気まぐれロマンティック(2)

 舞橋女子高校の校門を出て少し先の壁際に、水橋みずはし廉治ゆきはるは立っていた。

 部活のない生徒や三年生は既に帰宅してしまい、部活のある生徒はまだ帰っていないこの時間。校門はあまり人通りが多くなかったが、それでも女子校の前に佇む男子高生というのは、否応なしに目立っている。


「レーン!!!」


 案の定とばかりに想像していた人物の姿を認めると、潤は胸倉を掴みそうな勢いで廉治に詰め寄る。


「てっめなんでここにいるんだよおお!?」

「貴方を待っていたからですよ他に何があるんですか」


 全く動じずにそう言い返すと、廉治は怪訝に小首を傾げてみせた。


「いつまで経っても貴方が待ち合わせ場所に来ないからでしょう。三十分待たされた僕の身にもなってください。

 ていうかメール見てないんですか」

「あ」


 指摘され、ようやく潤は本日の予定を思い出す。

 杏季に予定があると豪語したはいいが、肝心の時間を盛大に間違えていたことも遅れて気付いて、彼女は冷や汗を流した。別の日の待ち合わせ時刻と勘違いしていたのだ。


 ぱっと掴んでいた廉治の学ランを離し、潤はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。携帯電話を開いて画面を見れば、そこに表示された時刻は彼と示し合わせた時間より四十五分も過ぎていた。

 おまけに画面では、メールの受信と不在着信を知らせるマークが色濃く存在感を主張している。


「ええと、その」


 言い訳を連ねようとして、しかし焦った脳内は咄嗟に動かず。

 しばらくしてから、絞り出すような声で潤は頭を下げる。


「すみませんでした……ッ!」

「よろしい」


 潤に乱された学ランを整え、廉治は悠然と頷いた。


 思わず腕で額を拭ってみせてから、潤ははたと今の状況を思い出す。今は「潤の彼氏が来ている」との報告によりクラスメイトが大挙して押しかけたところだ。

 ばっと後ろを振り返れば、彼女より数メートル離れたところでクラスメイトは声を出さずにこちらの様子を窺っていた。さっきはあれほど血気盛んだった彼女たちだが、今では何故か驚愕の表情を浮かべ遠巻きに潤たちを見つめるばかりだ。


 彼女たちに気付いて顔を上げると、廉治は笑顔で話しかける。


「始めまして。友人の皆さんですか? いつも潤さんがお世話になっています」


 先ほどの潤よろしく、クラスメイトはぴしりと固まった。

 一瞬口ごもってから、彼女たちは上ずった声でめいめい好き勝手に喋りはじめる。


「こ、こちらこそ月谷がお世話されてます!」

「本当、引き取っていただきありがとうございます!」

「お会いできて光栄です! 文化祭の時にはお世話になりました! ファンです!」

「このじゃじゃ馬娘をよくぞ!」

「本当ですか!? ボランティアじゃないんですか!? ガチですか!?」

「ガチですよ」

「マジかああああああ!!!」


 頭を抱えながらも、彼女たちはどこか満足げな表情だ。

 クラスメイトの反応に、潤は困惑して首を捻る。


「おい何だよ。さっきはコイツを吊し上げそうな勢いだった癖に」

「うっせぇ! この人なら話は別だ!」

「あなたなら任せられる!」

「あっさり認められた!?」

「私たちの月谷をよろしく頼みます!!!」

「分かりました」

「分かりましたじゃねーよ!!!」


 本人を無視して勝手に進められる話に、潤は益々当惑するのだった。

 いつの間にか距離が縮まった彼女たちは、今度は廉治を取り囲んで矢継ぎ早に質問を飛ばす。「どこが好きなのか」「苦労はしてないか」など大勢の女子に詰め寄られても怯むことなく、無難な回答を律儀に返し続ける廉治を、潤はどこか他人事のように感心して眺めた。


「あーもうなんだよ月谷ぁあ!!」


 クラスメイトの一人がおもむろに潤の肩を組む。


「彼氏って水橋くんのことだったのかよー!」

「え、何。知ってんの」

「知ってるも何も私、同じ中学だし。てかそれ関係なしに彼は有名人だから、大半が既に水橋くんのこと知ってると思うけど」

「えっ何で」

「いやお前が疎すぎるんだっての。

 いいか、新聞部が作った裏瓦版の『独断と偏見で選ぶイケメンランキング・貴咲市編』で堂々の一位になったのが彼だし、全県版ランキングでもトップ5だし、貴高たかこうの文化祭で執事喫茶の一番人気だったし、その時のツーショット待ち受けにしてる奴も未だにいるし。

