第13話 解けた封印



「ルドルフ! どうした、しっかりしろ! 妹を助けにきたんじゃないのかっ?」


 一抹の希望を捨てきれずに、イスクラがルドルフに叫ぶように訴えた。だが、ルドルフは相変わらず焦点の合わない目をして、ふらふらと立ち尽くすだけだ。


 やはり、ダメか。


 イスクラはがっくりと膝をつきそうになりながらも、しっかりと剣を握り直した。

 さすがのサーシャも、ルドルフの様子に心が折れそうだった。ルドルフは、うんともすんとも言わない。その顔には必需品であったはずの口を隠す布がなく、整った唇が剥き出しになっている。いつもなら胸が高鳴るはずなのに、今は違う意味で心臓が大きく鼓動を打っている。まるで、銃口を向けられた獣のような気分だ。それは、機関銃の矢面に立たされているようなものだから。


 心臓が縮み上がるほどの恐怖を抱いているのは、サーシャだけではない。イスクラも肝を冷やしてルドルフを睨みつつ、盗賊とマトフェイの動きにも神経をとがらせていた。この緊迫した状況を切り抜けるための策を必死に探すが、これほどの危機的状況は初めてだ。下手に動けば命が危うい。だが、イスクラの場合、それよりも怒りが勝っていた。イスクラは、悔しそうに唇を噛みしめ、ありったけの憎悪を込めた目で盗賊を睨みつけた。


「なるほど、お前が盗賊の親玉ってわけだ。貴様、はなからこうするつもりだったな。娘たちを囮にして」


「このフォマー様は、そんな酷えことはしねえよ。娘たちだけじゃなく、俺の部下どもも一緒にくれてやっただろう」


 フォマーは嬉々として答えると、前に立たせたサーシャの顎をむんずと掴みあげ、いやらしい笑みを浮かべた。


「小娘どもを売ったところではした金にしかならねえ。小せえ盗賊どもの頭でいるより、大砲みてえな鳴き人を抱え込んだほうが美味しいってことさ」


 さらった娘どもを使い捨て、仲間を売り、ルドルフをおびき寄せて洗脳する。ルドルフの破壊的な能力を掌握したいがために。

 イスクラは吐き気がした。


「クソ野郎が、性根まで腐りきっているようだな」


「なんとでも言えよ女将校さん、どうせあんたはここで死ぬ!」


 フォマーが高らかに言い放つと、それを合図にマトフェイが叫んだ。


「叫べ、ルドルフ!」


 イスクラは目を見開いて身を翻した、その直後だ。


「イィィスクラァァアアァッッ!」


 声とも鳴声ともつかぬ絶叫が、ルドルフの口から飛び出した。ルドルフの声は凄まじい風となって土をえぐり、砂塵を吹き上げる。爆風の直撃を受けた木々が、バキバキと音を立てて根元から折れるのを目にして、さすがのイスクラも目を剥き青ざめた。


 かすっただけでもヤバイではないかっ!


 日頃から修練を重ねた自分の肉体が命を救ってくれたが、次も避けきれるとは限らない。しかも、イスクラに休む間はなかった。敵はルドルフだけじゃない。地面に転がった姿勢から素早く起き上がると、自分目がけて振り下ろされた剣を、小銃で間一髪受け止めた。切りかかってきたのは、パーヴェルだった。


「パーヴェル、貴様っ、汚い格好しやがってっ!」


 イスクラが食いしばった歯の奥から声を絞りだし、部下のみすぼらしい服装をなじった。得意のナイフで襲いかかってきたパーヴェルの出で立ちは、小汚い荒くれ者のそれだった。彼が身に着けていた上等な詰襟の軍服は、マトフェイとかいう奴が着ている。つまりパーヴェルは、奴らに操られ手駒にされた挙句、盗賊が軍隊に紛れるための恰好の道具まで与えてしまっていたわけだ。

