第16話 咆哮のルドルフ


 巨大な鉄の塊が、遠く離れた丘の上に鎮座している。あれは、最新型の砲撃戦車だ。どんな地形でも軽々と乗り越え、その一台で相手の塹壕を破壊し、敵を一掃する鉄の化け物。過去の戦闘で、何人の兵士が命を奪われたか計り知れない。

 しかし、今その戦車の前には、一人の青年だけが佇んでいる。


「行けーっ、大砲人間っ、ぶっ放せー!」


 離れた所から声援がかけられた時、青年は胸いっぱいに息を吸い込み、そして叫んだ。

 その途端、突風が吹き荒れ、地面をえぐりながら凄まじい波動を描いた。風は一直線に戦車に向かう。メリメリという音を立てたかと思うと、象より重い重量の戦車がグルンと横に倒れた。砲郭がひしゃげ、芋虫のような車輪がクルクルと宙をかく。すると、丘の上から声援がどっと湧き上がった。


「やったーっ、戦車を倒したぞ!」


「さすがルドルフっ、大砲人間の勝ちだー!」


 兵士達が帽子を高く投げ飛ばし、一斉に丘を駆け上ってくる。そして、戦車にたった一人で対峙していた青年に抱き寄った。

 鳴き人のルドルフは、多くの仲間に囲まれ、真っ赤になった笑顔を浮かべた。


「よーし、戦闘訓練はそこまでっ。ルドルフ、よくやった!」


 イスクラが拡声器を持って離れた場所からルドルフに告げた。ルドルフは仲間達に肩を抱かれ、頭を撫でられ、揉みくちゃにされながら、駐屯地のテントに戻った。



 あれから数ヶ月。ルドルフはイスクラの元で軍属となり、特別兵として他の兵士達と一緒に過ごしていた。生まれ故郷が恋しくないといえば嘘になる。しかし、はじめての土地、はじめての仲間、はじめての仕事は、ルドルフに新しい刺激を与えてくれた。

 この日の休息時間は、ルドルフは仲間たちとカードゲームに勤しんでいた。山札から引いたカードの数字が揃うほど、相手より有利になる。ルドルフは、8から13までが揃った手札を見せた。すると、仲間達が一斉に頭を抱えて呻き出した。


「なんだよ、またお前の勝ちかよっ」


「ちったぁ手加減してくれよ!」


 ルドルフはニヤリと笑うと、ゲームで勝つと取ることのできるチョコレートを、自分の前にかき集めた。その中の1つを摘みとり、包み紙を向いて口に放り込む。途端に、とろける甘さが口の中に広がり、ルドルフは満足げに微笑んだ。


「ま、大砲人間のお陰で俺たち歩兵はのんびりできるんだけどな」


「そうそう。ルドルフが来る前なら考えられないことだったぜ」


 仲間達は感心しきった顔で頷き合い、さらにもう1つずつ、チョコレートをルドルフに差し出そうとした。ルドルフは手を振って遠慮するとチョコレートを押し戻した。だが、仲間達は引かない。


「いいって、お前が食えって!」


「タバコはやらない酒もやらない、甘いお菓子が大好物なんて、大砲人間らしくないけどな」


 仲間達は軽口を叩き合い、ゲラゲラ笑い出した。ルドルフもつられて笑いだすが、その笑顔はぎこちない。

 あの戦車に対抗できるのは、鳴き人のルドルフだけだとイスクラに告げられた。実際に倒すと、仲間の兵士たちに大喜びされ、ルドルフにも達成感が感じられた。おまけに、叫ぶのは気持ちが良い。

 そしてふと思う、大砲なんて呼ばれる自分は、魔力に喰われるまでに何台の戦車を破壊するのだろう。魔力の声を出すことを、あんなに怯えて拒絶していたというのに、げんきんなもので、今ではすっかり軍の英雄気取りだ。