 ってか舞女と貴高が一緒に科学の共同研究やった絡みで学校新聞にも載った事あるし、模試の優秀者にも名前あるし、その他もろもろ登場の度に話題になってたろうが!!」


 そんなものは知らないし興味ないし、そもそも何故他校の男子を把握しているんだ君らは、待ち受けって本気でどういうことだ、という言葉が喉元まで出かかるが、口から飛び出す前にまた畳み掛けられる。


「お前さあ、知らないと思うけどさあ、どんだけ彼がモテると思ってんの!? 何がどうなってこうなったのか、後で詳しく聞かせてもらうかんね!」

「えっ」

「っていうかイケメンだし頭いいし優しいし料理とか裁縫とかも超出来て女子力まで高いのにカッコいいし掛け値なしに超いい人だよ!!」

「えっ」


 にわかに賛同できず間抜けた声を挙げた。

 潤の様子には気付かないまま、彼女は低い声で続ける。


「月谷」

「あんだよ」

「こんな優良物件、絶対手放すんじゃねーぞ」

「佐伯さん、顔がマジで怖いんすけど」

「うっせ! お前に惚れる女はともかく、お前に惚れてくれる男性、しかもこんな出来た人なんて滅多にいねーぞ!! ふざけんな幸せになれ!」


 一方的に言って、ばしりと彼女は潤の背中を叩いた。

 その音を合図にして、廉治が振り返る。


「じゃあ。そろそろ行きましょうか、潤さん」

「ねえ聞いた潤さんだって潤さんだって、さん付けだよマジこの、その、くう!」

「いいなーマジもんの紳士な彼氏いいなー」

「いってらっしゃい! いってらっしゃい!」

「永遠の幸せの国にいってらっしゃい!」

「うっせーお前ら! 教室帰れ!」

「帰りますとも! 二人の姿を見送ってからね!」

「あああもう!」


 止むことのないクラスメイトの冷やかしに焦れた潤は、ほとんど衝動的に廉治の腕を掴み、だっと駆け出す。


「月谷! 手! 手! 手ぇ繋げ! 色気ないぞ!」

「いざ自分がタラされた側になったら照れてんじゃねえぞタラシぃ!」

「うっせー! ばーか!!!」


 野次と観衆に見送られて、潤は逃げるようにその場を走り去った。




 当事者たちがいなくなり、ばらばらとクラスメイトがまばらに教室へ帰り始める。

 再び人通りのなくなった校門前にて、まだその場に立ち尽くしていたのは、やはり春と杏季だった。


「……何だったんだ」

「……何だったんでしょう」

「ねえ、あっきー。ちょっと私、さっぱり状況が飲み込めないんだけど」

「同じく。……ていうかいつも思うんだけど、6組のメンバー濃くない?」

「あ、うんそれは思う。ただ、あっきーのクラスに言われたくないけど」

「文系で一番濃い3組と理系で一番濃い6組ですね」


 受けた衝撃の強さに後半は全く関係ない話になりつつも、目は二人が去って行った方角からまだ逸らせずにいる。


 と。

 不意に、杏季は背後からガッと肩を掴まれる。

 彼女の背筋にさっと冷たいものが走った。

 振り向かずとも。それが誰か、直感で分かってしまった。


「おいチビ娘」

「ぎゃー!」


 潤といい勝負だろう色気のない叫びをあげて、杏季は飛び退すさろうとする。しかし紫雨は、杏季の肩を強く掴んだまま離さない。

 結果として、杏季はその場から一歩たりとも動けなかった。


「俺から逃げようなんざいい度胸だな」

「に、逃げてなんてないです……」

「逃げようとしてたろうが」


 怯えた眼差しで見上げる杏季を、肩をぎりぎりと掴みながら紫雨は威圧した。

 春は苦笑いを浮かべながら、控えめに紫雨へ依頼する。


「……あんまり、いじめないであげてくださいね」

「うむ。全面的には承服しかねるねえ。ま、友達からの進言だし、前向きに検討してあげよう。ありがたく思えよ」


 潤とはうって変わった勢いのなさで、杏季は静かに連行される。

 しばらく杏季を見送ってから、やがて春は「さて」と独り言を呟き、彼女もまた二人とは反対の方角へ歩を進めた。

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