよかったよ。
今日は立て込んでるみたいだし、今度もっとゆっくり話をしよう。また、あの頃みたいに」
「おう!」
廉治の労いの言葉に、潤も照れくさそうに笑った。
「多分。どうせ言葉通りにしか受け取ってないんだろうけど」
人混みに紛れ、学園祭を後にしながら、廉治は独りごちた。
門を出てから振り返り、まだ潤がいるのであろう校舎を見つめる。
「今はこれでいいか。
これから先は、いくらでも時間はあるんだし」
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◇参考
【第3部】コウカイ編
間章:学園祭サラバンド
「アドバイザーの厭世的独白」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887133778
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