第9話 時を知る者


 夜の森に馬を走らせるマトフェイは、サーシャを連れ、朽ちかけた教会にたどり着いた。ほとんど用をなしていない木の扉を開けて、中に踏み入る。教会の屋内は、外ほど朽ちてはいないが薄暗い。

 マトフェイは、サーシャの手を引きながら、教会の奥に足を進めた。ボロボロの礼拝堂に入ると、見慣れた顔の荒くれ者どもが、寝そべったり賭け事に興じたりと、思い思いにくつろいでいた。しかし、マトフェイがサーシャを連れて入ってくると、みな珍しそうに視線を向けてきた。


「この子はおれの客人だからな!」


 マトフェイは仲間達に釘をさすと、彼らの横を足早に通り過ぎた。

 礼拝堂の奥に、司教部屋がある。マトフェイはその扉を開け放つなり声を上げた。


「フォマー、大変だっ!」


 そこにフォマーがいた。彼は武器やジャケットを外し、くつろいだ様子で煙草を吸っていた。しかし、駆け込んできたマトフェイを見るなり、目を大きく見開いて煙草を吐き捨てた。


「マトフェイ!? お前、無事だったか!」


「なんとかね、でもとんでもない事が起きたんだ……ちょっと待て。フォマー、どうして今、驚いた?」


 マトフェイは、口早にフォマーに状況を説明しかけたのを、ピタリと止めた。すると、フォマーの顔がサっと青ざめた。マトフェイの脳は、その反応を適切に読み取った。理性がものを言う前に、マトフェイの腕がフォマーの襟首を掴み上げた。


「お前、セリティナ村で軍隊が待ち伏せしてるって知ってたのか!?」


「違うっ、直前まで知らなかった!」


「どうして教えなかったんだっ、時間はあったはずだろっ! おかげでモリスは、両腕吹っ飛ばされて投獄された! 他の仲間もみんな捕まったぞ!」


 マトフェイが詰め寄ると、フォマーは絶句し、両手で頭を押さえながら、司教用の大きな机にがっくりと腰を落とした。しかし、それでもマトフェイの追随は収まらず、低くなったフォマーの背丈を見下ろしてさらに追求した。


「おれたちを囮にしたのか?」


 フォマーはしばらく黙り込んだ。朽ちた祭壇に灯った蝋燭が揺れる。マトフェイがフォマーの返事を待ち続けていると、ようやく、フォマーがぽつりと言った。


「悪く思うなよ、おれたちの賊はでかくなりすぎたんだ。潮時さ」


「そのために、モリスを見殺しにしたのかっ!」


「見殺しにしたのは、お前だろっ? 」


 フォマーの切り返しに、マトフェイは言い返す言葉を失った。図星だったのだ。フォマーはさらに続けた。


「モリスは喧嘩っ早いが、実力はない。だから軍に目をつけられちゃぁ、遅かれ早かれ、あいつは捕まると思った。だが、お前と一緒なら助かるかもと楽観視してた部分もあったんだ」


 落ち着きを取り戻したフォマーに諭され、マトフェイは、先の振る舞いのように感情に任せて怒鳴り散らすことはしなかった。押し黙ったマトフェイを見つめ、フォマーは自分の髪をくしゃっと掴んだ。そして、沈んだ声で謝った。


「すまない、全ては俺の責任だ。結果的におれがお前らを貶めた。お前に殺されたって文句は言えないな」


「そんな、お前を殺すなんてありえないよ。ただのゴロツキだったおれを、ここまで引っ張ってくれたのはお前じゃないか。おれこそすまない、モリスを見捨てて戻って来ちまった」


 フォマーは憂を含んだ笑みを浮かべ、そして、しばらくうなだれた。次に顔を上げたときには、打って変わっていつもの調子に戻っていた。


「ところで、そこのお嬢ちゃんは何なんだ?」


 話題を変え、フォマーが尋ねる。その視線の先には、操られたまま連れて来られたサーシャがいた。マトフェイは、今の今まで忘れていたせいで、あっと声を出してサーシャの横に立った。


「この子はセリティナ村のサーシャちゃん。色々あって知り合ったんだ。この子を使って、モリスを受け渡すように軍隊に交渉しようと思って、誘拐してきた」


 モリスを? と、フォマーは怪訝な顔で言った。


「そうさ、モリスはまだ死んだわけじゃない、だから」


「やめとけ、モリスのことはもう諦めろ」


 熱弁を振おうとしたマトフェイを、フォマーがピシャリと切り捨てた。


「生きてたとしても、モリスは両腕が吹っ飛んじまってるんだろ? 軍隊からモリスを取り戻したところで、その先はどうする? まさか、腕のない男の介護を一生続けるつもりか?」


「そ、それは……」


「戻って来たって、あいつも苦痛なだけだ。モリスは死んだと思って忘れた方がいい」


 マトフェイは返す言葉が見つからなかった。先のことなんて、考えていなかったからだ。フォマーの視線から逃れるように俯くと、ソファにがっくりと腰を降ろした。


「それじゃ、この子は村に返してくるよ。ここに入られても邪魔なだけだ」


「いや、そうでもないぞ」


 落ち込んだ様子のマトフェイに、フォマーがそう告げた。意外な助言にマトフェイが顔を上げると、フォマーは頭をかきながら切り出した。


「実は今日、おれは軍隊の動向を調べるためにお前らと離れたわけじゃねえんだ。馬よりももっと高く売れる商品を探しに行ってた」


 言い終わると、フォマーは、マトフェイに付いて来いと告げて、教会の礼拝堂に向かって歩き出した。マトフェイはサーシャを連れ、後を追う。向かった先には、地下に通じる階段があり、そこを降りると、食料や酒などを貯蔵するための倉庫があった。フォマーが入り口の鍵を開け、扉を開いた直後、マトフェイは驚いて目を剥いてしまった。中には、若い娘が8人も押し込められていたのだ。娘たちは、怯えきった表情で二人を見上げてきた。震えて微動だにしない彼女たちを見つめ、フォマーが口を開いた。


