晴れてハレルヤ(1)
――二つ前の世界。同日の2005年10月18日。
臨心寺裕希は、宮代竜太を呼び出さなかった。
******
高神楽家の所有するビルこと、チームCの元アジト。
――の、三階。
直彦からの話が一段落した後。奈由は理由を付けて、他のメンバーより先に一人で二階の休憩室を後にし、そこへ辿り着いていた。
三階は普段、彼女たちが使用することはなかった。そこにあったのは、水橋廉治の暮らしていた居室である。けれども今回、奈由は躊躇なくドアを開ける。
中にいた人物を見て、少し驚いたように目を見開くが、彼女は黙ったままだった。音を立てぬよう慎重にぴたりとドアを締め切ってしまってから、ようやく奈由は口を開く。
「あら。来てたんですね」
「ええ。図らずもタイミングが被ったみたいですね。お帰りなさい」
廉治は、何気ない口調で奈由に声をかけた。部屋の主であった廉治の存在にはそこまで驚かないものの、奈由は首を傾げる。
「あっきーから聞いたけど。確か引っ越したんじゃなかったんだっけ?」
廉治は念のため、杏季あてに形式的なメールを送り、定期的にこのビルを利用している彼女たちへ引っ越す旨の連絡をしていた。それで彼女たちには大まかな事情が伝わっている。
「昨日、引っ越しましたけど。最低限のものは運びましたが、まだ全部ではないので片付けに来たんですよ」
元から殺風景な部屋であったが、ベッドと机が撤去され、更に輪をかけて簡素な空間となっていた。けれども確かに私物と思しき幾つかの品が、多少、残っている。
「あら。じゃあ勝手にお邪魔しちゃって申し訳ない」
「いえ。元々この建物は僕の所有ではないですし、貴重品は既に運んでいますから、別にそれは構いませんが。まさか、こんな展開になっているとは思いませんでした」
元からのビルの備品なのであろうパイプ椅子に腰掛けた廉治は、そう言って隣にいる人物に目を向けた。
奈由も一緒にそちらへ顔を向ける。
「よく聞こえた?」
彼女の問いかけに、臨心寺裕希は頷いた。
「おかげさまで。ところどころ怪しい箇所はあったけど、ほとんど全部分かった」
言いながら裕希は、普段の彼が所有している携帯電話とは異なるPHSの通話ボタンを切り、奈由に渡した。
「それは良かった。定額料金、万歳ですね。素晴らしい」
「しっかし。どっから調達してきたんだよ、こんなの」
奈由が丁寧な仕草でそれを自分のバッグにしまうのを見つめながら、裕希が尋ねた。奈由はしれっと答える。
「念願の恋人ができて喜び勇んで通話用の
「いわくつきじゃん……いや待て。それなら普通、あるのは一台だけじゃね?」
「親が厳しいという元彼氏の分も含めて二台分持ってたからね」
「こっっっわ!」
「眠らせとくより、活用させたげた方がウィルコムも満足でしょうよ。ま、本来、想定している使い方と違うけどね」
裕希が奈由に渡したPHSは、先程までずっと通話状態になっていた。その通話先は、奈由の持っているもう一台のPHSである。
奈由は直彦たちとの集合場所であった2階の休憩室に行くより先に、近くで待機すると言っていた裕希と個別に連絡をとって、密かに3階のこの部屋に忍び込んで待機するように依頼していた。
そしてPHSを裕希に一台渡して通話状態にし、奈由は自分の持つPHSを制服のポケットに隠し持った状態で2階へ行って皆と合流。そのまま直彦の話を聞き、3階で待機している裕希が話の内容を聞けるよう、電話を繋ぎっぱなしにしていたのだった。
そうして裕希は、たまたま部屋を訪れた廉治と共に、直彦とのやり取りの一部始終を聞いていた。
「こんなの、よく貸してくれたな」
「一眼レフを貸してたんだもん、それくらいはねぇ。もちろん後で通話分のお礼はするよ。
普通の携帯だと料金行きそうだったし、たまたま近くにそういう子がいたからお願いしただけだよ。いなかった場合は腹を括って私と臨少年の携帯で同じことをしてた。一時的に割引適用にしてね。
ああ、そうそう」
奈由はすっと手を広げて裕希の方へ伸ばした。
「というわけで。等価交換ですよ臨少年」
「金とんの?」
「私のじゃないし、お金は別にいらない。欲しいのは、そうだね……。
例えばアオリンのスナップ写真……。できれば剣道着とかの……」
「なんでだよ!?」
「ほら、何かに使えるからね」
「何かとは」
「何かっていったら何かだよ。そうだね……煽ったり燃やしたりとかかな……」
「何を!?」
「何かだよ……」
呟いて、奈由は怪しい笑みを浮かべた。奈由に慄きつつ、しかし裕希は首を横に振る。
「そー言われたって、アオの写真なんて持ってねぇけど。女子高生と違って男子高生はそんなに写真撮んねーよ」
「
「なんで知ってんだよ!?」
「同じ塾の子の彼氏の元同級生なの」
「それは赤の他人だろ」
口を引きつらせつつも、裕希は頭をがりがりとかいて承諾する。
「まあ、それくらいならしゃーないか。あれは又聞きじゃなく、直接聞くべきやつだった。……ていうか」
