第15話 鳴き人の去く末

 


 雷鳴のように空気が弾けた。風が真っ二つに裂け、槍のように一直線に飛んだのだ。

 その瞬間、イスクラが突き出した剣が振動し、ガラスのように粉々に砕け散った。イスクラは手に走った痺れが肩まで届く前に、反動が全身に飛びかかり地面にドシャリと転がった。


「何が起こった」


 イスクラが飛び起きて振り返ると、ルドルフがサーシャを抱きとめているのが目に飛び込んできた。気の触れた狼のようなルドルフに、サーシャが食われてしまう。イスクラは脳裏に走った嫌なイメージを払拭するように駆け出し、2人の間に割って入ろうとした。だが、ルドルフの顔を見てすぐに手を引いた。ルドルフの目は触れることなくサーシャをまっすぐに見つめていたのだ。


「正気を取り戻したか」


 イスクラの口から思わず安堵の言葉が漏れると、緊張感がドッと抜けて代わりに重い疲労感がのしかかってきた。だが、すぐにイスクラは顔色を変えて、サーシャに走りよった。


「サーシャ、わたしの剣が」


 刺さっただろうっ! と、言いかけて、イスクラは声を失った。サーシャの体には刺し傷どころか、血の滲みもない。キョトンとした顔で兄を見上げている姿も健康そのものだ。だが、サーシャ自身にも剣の切っ先が腹に当たった感触はあった。


「お兄ちゃん、わたし、どうして」


 たどたどしい口調でサーシャが問いかけると、ルドルフはゴクリと喉を鳴らし、唇を震わせながら微笑んだ。


「剣だけを、壊した」


 ルドルフの言葉を聞いた瞬間、サーシャは目を丸くした。


「おっ、お兄ちゃん、今っ!」


「ルドルフお前っ、鳴き人の魔力はっ?」


 サーシャとイスクラが同時に喋りかけてきたので、ルドルフはゆっくり頷いた。


「大丈夫なんだ、もう、安心していい」


 ルドルフの口からは、穏やかな声だけが紡がれていた。サーシャが今まで、1番聴きたかった声だった。澄んでいて優しくて、例えようのない愛おしさがこみ上げてくるその声は、みるみるうちにサーシャの目に涙を溢れさせ、あっという間にサーシャの頬を濡らしていった。


「サーシャ、ごめん、心配かけて」


 ルドルフは囁くと、サーシャの頭に手を添えて抱きしめた。ルドルフの目からも光るものが一筋落ちる。

 そんな感動的な抱擁に、イスクラが咳払いをして水を差した。


「お前ら、わたしがいることを忘れるなよ」


 途端にルドルフとサーシャはサッと離れ、気まずそうにイスクラに視線を動かした。ルドルフはイスクラの傷ついた体を目にしてサッと顔色を変えた。その口が謝ろうとするのを遮って、イスクラが言った。


「無駄口は聞くな。今は娘たちを攫った鳴き人たちを探すぞ。何をしてでも捕まえなければ」


 イスクラの厳しい口調に、ルドルフは森の茂みの奥を指差した。


「あの、奥に」


 聞くや否や、イスクラは血の滲んだ足で駆け出そうとした。その腕を、ルドルフが慌てて掴んで引き止めた。


「何をするルドルフっ」


「おれがやる」


 予想外の申し出に、イスクラとサーシャがそろって眉を寄せてルドルフを見た。

 2人の戸惑いをよそに、ルドルフは息を吸い込むと、森の奥の一点を睨みつけて、吸い込んだ息を吐き出して吠えた。狼の遠吠えよりも低く、熊の唸り声よりも長い咆哮が、凄まじい風を巻き起こした。木々がバキバキと音を立てながらドミノのようになぎ倒されて去く。その最後の一本が根元から折れたところから、人の悲鳴が上がった。