 そんな自分を、故郷の家族はどう思うだろう。

 ルドルフは、余計に手に入れたチョコレートをカバンの中にしまいながら、深いため息をついた。

 その時、一人の兵士がルドルフに近づいてきた。


「大砲、手紙だぜ」


 ルドルフは渡された手紙を受け取ると、パッと顔色を変えた。途端に、仲間達が興味をむき出しにして覗き込んできた。


「女かっ、女からなのかっ?」


「違うよ、家族からだ」


 ルドルフは笑いながら手紙の封を切ると、手紙に目を通した。そしてまた顔色を変えた。すると仲間達が、またのぞき込んできた。


「どうした、悪い知らせかっ?」


「いや、いい知らせだ」


 ルドルフは手紙を綺麗に畳んで軍服のポケットにしまうと、仲間達を安心させるために話した。


「妹の結婚が決まったんだ」


「なんだっ、めでたいじゃないか!」


「おめでとうっ、っていうか、お前妹がいるなら、なんでもっと早く紹介してくれないんだよっ?」


 仲間達がルドルフの背中をバンバン叩いて来る。ルドルフはうれしそうに微笑んだ。だが、仲間達の視線が外れると、その顔には疲れがにじみ出た。



 休息時間が終わって、再び実地訓練が始まる。その道すがら、ルドルフは故郷のことを思い出していた。

 手紙にはサーシャの結婚のこと以外にも、アブラムの体のことも書かれていたのだ。アブラムの体の透化が、日に日に広がっているらしい。ルドルフが去り、サーシャの結婚が決まり、アブラムは死者と会話する時間が増えたのだろうか。それとも、最初からそうするつもりだったのか、ルドルフにはわからない。だが、アブラムはそれを受け入れていて、静かに最後の時を迎えたいという趣旨が手紙には書かれていた。

 ルドルフは、家族との繋がりが徐々に切れていくように感じ、その顔には人知れず陰りが差していた。




 夜になっても、ルドルフは寝付けなかった。同じテントで寝ている仲間達のいびきが聞こえても、ルドルフには、夜の帳が静かすぎたのだ。こっそりテントを抜け出して訓練場に向かった。月の光を浴びた時、ルドルフは両手を食い入るように見つめた。

 自分にはまだ透化は起きていない。

 このところ、それが気になって仕方がないのだ。ルドルフは毎日確かめては胸をなでおろし、明日は自分が消えているかもしれないと、心配を繰り返すのだった。



 こんなとき、サーシャならなんと言うだろうか。ルドルフは目を閉じて、サーシャの屈託のない笑顔と伸びやかな声を思い浮かべた。サーシャはとてもいい子だった。明るくて前向きで、ちょっと勝気すぎるけど。あの子の花嫁姿を見たかった。

 そんなことを考えているからだろうか、サーシャの声が耳に届いたような気がした。

 しかしルドルフは、ハッと目を開けた。下りかけた丘を、再び駆け上った。

 そして耳をすませ、目を凝らした。


「お兄ちゃーんっ」


 今度は間違えようがない、ルドルフも声を張り上げた。


「サーシャア!」


 思わず力がこもってしまい、爆風が吹き荒れる。丘の下のテント達がバサバサと揺れたが、ルドルフには目に入らない。それよりも、遠くから駆けてくる銀馬に意識を集中していた。ルドルフは駆け出した。そして、戸惑いと嬉しさの混じった声で言った。


