真夏の歌迷走(2)
葵と京也が公園に辿り着いたのは、十分後。
その時には、公園の中心で、ワイトが涼しい顔で直立していた。
彼と距離をとりながら向かい合った形で
ワイトはやってきた二人を無感動に見遣った。唖然として葵が口を開ける。
「ユウ、お前なにしてんだよ」
「何って、お前が放棄してる任務だけど?」
ひどく冷淡な物言いで彼は答えた。
「悪いけど近寄んないで。今、お前に構ってる暇ない」
言うなりワイトはひょいと一本指を動かす。
途端。葵と京也も、彼女たちと同様に見えない茨に囚われた。首元に殺気を感じ、ひくりと唇を引きつらせ葵は動きを止める。
痛みに顔を歪めながらも京也は自分の左手に刀を呼び出した。
が、
「攻撃しないで」
鋭い声で春が制止する。
「でも、このままじゃ杏季ちゃんは」
「そうじゃないの、違うんだよ」
些か必死の体で春は
隣の潤が噛み付くように言う。
「うちらだって、ただ黙って見てたわけねーだろうが」
苦々しい表情で潤は彼を睨んだ。
「なっちゃん曰く、これはあいつの術で作った見えない茨らしい。だからこれに実態は無いんだ。術で破ろうにも破れない。
おまけにどういう理屈か知らねぇが、うちらの出した攻撃は、全部あっきーに行く。ワイトに向けても地面に向けても空に向けても全然違うとんでもない方向に向けても、全部が全部、攻撃という攻撃があっきーに当たるんだ。ワイトの術をまずどうにかしない限り、どうしたって私たちはあっきーを攻撃することになっちまうんだよ」
葵は絶句して杏季の姿を見た。
とりたてて外傷はない。しかし音属性を相手どったにしては、乱れた服や髪、地面に残る湿った土や焦げた草などが、自然系統との戦闘があったことを感じさせる。
それは図らずも彼女に牙を
「……『束縛の野ばら』」
うわ言のように葵は呟いた。
自分で言いながら自分ではっとし、葵は隣の春に尋ねる。
「春さん。あいつはもしかして『野ばら』を歌っていませんでしたか」
「……言われてみれば。メロディラインは全然違ったけど、歌詞は似たような響きだったような気がする」
「多分それが原因だ、『束縛の野ばら』。
どんな場所や相手に向けていたとしても、あらゆる術が特定の相手に向かうよう誘導する術。
そして俺らが捕まってるのが『捕縛の野ばら』。草間の予測通り、見えない茨だ」
静かに葵は続ける。
「あいつの真骨頂はだな、歌なんだよ。
普段は平衡感覚を狂わせる音波を出す程度しかやらねぇけど、歌を使って術を構築するのが本来の戦い方なんだ。
音は本来、使い勝手が悪い理術だ。開けた場所じゃ全員に効くし、その効果もごく一時的。歌で術を構築するのだって時間がかかる。
ただ、面倒な条件をクリアして、ある一定の空間を『音』の制御下に置き、外部から遮断された『閉鎖空間』を作り上げてしまえば……恐ろしく強い力を発揮する。
空間を閉鎖しそこを『音』が制御している状態なら、あいつの意図する相手にだけ術を発動できるし、効果を長時間継続させることだって出来る。
あいつの支配下にある空間では、音は絶対の強さを誇る」
「そりゃ、こっちとしちゃ成すすべがないからな。……こんなに厄介だなんて思ってもみなかった」
京也は遣る瀬無い表情で、まるで笑っているかのように口を引きつらせた。ある意味、笑うしかない状況ではある。
潤は苛立った感情の矛先を京也に向ける。
「なんとかしろよ京也、お前なら光属性で、この空間どうにか出来んじゃないのかよ!?」
「悪い。僕の力じゃこれを壊せない。確かに『闇』で閉鎖した空間なら打ち破れるけどな、これは光も闇も無関係にワイトの『音』で外と切り離した空間だ。勝手が違う」
「……音に有効なのは、あったっけ?」
「無い」
即答して京也は小さく頭を振った。そのまま潤は言葉を失う。
