時空かくれんぼ(2)
彼女たちから視線を外すと、紫雨はじっと直彦を見つめた。さっきまで柔らかかった表情は、冷やかな面持ちに変わっている。
「さあて。――どういうことだ、高神楽の。
どこぞの誰の許可を得て、こいつの護衛者になるなんざほざいてるんだ」
「そちらこそ。今更しゃしゃり出て来て、どういうおつもりですか?」
紫雨の気迫に押されることなく、直彦は静かに答えた。
「あなたはかつて、護衛者の任務を放棄した筈ですよね」
「好きで放棄した訳じゃない。分かってるだろう」
紫雨は眉をひそめる。
しばらく睨み合いが続くが、やがて紫雨は面倒くさそうに直彦から視線を逸らした。それから紫雨は、春の後ろに隠れている杏季へ目をやる。
「おい。そこから出てこいよチビ娘。あんたの話をしてるんだ」
話しかけられてびくりと身じろぎした杏季は、おずおずと春の背から手を離した。そして少し怯えながらも体を横に移動させ、どうにかこうにか姿を現す。ただし紫雨との距離は縮まらぬままだ。
ため息を吐き、紫雨はぶっきらぼうな口調で説明する。
「さっき次男坊も言ってたけどな。本来、護衛者ってのは異性がなるものなんだ。
そして元々。あんたの護衛者には、俺がなるはずだった」
言われて杏季は目を瞬かせる。ほとんど初対面のはずの青年の言葉に、ただ戸惑うばかりだ。
紫雨は淡々と続ける。
「んなこと知らんって顔してんな。そりゃそうだろうよ。
チビ娘が途中で男嫌いになったからってんで、当人の気持ちを尊重し、女の護衛者を付けることになったんだ。その代打として
それは仕方ない。事情はあった訳だし納得はしていた。だがな」
直彦に視線を戻し、紫雨はきつい口調で詰問する。
「さっきの論理は一見、もっともらしい。
けどな。それなら尚更、次の護衛者には俺がなるのが道理だろう。
要は。こいつの護衛者が居なくなってフリーになったところで、高神楽側に白原を寄せておきたいって魂胆なんだろうが」
「その言葉。そっくりそのまま返させて頂きましょう、紫雨殿」
核心を突いた質問に、しかし直彦は一歩も引くことはなく。
むしろ余裕ある素振りで口元へ笑みを浮かべる。
「私たちは彼女を影路に奪われることを危惧しているんですよ」
直彦は、紫雨の視線から杏季を覆い隠すかのように、すっと二人の間に入る。値踏みするような目つきで直彦を眺める紫雨は、不快そうに眉を寄せた。
「先月の件で、間接的にとはいえ彼女と影路の間には繋がりが出来てしまった。
宮代は、何よりも彼女に影路の手が及んでしまうのを恐れているんです」
「
「無関係とは言わせませんよ」
直彦は奈由たちを腕で指し示しながら、
「先月、貴方は影路側にいた。それは彼女たちからも、私の兄からも証明済みの事実です。
例えそこにどんな事情があれ。私たちを納得させるに足る理由があるでも?
何を言ったところで疑わしさは残る。貴方は身の潔白など証明できはしない」
「影路は白原に手出しはしない。小学生だって叩き込まれてる基本だぜ」
「そうですね、見かけ上は。確かに協定ではそういうことになっています。
けど。私は実際、そこまで信じていませんから。
影路も、御堂も」
「……言ってくれるねえ」
射るような眼差しはそのままに、紫雨は不敵に笑みを浮かべた。
実際。紫雨は先月、影路の彼らと共に行動していた。春をはじめ、杏季たち四人全員がそれを承知している。
紫雨はその時ほとんど彼女たちと関わらなかったし、顔を隠していたので、目撃したとまでは言い難いかもしれない。だが本人もはっきり認めているし、この状況でわざわざ不利となる事情を偽る理由はなかった。
おまけに彼は先ほど、影路にいたのは政治的な理由であるとまで答えている。事情を話したところで、疑いを完全に払拭するのは難しいだろう。
「そうやって、あたかももっともらしい大義名分を引っさげて清廉潔白を装うんだな。高神楽のやりそうな手口だ」
「人聞きが悪いですね。かつて、あの人を見捨てた御堂に言われたくはありません。
けれど、このままでは
彼女に決めてもらおうじゃありませんか」
直彦は振り返って杏季を見つめる。視線を向けられ、杏季は思わず隣にいた潤の袖を握った。
「宮代に保障された『高神楽』か。
影路の関与疑わしい『御堂』か。
どちらにせよ偏ってはいる。しかし他ならぬ彼女が選んだとあれば、誰からも文句は出ないでしょう」
「……いいだろうよ」
紫雨もまた杏季に視線を遣り、くいと手を曲げて手招きした。
が、杏季はその位置から硬直したまま動かない。
舌打ちし、紫雨はぞんざいに杏季へ告げる。
「おい、あんた。俺か高神楽の次男坊のどっちを護衛者にするか、お前が選べよチビ娘」
「え」
「『え』じゃねえよ。今の話、聞いてただろう。当事者はお前だ、あんたに選ぶ権利がある。
二択問題だ。簡単だろう?