「サーシャ、どうしてここへっ?」


 ルドルフは銀馬のそばに駆け寄ると、馬を操る妹を見上げた。サーシャはアハルテケから飛び降りると、満面の笑みを浮かべて、ルドルフの胸の中に飛び込んだ。


「家出してきたのっ」


 弾んだ声で告げられ、ルドルフの顔から笑顔が引き、げえっとなってしまった。相変わらず、この妹は手に負えない。サーシャはお構い無しに話し出した。


「お父さんたら、また勝手にあたしを結婚させようとしてきたの。あたしまだお嫁になんか行きたくないのに」


 サーシャは頬を膨らませているが、ルドルフは青い顔をしている。額に手をやり、どうしたものかと頭を悩ませているのだ。

 するとそのとき、サーシャよりも怒りを爆発させた人物が現れた。

 イスクラが、数人の兵士を引き連れて丘を登ってきたのだ。


「ルドルフっ、こんな夜中に発声練習とは見上げた根性だなぁっ?」


 言葉では褒めているのに、烈火のように怒り狂っている。だが、イスクラはサーシャを見るなり、眉尻を下げて懐かしそうに笑みを浮かべた。


「サーシャじゃないかっ」


「イスクラさん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」


 イスクラはサーシャを抱きしめると、肩を抱きながらサーシャの姿をまじまじと見つめた。


「少し大人っぽくなったな。一体、どうしてここへ?」


「実は、家出してきたんです。父が無理やり結婚を決めたものですから」


「そいつはけしからん。おいルドルフ、お前は反対しなかったのか、サーシャが哀れじゃないかっ」


 イスクラはルドルフの顔を見た。急に話題を振られても、ルドルフにはすぐに返せる言葉が出てこない。それをいいことに、サーシャがイスクラに申し出た。


「あの、ご迷惑じゃなければ、ここで下働きで雇ってもらえませんか? あたし何でもやります。置いてもらえるならタダ働きでもいいです」


「そいつは好都合、うちは常に人手不足だからな。安全な宿営地でなら大歓迎だ。それに、うちは高給だぞ。お前もいいだろ?」


 イスクラはルドルフにも訪ねたが、サーシャがルドルフの返事を遮って大声を出した。


「ありがとうございますイスクラさん! しっかり働かせていただきますっ!」


 ルドルフはギョッとして、妹のあっという間の所業に目を丸くするしかなかった。もちろんサーシャに会えて嬉しいが、軍の下で働くなんて大反対だ。万が一戦争が起きたら危険すぎる。ルドルフは改めてイスクラに直訴しようとしたが、イスクラは射殺すような目でルドルフをけん制した。


「わたしの決定に反対か?」


 なぜイスクラがここまでサーシャの味方をするのかわからないが、ルドルフは首を横に振るしかなかった。

 サーシャの顔は、花を咲かせたように明るい。ルンルンと上機嫌だ。そこへ、イスクラの背後から見知った声がかけられた。


「俺とも仲良くしてね、サーシャちゃん」


 その途端、サーシャは顔を強張らせて、ルドルフの背後に身を寄せた。イスクラとともにいたのは、操りの声を使う、鳴き人のマトフェイだったのだ。


「なんで俺がここにいるかって? それはこちらの女王陛下に聞いてみろよ」


 したり顔で笑うマトフェイの首元には、ラベンダーの香袋がぶら下がっていた。その首輪のおかげで、マトフェイは魔力を封じられ、身動きも制限されているのだ。目を丸くするサーシャにイスクラが言った。


「わたしの目的は鳴き人の活用であって、牢屋にぶち込むことではない。こいつには刑罰の代わりにわたしのイヌになってもらったのだ。監視の目は緩められないが、そこそこ重宝するんでね」


「俺も、もっと早くイスクラ様に会っていればよかったよ。強くて美しく、俺の鳴き人としての力を認めてくれる。俺はこれからの一生、俺だけの女王様のために力を使うって決めたから」


 満足げなイスクラに、心酔しきったマトフェイの組み合わせはとても奇妙に見えた。マトフェイはサーシャにウインクをした。だが、そのあいだにルドルフがずいっと割り込んだ。ルドルフは体の大きさでマトフェイを威圧し、噛み付くように釘を刺した。


「俺はまだお前を許してないからな、妹に近づくなよ」


「へいへい、大砲人間は妹ちゃんにご執心ですもんね」


「マトフェイ」


 ルドルフが語気を強めると、マトフェイはしおらしくイスクラの背後に隠れた。そのやりとりを聞いていたサーシャが、怪訝そうに口を挟んだ。


「大砲人間?」


「ここでのこいつのあだ名だよ。大砲みたいな声を出すから、みんな大砲人間って呼んでるんだ」


 マトフェイが教えると、サーシャはげんなりしてルドルフに言った。


「お兄ちゃんそんな風に呼ばれてるの? 大砲人間なんて名前、嫌じゃないの?」


 するとルドルフの顔が気まずそうに歪んだ。目線をそらしてはぐらかす。それを見たサーシャは、深々とため息をついた。


「嫌なら嫌って、ちゃんと言わなきゃ」


「いや、だって」


 ルドルフの声は一変して萎んでしまった。なにしろ、十数年間、声を出さずに生きてきた人間が、自分の意思を相手に伝えるのは難しい。それも、相手が良かれと思ってつけたあだ名に異論を唱えるとなれば、さらにその困難度は跳ね上がる。