 イスクラは、どこまでも読みが甘かった自分を呪いながら、小銃でギリギリ受け止めたパーヴェルのナイフを押し返した。一寸の躊躇もなく、剣を構えてパーヴェルに切りかかる。しかし、パーヴェルはするりとイスクラの切っ先を交わし、鍛え上げた屈強な肩を惜しげも無く使って、強烈な肘鉄をイスクラの脳天に叩きこんできた。だが、黙ってやられるイスクラではない。敢えてパーヴェルの肘鉄を受けると、サっと腰を屈め、パーヴェルの体にぶら下がっている、男の急所を思いっきり握りつぶした。


「役立たずはくたばってろっ!」


 額からの流血をもろともせずにイスクラは怒鳴り、ギョッと顔を引きつらせたパーヴェルの横っ面に、強烈な二段回転蹴りを食らわした。玉を潰された挙句に、金槌で殴られたと同様な衝撃を二度も食らって、さすがのパーヴェルも膝から落ちて地面に突っ伏した。


 ところが


「イィスゥクゥラァァア!」


 再びルドルフの絶叫が轟いた。イスクラは倒れたパーヴェルの服を掴むと、自分もろとも爆風の届かぬところ飛び込んだ。だが、今度は衝撃波がイスクラの足をかすった。ブーツがちぎれタイツが破け、むき出しの肌から血が滲んだ。


「どいつもこいつもっ!」


 イスクラは愚痴をこぼしながら、しっかりした足取りで立ち上がり、ルドルフに剣の切っ先を向けた。



 パーヴェルと戦うイスクラの圧倒的な強さと、凄まじい破壊力を見せつけたルドルフの声を見て、フォマーが大声をあげて笑った。


「最高じゃねえかっ! なんて楽しい余興なんだっ! この国を出る前にこんなもの見れてラッキーだったぜ!」


 夢中になって観戦しているフォマーを、サーシャが憎々しげに睨みつける。だが、両手を縛られ口を塞がれ、抵抗するすべは全て取り上げられてしまっている。おまけにフォマーの腰には拳銃が控えていた。むやみに抵抗して、危険を増長はできない。

 サーシャは悔しかったが、諦めているわけではない。密かに両手をひねり続け、手首を縛る縄をなんとか緩めようとしている。幸いにも、縛られる直前にほどこした“細工”がばれずに済み、服の袖の上から縛られた縄は、少しずつ緩み始めていた。サーシャは好機を幸られないよう静かに反撃の準備を整え続けた。

 人質のささやかな抵抗に気づかないまま、フォマーがマトフェイに発破をかけた。


「マトフェイっ、さっさと終わりにしろよっ」


「ルドルフ、その女を殺せ!」


 マトフェイの命令がズンっと響いてルドルフに重くのしかかる。ルドルフは突き動かされるように足を前に進めながら、肺いっぱいに息を吸い込んだ。

 また、ルドルフの咆哮が飛んでくるっ。

 サーシャも、イスクラも、目を剥き、向けられるであろう爆風に備えて身構えた。


 ところが、いつまでたってもルドルフの口から声が出てこない。ルドルフは背中を丸めて嘔吐するように腹を抱え込むと、ブルブルと震えだし、食いしばった歯の奥からフーッフーッと湿った荒い息を吐き出し始めたのだ。


「どうした! 叫べっ、声を出せっ!」


 命令の意図した行動とは違うルドルフの動きに、マトフェイはギョッと驚いた。操りの力がこもった声でもう一度ルドルフに命令を飛ばすが、ルドルフは血がにじむほど拳を握りしめ、吠えたい衝動をかみ殺すように歯を食いしばり、ギュッと身を縮めた。

 マトフェイは目を見張り、自分の声に従わないルドルフを恐怖の眼差しを向けた。

 その一方で、イスクラはルドルフの行動に目を光らせた。敵前で武器をしまい、身をむき出しにするとは。切ってくれと懇願しているも同然だ。ルドルフの異変を好機とみなし、手にした剣を構えなおした。