「あそこだ」


 ルドルフはイスクラに声をかけると、揃って駆け出した。走りながら、イスクラがニヤリと笑った。


「そうかルドルフ、魔力の声を、自分の意思で使えるようになったんだな」


「でも、まだ難しい」


 ルドルフは顔をしかめながら答えた。出ないと、何もかもを吹き飛ばしそうだったからだ。言葉がたどたどしいのも、自分の中の魔力との折り合いをつけるため。気をぬくと、また魔力に全てを乗っ取られそうになる。ルドルフは吠えたい衝動に駆られる猛犬を、身のうちの鎖に繋いでいるのだ。

 2人はなぎ倒された木の根元にたどり着いた。折れた木のしたに、2人の盗賊が伸びている。頭のフォマーと鳴き人のマトフェイだ。マトフェイは悔しそうにルドルフとイスクラを睨みつけた。


「てめえ、この野郎」


 と、言いかけたマトフェイの口の中に、ルドルフが何かをぐいっと押し込んだ。マトフェイが困惑して呻き声を漏らした次の瞬間、ばたりと倒れ込んで目を回してしまったではないか。

 イスクラが驚いてルドルフを見ると、ルドルフは肩をすくめた。


「ルド、何を入れた」


「サーシャの香袋。この匂いを嗅いだら、操りの魔力がとけたんだ」


「この香り、ラベンダーの花だな。その香りには鳴き人の魔力を抑える効果があるのか」


「わからない、でも効き目は確かだ」


 ルドルフとイスクラは、目を回しているマトフェイを見下ろして胸をなでおろした。対照的に、フォマーはがっくりと頭を落とした。戦いに勝ったイスクラは、冷たい言葉を突きつけた。


「盗賊のフォマー、貴様を連行する。ただで済むと思うなよ」


「そりゃ楽しみだ」


 フォマーは皮肉を返し、悔しそうに目を瞑った。




 それから、イスクラの元に駆けつけた援軍がフォマーとマトフェイを連行し、イスクラとルドルフを介抱しながら、セリティナ村まで戻っていった。

 ルドルフは約半日、サーシャは2日ぶりの帰路だが、それよりもずっと長く離れていたような気がしていた。村の門をくぐった時には、思わずサーシャは目の奥が熱くなった。

 しかしそれよりも、2人を出迎えたアブラムが、襟まで涙で濡らしていたのをみて驚いた。ルドルフとサーシャは顔を見合わせ、思わず笑いだした。

 さらに、サーシャと婚約すると言っていたはずの、ペトホフ養鶏場のマールが、正式に婚約破棄を言い渡してきた。もう少し、家族だけで過ごしたいのだという、妹からの熱烈な要求があったらしい。

 もちろん、サーシャは二つ返事で了承した。ところが、1番喜んだのは意外にもアブラムだった。


「ペトホフん家の息子が、あんな豚野郎だとは思わなかった。ああ心臓に悪い!」


「サーシャにとっては、いい結果だね」


 と頷いたルドルフに、アブラムは目を丸くして息子の顔を見返した。ルドルフは、少しはにかんで目を伏せ、ぽつりと話しだした。


「魔力を暴走させたんだ。イスクラが怪我をしてるのは、ほとんど俺のせい。でもおかげで、魔力を使うコツをつかんだ」


「そうか、そいつはよかったな」


「喋れるっていいね」


「今だけさ」


 アブラムはそれっきり、ルドルフに何も言わなかった。ルドルフはもっと話したかったが、村人が自分を見つめる視線に気づいて、慌てて身を潜めた。親子の会話はそれっきりだったが、ルドルフにはやらなければならないことが残されていた。




 その日の夜、ルドルフはイスクラのテントを訪れた。イスクラは昨晩と同じように、忙しそうに机に向かって仕事をしていた。だが彼女の体はボロボロ、顔にも大きなガーゼを貼り付けている。側には松葉杖まで置いてある。ルドルフは青い顔をして、下を向いていた。