言っとくが。両方選ばねえなんて選択肢は端から存在しねえからな」
「……そんなこと、急に言われても……」
強い口調で言われて杏季は委縮した。だが紫雨の追従は止む気配はなく、つかつかと杏季の前まで歩み寄る。小さく杏季は息を飲むが、逃げはしない。彼の気迫に、後ずさりすらできないようだった。
「面倒な
目の前に迫ると、背の高い紫雨は自然と杏季を見下ろす形になる。杏季の背は女子の中でも低いので、二人にはかなりの身長差があった。それが尚のこと彼女を
そんな杏季の様子をただ仏頂面で眺めながら、紫雨は冷淡に言い放つ。
「俺は佐竹琴美のように、護衛者として誠心誠意あんたに尽くすだとか、お綺麗で高尚な志がある訳じゃない。
ただ、大人しく高神楽に取られるのは御堂としての立場に支障があるから、阻止しに来たってだけだ。あんたを利用するどころか、服従する気だってさらさら無い。御堂と高神楽との力関係の均衡を図る上で、利害が生じているだけだ。
そういう意味じゃ、あんたの意思とは合致してると思うがな」
これまでは静観していた潤たちだったが、紫雨の物言いに顔を曇らせる。流石に彼の言葉は彼女たちの反感を買ったようだった。
直彦もまた眉を寄せて彼を
「……その言いぐさは、いくらなんでもあんまりじゃないですか」
「心にもない美辞麗句を並べ立てるつもりはないんでね。これは何ら隠し立てしない俺の本心だ。あんたのみたいに浮ついた言葉を話すと、虫唾が走る」
直彦の台詞に振り返りもせずそう言うと、紫雨は杏季の顔を覗き込む。
「お前さあ。自分が嫌がると分かってて、大衆の面前で何とも思ってない奴に告らせる男の意向に添うの、楽しい?」
彼の言葉に、杏季は目を見開く。
俯き加減だった顔を、彼女はゆっくりと上向けた。
見開かれた杏季の瞳を無感動に見下ろしながら、紫雨は尚も続ける。
「責められるなら俺なんかより、よっぽど宮代だろう。
酷だよねえ。自分に惚れてる女に対して、逃げられない周到な舞台を準備してまで、別の男の告白を受けるようしむけるなんてさ」
「……何で、それを」
「どうして俺が知ってんのかって?