「すまない、悪く思うなっ」


 イスクラは横目でサーシャの引きつった顔を見やると、構えた剣を振りかざして、ルドルフ目掛けて駆け出した。サーシャが、目を剥き、兄の首目掛けて振り下ろされるイスクラの刃を見つめた。

 しかし、


「アアァアァアァアァアアアッッッ!」


 決壊した堤防から流れる濁流のごとく、ルドルフの大きく開いた口から声が放たれた。イスクラは咄嗟に地面を蹴って避けようと試みた。ところが、さっき貰った足への一撃が響き、ルドルフの頭上に高々と剣を振り上げた姿勢にまま衝撃波の全てを身に受けてしまった。イスクラは口から血を吐きながら、なすすべなく吹き飛ばされた。



 その惨状を目の当たりにしたサーシャは、猿轡の奥から声を絞りだしてイスクラの名を叫んだ。だが、歴戦の猛者のごとく、戦場で舞った麗しき女将校は、ドシャリとボロ雑巾のように地面に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

 その様子は、ルドルフのガラス玉みたいになった目にもしっかり焼き付けられていた。


「はっは、死んだか?」


 フォマーが面白そうに乾いた笑いをあげたと同時に、マトフェイの顔がサっと青ざめた。


「どうした、マトフェイ」


「こっ、こいつ……」


 マトフェイは、丸まったルドルフの背中を戦々恐々と睨みつけていた。

 ルドルフはまだブルブルと震え、足をガクガク揺らしていた。しかし、その両腕はさっきと異なり口元へ動かされ、両手のひらで口をギュッと押さえつけていたのだ。


「こいつ、おれの操りの声に反発しようとしてる」


 マトフェイは、信じられないと言わんばかりに大口を開け、ルドルフに叱咤した。


「なに勝手に口を閉じてる、声を出せルドルフ!」


 しかし、やはりルドルフの両手はしっかりと口を塞ぎ、もう一声も漏らそうとはしない。

 目の前の状況に、マトフェイは愕然とした。




 マトフェイが生まれて初めて操りの声を発揮したのは5歳の頃だった。両親のやっているパン屋に、たくさんの人に来てもらいたくて、


「パンを買いに来て」


 と、町中のいたるところで口にしたのが発端だった。それから実家のパン屋は大盛況。あっという間に町一番のパン屋になった。

 それ以来、教師、意地悪なガキ大将、金持ち、政治家、いろんな人間に操りの声を使って、意のままに動く人形に仕立て上げてきた。戦争で家族ごとパン屋を焼かれた後は、なおさら操りの声は最高の商売道具になっていった。

 だが、今まで一度だって、操りの声に逆らおうとする奴は現れなかったし、そもそも、跳ね返せるようなシロモノではない。

 なのになぜ、このルドルフという男は、今にも自我を取り戻さんと、身の内で感情を爆発させているんだ。



「マトフェイ、どうなっていやがるっ?」


 異変を察したフォマーが、鋭い声をマトフェイに飛ばした。マトフェイが首を横に振りかけたその時、ルドルフの全身の震えが、フっと収まった。口を押さえていた両手はだらんと垂れ下がり、深い息が口から蒸気機関のように放たれている。

 その場にいる全員が、固唾を飲んでルドルフを注視した、その瞬間。


「アアァアァァアァァアァアァアッッッ!」


 ルドルフはバネのように空を見上げて、天まで届く勢いの絶叫を轟かせた。空気がビリビリと震え、木々の葉がザワザワと音を立てて飛び散っていく。

 マトフェイは意図しなかった行動に驚いて立ち尽くし、フォマーとサーシャも轟音と暴風を肌に受けて思わず身震いした。

 空に響く遠吠えのように声を発し終わったルドルフは、フウっと気持ち良さげにため息をつくと、恍惚とした笑みを浮かべた。


「 コエ ヲ ダスノ タノシイ 」










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