 サーシャはそれを知った上で、胸を張って兄に告げた。


「もう、仕方ないなぁ。あたしが代わりに言ってあげるわよ!」


「はははっ、サーシャの前じゃルドルフも形無しだなぁっ」


 イスクラが腹を抱えて笑い出した。


「だが、こいつにあだ名は必要なんだ。ルドルフは鳴き人としての任務に就いている。特別任務に就く兵士には2つ名をつけることになってるんでね」


 するとサーシャは黙り込み、兄の顔をまじまじと見つめた。そして、パッと顔を輝かせた。


「咆哮のルドルフ」


「咆哮のルドルフ?」


 サーシャの言葉を、イスクラとマトフェイが繰り返した。


「大砲なんて野蛮なものじゃないですもん、お兄ちゃんは。咆哮のルドルフ、ってどう?」


 サーシャに聞かれると、ルドルフは目を輝かせた。イスクラはしばらくその名前を繰り返してから笑顔を見せた。


「うむ、いいんじゃないか。お前はどうだ」


 イスクラに聞かれ、ルドルフも穏やかに笑って頷いた。それをみて、サーシャははにかんだ。



 サーシャも家を出る前に、アブラムに聞いた話があった。

 自分は、マリーヤが生んだ子ではない。森の入り口で泣き叫んでいる赤子の自分を、ルドルフが見つけて、家まで連れ帰ってくれたのだと。

 サーシャはそれを聞いた時には、家族の誰とも血が繋がっていないと知ってショックだった。しかし、自分が拾われた日に、ルドルフが赤子の自分を見て、口をほとんど開けずに、こう呼んでくれたのだという。


「サーシャ」


 声を出せないルドルフが、なるべく魔力を使わないで済む名前を考えてくれたのだ。

 その日から、自分は本当の意味で生を受けたのだと、サーシャは知ったのだ。

 だから、今度は自分が、兄の人生を良い方向に変えたかった。


「お兄ちゃん、あたし、お兄ちゃんの声が好き。だからあたし、サーシャになったんだもんね」


 サーシャからの突然の告白にルドルフは目を瞬いた。その意味を完全に把握できずにキョトンとしていると、マトフェイがニヤニヤしながらルドルフに耳打ちしてきた。


「お熱いですなぁ」


 言われるや否や、ルドルフはうんざりした表情でマトフェイをひっぺがした。


「なんだよ冷えなぁ。鳴き人同士仲良くしようぜ」


「さっきも言ったが、俺はお前を許してない」


 ルドルフに無下にされ、マトフェイは口を尖らせた。そして宿営地に戻るイスクラに従って丘を下り始めた。ルドルフは最後まで威嚇していたが、帰るマトフェイの背中が、月明かりを受けてキラキラと輝いているのに気がついた。ほんの一瞬だが、マトフェイの体が透けていたのだ。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


 サーシャの言葉にルドルフはハッと我に返った。心配そうなサーシャの顔を見つめると、ルドルフは胸がキュッと締め付けられるような思いがした。

 軍属になった自分の姿、これから消えていく自分の姿、咆哮のルドルフとして生きていく自分の姿。それらは決して綺麗なものではない。酷い姿をサーシャに知られてしまうかもしれない。ルドルフには新たな恐怖が芽生えていた。

 ルドルフは、サーシャに笑顔を見せるしかなかった。だが、サーシャはムッとした顔をした。


「お兄ちゃん、相変わらず黙ったままなのね」


 サーシャは、ルドルフの顔を月明かりから遮るように両手で包み込んだ。サーシャの目には、遮る布のない兄の顔はまだ見慣れない。それでも、その顔に浮かんだ戸惑いが手に取るように伝わるのだ。

 だから、サーシャは兄のそばにいたい。


「聞かせてよ、お兄ちゃんの気持ちを。これからは、あたしが聞く番だよ」


 その言葉は、ルドルフの中にじんわりを染み込んでいった。心の中で凝り固まっていた恐怖が、少しずつ溶けていく気がした。ルドルフは、何かが喉元まで込み上げてくるのを、必死に飲み込んで、声を震わせて呟いた。


「本当は、話したいことが、いっぱいあったんだ」


 ルドルフは囁くと、サーシャを抱きしめ直した。ルドルフの目から大粒の涙がぽろりとこぼれて、サーシャの肩に落ちた。サーシャは口を閉じで黙って耳を澄ましていた。

 星と月が輝く空の下に、ルドルフの優しい声だけが心地よく聞こえていた。


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咆哮のルドルフ 淡 湊世花 @nomin

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