裕希は今になって目を見開いた。
「マジ? なんか、とんでもねー話を聞いた気がしたんだけど」
「全くです」
隣で廉治が頷く。
「あんなことまで話すとは思わなかった」
「そう言う割には、お前は驚いてなかったじゃんか」
「僕は知ってましたからね」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声をあげ、裕希は廉治を凝視する。
「え? 知ってたって、そりゃ依代計画のことは知ってただろうけど」
「全部です」
「杏季があっちの世界の王女だってこと?」
「はい」
「なんで知ってんの!?」
裕希の疑問には答えず、廉治は足を組んだ。
「けれど、これで皆さんも諸々の合点がいったでしょうが。だから夏の時には、大ごとにしないために、子どもだけで片を付ける羽目になったんです。
そして、だから白原さんには今まで誰も手が出せなかった。常軌を逸していた僕以外ね」
「それ自分で言っちゃう?」
「事実ですからね」
「あれ。てか、夏にはお前も杏季の正体は知らなかったんじゃねーの?」
「知らなかったですよ。だけど竜太の過保護っぷりから多分そうだろうなと思ったから狙いをつけたんですよ。その方が手っ取り早いですからね」
「つうか。曲がりなりにも王女に手を出して、お前は大丈夫だったの?」
「大丈夫ではないですが、他の人間がそれをやることと比べたら大丈夫ですよ。直彦は、僕というスケープゴートがいたから無事でした」
廉治の言葉に、裕希は一旦、口を閉ざしてから、真顔で廉治を覗き込む。
「お前、マジでなんなの?」
「……杏季さんが。真正面からそれを僕に聞きに来たら話します」
裕希の視線を受け流し、廉治は腕を組んで言う。
「今ここで貴方に話すのは簡単ですが。迂闊に聞かない方がいい。聞くなら、杏季さんの後ろ盾があった状態の方がいいです」
「なんだよそれはよ……」
「別に隠したいわけでもないですが、流石に対外的にちょっと。僕のことは、中枢ですら知らない連中が多いんです」
「お前も大概ヤバそうだよな」
「そうでもないですよ。杏季さんに比べたらね」
「まあ、そりゃそうか。……っていうか」
裕希は椅子の上であぐらをかき、膝の上で頬杖を突いた。
「なんだよ
「許婚……素敵な響き……」
「一切、素敵じゃねぇ!」
うっとりした奈由の言葉を、裕希は吐き捨てるように一蹴した。
「クッソ、直彦の野郎なにを言い出すかと思えば。この二十一世紀に何言ってんだよあいつ。よりによって、なんか杏季まで乗り気だし……」
最後の方にいくにつれ、裕希の声は次第に小さくなった。
廉治は「まあ」と呟き、頷く。
「杏季さんを許婚にするのが叶ったら。高神楽にとっては御の字でしょうね」
「お前、まさかソッチも知って!?」
「諸般の事情は知ってましたが、直彦の提案内容までは事前に知るはずないでしょう。
けど、驚きの提案というほどじゃあないですよ。現代にはそぐわない話に思えますが、あの界隈にとっては、直彦が言っていたとおり強烈な効果がある」
裕希を一瞥してから、廉治は続ける。
「けれど。別にそこまで気に病む必要はないと思いますよ。本人も言っていたじゃないですか、政略結婚だって。信条に則った契約みたいなものです。
少なくとも現段階で、直彦は杏季さんのことをそういう目線では見ていないですよ。好意があるなら、もっとマシなアプローチをするでしょうし」
「後で気が変わる可能性はあるだろーが」
「そこは否定しませんが」
「それに、今は勝算がないからって、外堀から埋めてく作戦かもしれねーし」
「勘ぐり始めたらキリはないですが……まあ僕の場合だったら、今回の直彦みたく、
「ほら安心できねーじゃん!」
「……といいますか、余計なお世話だと思いますけど」
廉治は小首を傾げた。
「だったら昨日の時点で、杏季さんと直彦の交際を阻止して、自分が相手役にでも名乗り出れば良かったのでは?」
裕希は間抜けに口を開ける。
「杏季さんとしては、竜太に仕返しできれば良かったんでしょう。状況的に直彦へ依頼する流れになりましたが、極論、相手は誰だって良かったはずでは」
「……お前にそーゆーこと言われる日が来るとは思わなかったな」
「真理」
奈由がぱたぱたと拍手した。
「そこで『ちょっと待ったぁ!』と乱入してくれたら最of高だったんだけどね。アッでもそういうことやるならビデオの準備も要るから事前に予告しておいてもらわないと困るので次にやるときには連絡してくださいます?」
「やらんししねぇ」
奈由の茶々に短く答えてから、裕希は口を尖らせて弁解する。
「仕方ないだろ。昨日の段階じゃ、こんな茶番に巻き込まれたナオだって、不憫だと思っちまったんだからさ。まさか、こんっな方向に転ぶと思わなかった」
「今からでも遅くないと思いますけどね」
不貞腐れる裕希を眺めながら、廉治は助言する。