あんたが宮代竜太に惚れてんのは、こっちの世界じゃ常識レベルに周知された事実なんだよ。
もっとも当の竜太はどうだか知らん。知っててやってんのか、気付かないフリをしてんのか、本気で気付いてない阿呆なのかは分からねぇけどな。
可哀相になぁ?」
かっと頬が熱くなる。
それは何も、見ず知らずの相手に自分の恋愛事情が知られていたから、という理由ばかりではない。
杏季はあふれ出そうになる感情を、拳を握って静かに押し殺した。
「……なたにします」
「あ?」
「貴方を選びます!」
必死の形相で杏季は紫雨を睨みつけた。対する紫雨は、へえ、と小さく呟いて小首を傾げてみせる。その表情は、変わらない。
驚いたのは周りのメンバーである。まさか杏季が、それまで面識のなかった、しかも
当事者の一人でもある直彦も、また呆気にとられた様子で声を掛ける。
「白原さん、でもそいつは」
「直彦には申し訳ないけど」
彼の言葉を遮り、杏季は据わった目で告げる。
「私。ほんっとうに今、言葉で表現しがたいくらい、りょーちゃんに腹が立ってるの。
だから。りょーちゃん側にいるそっちには行きたくない」
「……分かったよ」
ややあって、直彦はため息を吐いた。
「白原さんがそうと決めたなら。俺に抗う理由はないからね。諦めて帰ることにする。
でも忘れないで。そいつが信用ならないと思ったり、怪しい素振りがあったり、俺の助力が必要だと思った時には、京也づてでも構わない。いつでも声を掛けてくれていいからね」
紫雨とは対照的に優しい言葉をかけて、直彦は踵を返す。そのまま、彼は振り返ることなくその場を立ち去った。
「け。完全に俺を悪者扱いしやがってあのハイエナが」
姿が見えなくなった直彦に向けて紫雨は舌を出し、鳥肌でも立てたかのように上腕部をさすってみせる。
その後で、紫雨は改めて杏季に向き直った。
「――お前を見てると苛々するんだよ」
「はっ……」
憤りに表情をひくつかせていた杏季だったが、彼の言葉にまたしても面食らい、ぽかんと口を開けた。
言葉を失った杏季の代わりに、紫雨が先を続ける。
「目論み通り護衛者になったってのに、何をいきなり失礼なこと言ってんだって?
言っただろ。俺は御家の事情で仕方なく名乗り出ただけだし、あんたを甘やかす気は毛頭ない」
辛辣に告げてから、紫雨は更に言葉を重ねる。
「お前、一生このままでいるつもりか?」
「……このまま、って」
「一生、野郎に怯えながらびくびく生きてくつもりかって聞いてんだよ」
語気を強めた紫雨の言葉に杏季はびくりと肩を揺らす。
見かねた春が、後ろから杏季の肩に手を置いた。
「い、一応あっきーはこれでも、克服しようと頑張ってるんですよ」
「優しいねえ畠中。けどあくまでそれは、こいつら内部だけの話だろ」
紫雨は京也の方を顎でしゃくってみせる。図星を突かれて春は口籠った。
「今はそれでいいかもしれねえが、大学だって女子大のが圧倒的に少数だ。まして社会人になってそんな甘えた事を言ってられると思うなよ。
このままじゃあんた、社会で生きていけねえぞ。未来永劫、女の中だけで囲われて暮らしてく訳にゃいかねーんだよ」
そう言い放ってから、少しばかり語気を緩めて紫雨はとってつけたように言う。
「とはいえ、今の環境じゃ限界があるのは確かだからな。
一度は諦めたが、こうなったのも何かの縁だ。仕方ない、お兄さんが一肌脱いであげよう」
嫌な予感がして、杏季は上ずった声を挙げた。
「ま、守る気はないって、言ったじゃないですか」
「それにはかなり語弊があるな。俺はお前に、臣下が如くへりくだりはしないと言っただけだ。
関わらないとは一切合切言ってない」
紫雨は人差し指で、杏季のおでこをぴんと弾いた。
額を抑えて杏季はまた目を見開き、先ほどよりは穏やかな表情になった紫雨を見上げる。
紫雨はまるで、何か面白いものでも見つけたかのような、にやにや笑いを浮かべ。
「俺が護衛者となったからにゃあ。あんたのその腑抜けた根性を鍛え直してやるから、心しておきな」
ようやく動いた身体で、杏季はふらりと一歩、後ずさる。
――自分はとんでもない選択をしてしまったのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎるが、時は既に遅い。
にやりと不敵に笑んだ紫雨に、杏季はただ冷や汗を流すばかりだった。
*****
皆と別れた直後。タイミングを見計らったかのようにポケットで携帯電話が震え、足を止める。
予想通りの人物からの着信に「気が早いな」と思わず呟いてから、電話に出た。
二言三言、軽口を交わしてから、本題に入る。
「――おおかたは想定通りに進んだよ。
ただ。まさかと思う結果に着地した。ここからどう転ぶのかは、正直分からんけどな」
一旦、言葉を切って。
言いながらも驚きつつ、告げる。
「杏季ちゃんは、御堂紫雨を選んだ」
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