「謝罪しにきたならさっさと帰れ、聞くだけ時間の無駄だ」


 イスクラがルドルフの顔に目もやらずに、書き仕事を続けながら告げた。


「違う、そうじゃない」


 ルドルフは大きく肩で息をすると、イスクラの前に踏み出して告げた。


「おれを、軍に入れてください」


 イスクラが手を止めた。眉を寄せたその顔が何か言う前に、ルドルフは自分から一気に話しだした。


「鳴き人を探してるんだろ、おれはもう村にいられない。鳴き人だとバレたから、父と妹に迷惑をかける。それに、イスクラは強い、もしおれが暴走しても、止められるだろ」


「ふざけるな、貴様となんか二度とやり合わん。次こそこっちが死にそうだ」


 イスクラは鼻で笑うと、前のめりになって言葉を続けた。


「だが、貴様の言う通りわたしは鳴き人の力が欲しい。アブラムから聞いたかも知れんが、わたしは鳴き人を軍事力として使いたいんだ。お前にはそれができるのか?」


「人を殺せってこと?」


「人じゃない。敵をだ」


 イスクラは訂正してから、別の話題をルドルフに出した。


「まあそれでも、軍に入るのはお前にも悪い話ではないはずだ。居場所を失ったお前は、新たに私の部下としての居場所を手に入れる。さらに軍属の地位と不自由のない生活を保障しよう。それに、他の鳴き人と会う機会を設けてやる」


「ほかの鳴き人に会えるのか」


「これから探し出すんだ。どうだ、会ってみたいか?」


 イスクラの質問に、ルドルフはすぐには答えられなかった。

 自分は鳴き人でありながら、長いこと魔力をどうにもできなかった。凶暴な力を手なずけることができたと言っても、気を緩めばまた魔力が勝手に出てきてしまいそうになる。また災害を起こすかも知れない。

 そんな自分が、生きていく道なんてあるのだろうか。

 でももし、ほかの鳴き人が自分と同じように苦しんでいるとしたら。

 ルドルフが考えを巡らせていると、イスクラが言った。


「私は明日の朝一番に出立する。それまでに帰って家族と相談し結論を出せばいい。後から追いかけてきてもいいぞ」


「いえ、一緒に行きます」


 ルドルフは間を入れずに即答した。悩みがないといえば嘘になるが、他に道があるだろうか。ルドルフはイスクラの目を見つめる。口調さえも変わったルドルフの変化を見たイスクラは、ニンマリと笑った。


「では明日の朝5時に、村境の墓場の前に来い。これは命令だ、遅れるなよ」


 イスクラはそれだけ告げると、ルドルフに下がるように言った。2つ目の命令に従ってルドルフがテントを出ていくと、イスクラは再び書類にペンを走らせ始めた。だがその顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。

 イスクラはあの兄と妹の、感動的な抱擁を思い出していたのだ。

 あの2人は、お互いに思いやっている兄妹なのだが、双方が胸に抱いている思いが、微妙にすれ違っているところが面白い。イスクラは気づいていたのだ。

 もし、あの関係のいく末を見ていけたら、さぞかし楽しいのだろうな。そう思うだけで、笑みがこぼれるイスクラだった。



 ルドルフが家に帰ると、すでに家の明かりは落ちていて、窓を叩く風の音だけが流れていた。

 外から差し込む薄明かりを頼りに、ルドルフが水を飲もうとしたときだ。


「イスクラに会ってきたのか?」


 アブラムの沈んだ声が、ルドルフにかけられた。


「出ていくんだな」


 黙ったままのルドルフに、アブラムはそう語りかけると、毎朝そうするように食卓の椅子に腰かけた。ルドルフも、慣れた手つきで水瓶の蓋を開け、2つのコップに水を注ぐと、その1つをアブラムの前に差し出した。