「自分の気持ちを伝えないにしても。僕だったら、演技だろうがなんだろうが、好いた相手が自分以外の誰かと付き合おうなんて試み、もっともらしい理由をつけて阻止しますけど」
「お前にもそういう感情あんの?」
「……僕のことなんだと思ってます?」
廉治は眉間に皺を寄せた。
「ともあれ。貴方は後で、染沢さんに感謝した方がいいと思いますよ。許婚の件、草間さんまで流されかけていましたからね」
「だって楽しいことなら楽しいですからね」
「……貴方、普段の冷静沈着なキャラどこに行ったんです? IQが3くらいになってません?」
怪訝そうな顔で、廉治は奈由を見遣った。普段のポーカーフェイスではなく、今や彼女の目は爛々と輝いている。深入りしてはいけない気がして、廉治はそっと奈由から目を逸らした。
「というか。草間さんはてっきり、臨心寺さんの味方かと思っていましたが、違うんですか? わざわざウィルコムまで確保してあげたわけですし」
「それはまた別の理由も込みですからね」
正気に戻り、奈由は答える。
「念のため、いざという時の伏兵として、臨少年には待機してもらってたんですよ。おそらく大丈夫だろうとは思ったけど、どうせ近くで待機してるんだったら、ここに潜んでもらった方がちょうどいいと思って。何かあったときにはすぐ動けるしね。
で、それならリアルタイムで状況を把握して貰った方がいいかと思って」
「待てよ」
奈由の説明に、裕希はがばりと顔を上げる。
「結果的に何も起こらなかったとはいえ。それなら俺ら、いわゆるWin-Winの状態じゃね? 俺だけワリ食ってない?」
「過去のことを蒸し返すのは良くないと思うよ少年」
「今の話だよ」
不満げな裕希の言は無視し、奈由は続ける。
「私は。あっきーが幸せになれるんだったら、どっちでもいいからね。
もっとも今のところ、部屋に篭って盗聴しかしてない少年よりは、あっきーの立場に気を遣いつつも真正面から許婚を申し込んだ直彦氏に軍配が上がりそうだけどね」
「ぐ」
「水橋氏も言ってましたけど、『手を出しそう』とか意味分からん言い訳並べてこそこそ逃げてるくらいなら、現場に乗り込んで花嫁を攫ってくるくらいの気概を見せたら如何です?」
「僕はそこまで言っていませんが……」
否定しつつ、しかし廉治は奈由に加勢する。
「とはいえ概ねは草間さんに同意です。攫うのはともかく、なんで今日あそこに加わらなかったんです?」
「う」
「『何かあったら乗り込んできて良いよ』って事前に言っといたのに、直彦氏にあっきーが何されても結局来なかったですしねぇ。臨少年的には何もなかったんですかねぇ。まぁそれならそれでいいんじゃないですか?」
「ぐぬ……」
「そういえば草間さん。最後の方、妙にシャッターを切っていましたけど、あれ何を撮影してたんです?」
「直彦氏があっきーに跪いて手の甲にちゅーしてる場面ですね」
「ハァ?」
険のある声を裕希が上げるが、奈由は無視する。
「いやあ良い絵が撮れた……是非ともあっきーにドレス着せて、直彦氏には騎士の格好をさせたいですねぇ」
「それはこちらの世界ではコスプレですが、なまじ向こうの世界だとほとんどリアルなのでコメントしづらいですね」
「それは本当で!?」
「あっちの服装は、ほぼ西洋のそれだと聞いてますよ」
「じゃあ私が提案した軽井沢ウエディングもより映えそうですねえこうなったら詳細を詰め」
「だー!!!!!」
二人の会話に耐えかね、声を上げると、裕希はおもむろに立ち上がった。
「行ってくる」
「どこへです?」
「愚問ですね水橋氏、あっきーのところに決まってるでしょう」
ホクホクとした表情で奈由は頬に手を当てる。
裕希はドアノブに手をかけたが、そこで一旦、立ち止まり、奈由を振り返った。
「……言っとくけど、ついてくるんじゃねーぞ?」
釘を刺してから、裕希は音もなくドアを開けて、外に滑り出た。ばたん、と無機質な音が部屋に響く。
「フリかな?」
奈由は胸元に下げていたカメラをすっと掲げた。
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※ウィルコム
この時代に存在していたPHSのサービス。携帯電話でいうドコモとかみたいなもん。現在は既にサービスが終了している。
ウィルコム同士だと音声通話が定額になるプランを採用しており、カップル御用達だった。この時代にはまだ存在しないが『HONEY BEE』という機種がめっちゃ人気&有名で、これを持っている人は大体バカップル(偏見)。
恋人がいない人間にとってはあまり関わることのないサービスだったので、当然のように乱舞のメインキャラは誰も所持していない。
◇参考
【第3部】コウカイ編
8章:大人じゃあない
「そして僕にできるコト」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887162657
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