ハグルマ(2)

 場が騒然とする中、かろうじて口火を切れたのは、他ならぬ当事者だった。


「昨日あんなことをした俺が言えることじゃないけど、白原さん落ち着いて……?」


 おずおずと直彦は告げたが、杏季の視線を受けて黙り込む。いたって彼女の表情は穏やかであり、先ほど直彦を詰問した時より、よほど冷静である。表情はむしろ凪に近い。


「私はこの上なく落ち着いてるから安心して」

「いや待て待て待て待て10歳児ィ!」


 続いて話に入ってきたのは、潤だった。潤は杏季の肩をがしりと掴み、ゆさゆさと前後に揺さぶる。

 

「その落ち着きっぷりが逆に怖いんだよお前はよぉ!

 何がどうしてそういう結論に至ったのか、順を追って説明しなさい!?」

「えっとね」


 潤にされるがままになりながら、杏季は視線を宙に泳がせる。

 

「口の悪いことを言ってもいい?」

「……どうぞ?」


 揺するのを止め、おそるおそる潤が同意すると。

 杏季は真っ直ぐな眼差しを潤に向け、一息に言い放つ。

 

 

「あのデリカシーゼロのクソボケ鈍感野郎に、ひと泡もふた泡も吹かせてやらなきゃ気が済まないんですよ」

「あっきー!?!?!?」


 

 似つかわしくない暴言に、思わず潤はたじろいだ。

 杏季は直彦に視線を向ける。


「ほんのりと、りょーちゃんを庇った言い方をしてくれていたけど。

 今回の件ってどうせ全部、目的から手段まで、りょーちゃんの意図したことなんでしょ。もし方法が直彦くんに託されてたなら、あんな目立つやり方はしないんじゃないかと思ったんだけど?」

 

 断定的に聞く杏季に、誤魔化しはきかないと思ったのか、素直に直彦は頷いた。


「……そうだよ。全部が全部、竜太の案だ。やり方がやり方だし、流石にもう少し心の準備というか、ワンクッション置いた方がいいんじゃないかとは言ったけど。それが竜太の事前に送ったメールだ」

「あのゴミ程も役に立たなかった予告メールね」

「あ、あっきぃ!?」


 今度は春が慄いた声を挙げた。

 構わずに杏季は続ける。

 

「きっと状況からして、直彦くんの立場じゃ拒否できなかったんだろうなと思うんだけど。

 客観的にみて、昨日のアレは、私に護衛者のことを承諾させるために執った手段として最善だったと思う?」

「俺の立場からは、なんとも……」

「答えてくださいます?」


 丁寧な口調で問われ、直彦は白状した。


「……最善どころか次善とすら言えない、最悪の愚策だったと思うよ」


 ため息交じりに直彦は答えた。

 

「どう考えても悪手だろ。確かに周知を目的とするなら、何もしなくたって勝手に噂は広がるだろうけど。白原さんにとっても俺にとっても、いろんな意味でリスクが高すぎる。俺はまだしも、白原さんを好奇に晒してまでやることじゃない。

 ただ。反対しても『杏季のことはよく知ってるから』って竜太に押し切られたんだ。俺が口を挟める状態じゃなかったとは言い訳させて欲しい」

「それは分かってるよ。どうせりょーちゃんのことだもん、そうだろうと思った」

「普通に事情を説明すればいいんじゃないかって話はしたんだけどさ。『相手が男子となると、杏季は話もろくに聞いてくれないだろうから』って」

「普通に正面から直接頼めよバッカ野郎がよ……」

「あっきー……!?」


 いつもは一番、冷静な奈由ですら、戸惑いの声をあげた。

 やさぐれる杏季を伺いつつ、直彦は付け加える。

 

「こうなったからには言わせてもらうけど。竜太の抱いてる白原さんのイメージと、実際の白原さんとの間には乖離があると思うよ。

 多分。竜太は白原さんのこと、10歳かそこらくらいの、一緒に居た時代のまんまだと思ってる」

「10歳」

「言葉を選ばずに言えば。大人しくて男子が特に苦手だった頃の記憶が強いから、強制的にこうでもしないと駄々をこねて突っぱねて、俺を護衛者にすることを承諾しないとでも思ったんじゃないかな」