「……音が暴走すると、一番厄介なんです」
しばらく黙り込んでいた琴美が呟いた。
「自然系統相手みたいに力では押せない。
そして音属性の術は、鋼から古に対するそれ程ではないにせよ、全ての人為系統に対し普通より高い効力を及ぼす。
そのくせ、音へ有効に作用する属性は――皆無。
音を打破するには、同じ音属性の者をぶつけるしかない。ですからまず音に対する最大の攻撃と防御は、音の支配するフィールドに入らないこと、なんです」
ぎり、と彼女は唇を噛んだ。
恐る恐る春が尋ねる。
「……今みたいに、入っちゃったら?」
「基本的に」
感情を込めずに琴美は言い放つ。
「負けが必須です」
自分への怒りを交えた暗く強い表情を浮かべ。
せめてもの抵抗とばかりに、琴美は精一杯ワイトを睨み付けた。
「ねぇ、何がしたいのさ」
彼が一歩距離を縮めると、杏季は一歩後ずさる。
不満げにワイトは顔を歪めた。
「分かってんの? この状況。確かにこの空間は俺が制御してるけどさ、あんたの周りには術を張ってない。動けるし走れるし攻撃も出来るはずなんだ。
だけど、なんで何もしてこない? もう分かってんだろ、あんたが状況を打破しない限りどうにもならないんだよ。なのに」
一呼吸置いて、ワイトは目を細めて杏季を見据える。
「なんで攻撃してこないんだよ」
杏季は答えない。
既にふらふらの体躯を
その反応も予測済みだったのか、ワイトはさしたる間も置かずに続ける。
「そうだよな、いつだってお前はそうだ。こっちのことは見ようともしない。
逃げるってレベルの話じゃねーよ、あんたは見ようともしないんだ」
自分の左手の平に視線を落とし、ワイトは吐き出すように続ける。
「確かにあんたに危害を加えたのは俺の方だ。それに関しては言い訳も申し開きもなく紛れもない事実だよ。
けどな。だからってそこまで否定される覚えばっかりはねぇよ。それが
けど、どうしてそれが俺限定なんだ。そこまであんたから無視される謂れがあったかよ。そもそもお前は、俺をまともに見てすらいないだろ。
向き合って敵対される方が何億倍もマシだ。そこまで――そこまで『見なかった』ことにされるのは、
目の前にあるのが現実なのに、なんで見ようともしないんだ。バカじゃねーの」
ワイトは顔を上げた。だがやはり先ほどのように黙りこくったままの杏季を見て、ワイトは右手で苛々と頭をかく。
「あーあ、……むかつく」
杏季はちらりと横目で奈由たちを見つめた。それを
「そんな目で見たって助けちゃくれないよ。それともいっちょまえにあいつらの心配してんのかよ。
だったら俺に攻撃してこいよ。対抗して抵抗して反抗して、俺に迎撃してこいよ。
お前と戦ってるのは俺だろうが。いい加減こっちを見ろよ」
ワイトの激昂を受け、杏季は怯えた表情を浮かべたままだ。心の中で必死に自分を叱咤するが、しかし震えた手を膝から離すことが出来なかった。
額には汗が浮かんでいる。それを拭いたくても、体が硬直してしまい手を動かすことすら出来ない。
そんな杏季を見て不愉快に眉をひそめ、ワイトは唸るように叫ぶ。
「なんで――なんで、見ないんだよ!!」
ワイトは杏季を睨みつけ、左手を強く握り締めた。
途端。
彼が左手にはめていた補助装置が裂けた。
手の甲から亀裂が走り、やがてそれは全体に広がると、幾つかの布片に四散してはらはらと宙に舞う。
補助装置を失ったワイトの生身の手が、むき出しになった。
だが彼はその異変を気に留めることなく、静かな憤りを抱えたままで左手を杏季のほうに向け広げる。
明らかに焦りの色を滲ませて葵は漏らした。
「やべっ……」
「何あれ、どういうこと? 壊れたの?」
「違う、鍵が外れたんだ。鍵が外れると補助装置はああいう風に壊れる。要するにあいつはもう補助装置がなくても、自在にこのテの理術が使える」