「サーシャはもう寝ちまったぞ。いろいろあって疲れたんだろうよ。ありゃ明日の朝も起きてこねえだろうさ」


「父さん、俺がイスクラについて行くのは、鳴き人のこと、もっと知りたいからだ。魔力を使いたいとか、家出とかじゃない」


 それだけはわかって欲しい。と、ルドルフが念を押すと、アブラムは何も言わず、ただ前に置かれたコップの水をじいっと見ているだけだった。

 ルドルフが、続けて口を開いた。


「父さん、もう1つ聞いてもいい?」


「なんだ」


「俺、操りの声を使う鳴き人に、操られたんだ。あの魔力は、とても強力だった。他に操られた人に、ラベンダーの香りを嗅がせても、魔力は解けなかったんだ。あの魔力を解くには、朝日を浴びるしか方法がないんだって」


 ルドルフは、あの後にマトフェイの尋問に立ち会って知り得たことを、アブラムに語った。そのうえで、ルドルフはアブラムに本題をぶつけた。


「どうして父さんは、すぐに魔力が解けたの?」


 訪ねたルドルフは心臓から口が飛び出しそうなほど緊張していた。自分もアブラムと同じように、すぐに魔力が解けたからだ。その理由をルドルフなりに考えて見たが、導き出した仮説は、馬鹿げているけどそれしか答えがないのだ。

 すると、それを見透かしたかのようにアブラムはルドルフを睨みつけ、魔法が解けたみたいに微笑んだ。


には、魔力の効果が薄まるのさ」


「じゃあやっぱり、父さんも」


 アブラムは声を出して笑うと、神妙な面持ちで告げた。


「察しの通り、俺も鳴き人だ」


 ルドルフは固唾を呑んだ。


「どうして、いままで内緒にしてたの」


「俺の声は、お前や操りの鳴き人のように、他人に見せられる魔力じゃねえが、死人との会話ができる。言ってみれば亡者の声だな」


 父の告白を聞いて、ルドルフは背筋がゾッとした。それでは、父が時折、1人でブツブツと喋っていたのは、目に見えない亡者の魂たちと談話に興じていたからなのだ。ルドルフの抱いた恐怖をかき消すように、アブラムが笑いながら話した。


「お前がガキの頃から魔力の制御なんて教えてきたが、そんなの鳴き人じゃないとわかるはずないだろ。なのにお前ときたら、俺の言うことに全く疑いもせずひたすら順従だったからな」


「そんなのわからないよ」


 拗ねたような言い草のルドルフに、アブラムは笑顔を浮かべてから、一転して顔色を変えた。


「だがな、まだお前に教えていないことが3つある。俺が鳴き人の魔力を消そうとして、亡者どもに聞いて回って、ようやく掴んだ事実だ」


 アブラムは、3本の指をルドルフの前に突き出して、一本ずつ降りながら続けた。


「1つ目は、魔力は絶対に亡くならないこと。2つ目は、鳴き人どうして魔力を掛け合うと、その力は相殺され半減されること。そして3つ目は、鳴き人は、魔力の声を使えば使うほど、魔力に食われていき、やがて人の形を保っていられなくなる」


 真剣に聞いていたルドルフだが、最後の3つ目だけは理解が追いつかず、んっ? と顔をしかめた。それを見たアブラムは、最初からそうするつもりだったように袖をめくって腕を突き出した。薄明かりの中でぼんやりしてはいるが、アブラムの腕は月明かりを受けて、キラキラと輝いて見えていた。まるで、透き通ったガラスのように。


「光のせいじゃねえ、本当に透けてるんだ」


「どういうこと?」


 ルドルフが目を向いて父の顔を見ると、アブラムは力なく答えた。


「魔力に喰われるって言っただろう。魔力の声を使うほどに、だんだん体が透けていき、最後には霧みたいに消えちまう。例えば、あの操りの声の鳴き人は、若いくせに魔力を使いすぎている。近い将来、体が消滅してこの世から消えちまうだろう」


「そんな」


「いいか、ルドルフ」


 顔を曇らせたルドルフに、アブラムが強い口調で言った。


「魔力を使いこなせるようになったなどと思うな。所詮、魔力なんてこの世のものじゃねえ。人間の手にお言えるものではないことを心に刻んでおけ。強大な力は、その代償も大きいのだ」


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