「――なるほどね。そうだね、その通りだと思うよ」


 頷きながら静かな声音で答えて、杏季は目を細めた。


「目的である、護衛者の件そのものについてはね。事情があるのは分かるし、詳細を把握はしないまでも、受け入れないと仕方ないことってのは理解できてるんだ。

 けどね。目的はともかく、手段が大変に気に食わないので、そのままりょーちゃんの思惑通りに受け入れるのは、大変に癪でございましてね。

 よって、りょーちゃんに復讐しようと思いまして」

「復讐」


 杏季は腕組みして、不敵な笑みを浮かべる。


「お子様で、甘ったれで、いつまでも自分の庇護化にいると思ってるわたしが、自分の預かり知らぬところで青春を謳歌していると知れば、多少なりともビビらせることができるかなって」

 

「……想像以上に白原さんが竜太の弱みを的確に認識してて、俺はびっくりしてるよ」


 直彦は少しばかり目を見開いてから、しかしすぐに気を取り直して、彼もまた不敵に笑った。


「そういうことなら、俺は構わないよ。……というか。本当に彼氏彼女の設定にさせてもらえるなら、むしろ願ったり叶ったりだ。俺だって、好き好んで醜聞にさらされたくはないんでね」

「醜聞」

「イタイ告白かましてふられた男」

「だよね! ていうかそれも酷くない!? 私はともかく、直彦くんに対してマジで酷くない!? 人の心あるのあの人!?」


 ようやく杏季は、口調も表情も崩して、いつもに近い調子で不満を吐き出した。

 直彦は数歩、杏季に歩み寄ると、そっと右手を広げて掲げる。


「それじゃあ。共謀して、竜太に一泡吹かせてやりますか、プリンセス?」

「おー!」


 抱く魂胆とは裏腹に、実ににこやかな声をあげて、杏季は直彦とハイタッチをした。


 


「……ええと」


 葵は隣にいる裕希へちらと目線を向ける。


「言いたいことは分かるが今は何も言うな」


 目ざとく勘付いて、裕希は当事者に気付かれないよう、小声で切り返す。


「良くはねぇ。一切合切、良くはねぇよ。

 けど杏季がキレるのは当然だし、本人がやり返したいっつってるのを止めるのはおかしいだろ。何か仕返ししてやらないと気が済まないのは俺も一緒だからな。

 まぁ手段が問題なんだけど。今回の場合、確かにこの手は宮代への打撃になるってのが分かるから余計に厄介なんだよな……。これより良い返しも浮かばねーし。

 ……しょうがないだろ。この場にいる奴は誰も悪くない」


 真顔で告げた裕希の言葉に、葵は何も言えず黙り込んだ。


 


「じゃあ、手始めに。ツーショット撮って竜太に送りつけとこうか」

「いいねいいね、さっそく反撃開始だね!」


 直彦の提案に、杏季は乗り気で跳ねながら手を挙げる。彼女の反応を確認して、直彦は携帯電話を取り出した。

 これまで成り行きを静観していた春は、はっと我に返って申し出る。

 

「あ。写真、撮ろうか?」

「いや。自撮りでやるよ。今回の場合、第三者の存在を感じさせない方が余計にクるだろ」


 言いながら直彦は携帯電話のカメラを起動した。携帯電話を高めに掲げると、さりげなく杏季の腰に手を回し、顔がつくくらいの距離まで引き寄せた。

 見咎めた潤が口を出す。

 

「あんだよそのゼロ距離」

「一応、彼氏だからね」


 答えながらボタンを押し、静かな公園にシャッター音が響く。その音を聞くや、潤はすかさず彼らの元にズザザッと音を立てて滑り込み、二人を引き剥がした。

 

「破廉恥な! ことを! するでない!!!」

「昭和?」


 何食わぬ顔で直彦は首を傾げた。

 

「うるせー! パパは小動物との交際は認めませんからね!」

しゅうと設定は別にいらないんだけど」

「そういうことじゃねーんだよ! ほら小動物が調子に乗らないよう、春お母さんからもなんとか言ってやって!」

「エッ私が母!? いいぞもっとやれ?」

「煽ってどうする!? ほれほれ奈由お姉ちゃんも!」

「どうも意地悪な姉です」

「ジャンルが違ってる! こうなったら近所の雨森さんどうにかしてくれ!」

「赤の他人じゃねーか」


 


 ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる彼らを冷めた目で見つめながら、裕希は深く息を吐き出す。


「前言撤回する」


 目線は直彦を見据えたまま、彼はぼそりと葵に告げる。

 

「『誰も悪くない』って言ったけど。この機に乗じて調子に乗る直彦は悪い」

「……おう」

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