「それって」
彼の説明に潤はひくりと唇を引きつらせる。
「まずいじゃん」
「状況は、変わらないね」
奈由は冷静に呟いた。
「Sah ein Knab' ein Ro"slein stehn,」
軽快なリズムに乗せ、ワイトは歌い始める。歌詞はやはり先ほどとおなじ『野ばら』だ。そして今、彼が歌っているメロディーは一般的に有名なもので、面々が『野ばら』と認識しているものと一緒である。彼女たちは軽く目を見合わせてそれを確認した。
葵は渋面を浮かべる。
「俺が知ってるのは『束縛』と『捕縛』、その他にもう一つ。
……『呪縛の野ばら』」
「どんな術なの?」
「『捕縛』が体の動きを制限するのとは違って、いわば精神面への攻撃の術で」
春の問いに葵は自分でも怖々答える。
「簡単に言えば過去の嫌な出来事やトラウマを引きずり出し、更に強力に増幅して思い出させる術。
俺たちが見てても何が起こってるのか分からねーけど、本人にとっちゃ相当きついはずだ。白原がどんな経験をしてきたかにも因るけど、もし辛い記憶があるなら余計に」
「それは」
奈由は思わず声を出し、滅多なことでは動じない表情を、
「そりゃ、……まずい」
崩した。
「いやあああああああああっ!!」
杏季が頭を抱える。
ふらり、と体がよろめいて数歩後ずさり、とうとう彼女は座り込んだ。
彼女の身に何が起こっているのか、何が見えているのか、周りからは分からない。
しかし。
――これ、……火に油を注ぐだけでしょう、間違いなく。
杏季の事情を知っている奈由は、人知れず冷や汗をかいた。
ふっと脳内で響き渡っていた声と残像とが消え、杏季はがくりと両手を地面につける。
気付けばワイトは杏季の側へ歩み寄り、手を伸ばせば触れられる距離まで近付いていた。彼女の目に浮かぶのは恐怖の色。地面の一点を見つめたままで、杏季はじっとうずくまっている。
「どうせさ」
ぽつりとワイトは独り言のように呟いた。
その声に思わず彼女は顔をあげるが、目の前に彼の姿を認め、すぐに目線を反らした。
「どうせ嫌われてるなら、徹底的に憎まれた方がすっきりする。その方が、よっぽど分かりやすいじゃん。
けどさぁ。なんでお前はそうなんだよ。
お前はさ。こんなことまでされても、それでも頑なに攻撃しねーんだな」
ワイトはじっと杏季を見下ろしている。
目の端でとらえた彼の表情は、先ほどより怖いほどに穏やかだった。ぞくりと杏季の背に冷たいものが走る。
「じゃあさ。もしこれをあいつらに向けたら、そしたらどうなる?」
ワイトは杏季だけに聞こえる音量で囁き。
顔で奈由たちの方を指し示した。
「自分はいくら攻撃されても何もしない。
けどな。人間の友達だったら、あんたはどうする?」
明らかに
その笑みは、先ほどの憤りより何倍も恐ろしく。
「なぁ、あんたは『人』をとる? 『動物』をとる?」
「……や」
初めて。
初めて杏季は、ワイトに向かって口を開いた。
「やめて、……ください」
「言うだけじゃ分からない」
硬い声色でワイトは冷徹に突き放す。彼は気楽然と腕を伸ばして筋肉をほぐしながら、少しばかり首を傾げてみせた。
「知ってるかな、俺の術は人為系によく効く。
あの中じゃ、さっきお前にやったのと同等のダメージが護衛者とやらとヴィオにいくはずだ。お前がどれだけ苦しかったのかは分からないけど、俺が手を下したらそれがあいつらにもいくよ」
ワイトは微笑しながら杏季を眺めつつ、左腕はそっと彼らの方に向ける。
「い……や」
杏季は泣きそうな瞳で、しかし強い眼差しでワイトを見据え。
後ろへ飛びのきざまにぱっと立ち上がり、軽く両手の砂を払うと。
自分でも無意識のうちに、高く左手を掲げた。
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