「近隣の村から攫ってきた。馬と同等かそれ以上で売れるぜ」


「売る……って、奴隷としてか」


 マトフェイが恐る恐る尋ねると、フォマーは落ち着き切った返しをした。


「おれの祖国の軍人がご所望なんだ。やっこさんには軍馬も必要だが、行軍に連れて行く娼婦も欲しいときた。自国の女を連れてくわけにはいかないから、交渉次第では、馬以上の値がつくだろうよ」


「行軍用の娼婦って、まるで戦争でもおっ始めようとしてるみたいだな」


 マトフェイが引きつった笑みを浮かべ、フォマーの目を見た。だが、すぐに目を反らせてしまった。フォマーはそうさせるような表情をしていたのだ。


「ついに、おれたちも人身売買に手を染める時が来たのよ。そのあとは、どこか静かな国にでも逃げればいい」


 フォマーはそう呟くと、サーシャの手を取って、娘達の中に放り込んだ。勢い余って、サーシャは転び、汚れた石畳に手足をつく。マトフェイが思わず声を上げた。


「せっかく綺麗な肌をしてるのに、泥がつくじゃないか」


「バカ言え、これからもっと汚れるんだ。これぐらいで悲鳴を上げられちゃ、この先やってけねえだろ」


 フォマーはそう言い残すと、倉庫から出て扉を閉めようとした。マトフェイは、座り込んだサーシャの背を、名残惜しそうに見つめながらも、フォマーの後を追った。軋んだ音を立てて、倉庫の扉が閉められる。マトフェイはため息をついた。


「さて、おれ達も先の計画を立て直すか。まずはセリティナ村での出来事を教えてくれ」


 待ったなしにフォマーが切り出す。マトフェイは無言で頷き返した。




 その頃、ルドルフはランタンを握りしめて、森の中を駆け回っていた。茂みの奥や木の陰。大きなへこみのある戦場の跡地まで見て回った。しかし、どこを探してもサーシャの姿は見つからない。ルドルフは、走り回ったせいで息が上がり、汗をびっしょりかいて服が濡れていた。顔に滴る汗を拭うために、口元の布でぐいっと顔をこする。その時、馬の蹄がかける音がした。


「ルディ! そっちにはいたか!?」


 アブラムがアハルテケに跨ってやってきたのだ。期待を浮かべた眼差しの父に、ルドルフは俯いて首を横に振る。すると、落胆する父のため息が返ってきた。


「そうか……。一旦、村に帰ってみよう。軍隊や村の衆が、何か見つけているかもしれん」


 アブラムに励まされ、ルドルフはうなだれながら、頷いた。父の後ろについてアハルテケに跨ると、雌馬はゆっくりと歩き出す。静かな森に、馬の蹄はやけに響いた。



 セリティナ村の景色は、いつもと全く違っていた。いくつも灯された松明が、非常事態を高らかに主張し、村には落ち着きがなかった。ルドルフは、炎の灯に急かされ、軍の宿営地を目指して足を進める。だが、誰かがアブラムのことを呼び止め、ルドルフも足を止めた。


「おーい、マヤフスキ」


 振り返ると、タワシのような口髭を生やした男が、大きな体を揺らして駆け寄ってくるところだった。ルドルフは見たことのない男だったが、アブラムは顔見知りらしく、とても驚いた様子で、太った男と手を取り合った。


「ペトホフ!? なんでお前がセリティナ村にいる?」


 名前を聞いて、ルドルフはピンときた。ペトホフとは、アブラムがサーシャの結婚相手の候補に挙げたやつの名前だ。ということは、この男は、その父親に違いない。ルドルフはまじまじとペトホフを見た。身なりが良く、財布の中身もふくよかそうである。

 ペトホフは、疲れ切った顔をして、アブラムにすがるように話し始めた。


「実は、うちの長女が突然居なくなったんだ。今朝、牛小屋を見に行ったっきり、どこを探しても見つからなくて。それで、ここに軍隊が来てるっていうから、頼りに来たんだ」


「そうか、お前もか……」


 サッと顔を陰らせたアブラムの言葉に、ペトホフは弾かれたように驚いた。


「お前もかって……、それってまさか」


「あぁ、お前もよく知ってる俺の娘、サーシャも攫われたらしい」


「なんということだ」


 無念そうに打ち明けたアブラムに、ペトホフはそれを上回るほどの悲壮感を込めて、うなだれてしまった。今にも失神しそうなペトホフを見かねて、アブラムが声をかけた。


「軍の隊長さんは、かなり切れ者の女将校だ。きっと探し出してくれる。娘たちの無事を信じよう」


「あぁ、そうだな……、おや、そこの青年は、お前のところの息子か?」


 ペトホフが顔を上げた瞬間、ルドルフが立っているのに気付いて声をかけてきた。アブラムは、気まずそうに咳払いをしながら答えた。


「まぁ、そんなところだ」


「そうか、おれも息子を連れて来てるんだ。お前の娘と縁組させようと言った息子だよ」


 ペトホフはそう言うと、後ろに向かって大声で呼びかけた。すると、何かが、のっしのっしとこちらに歩いてくるのが目に映った。それは、ペトホフをはるかに凌ぐ巨大な脂肪の塊だった。真っ白なハムが農夫の格好をして、天辺にブロンドのモップを乗せてるみたいだ。真っ青な小さな目が、ギロッと光る。アブラムとルドルフは圧倒され、開いた口が塞がらなかった。


「息子のマールだ。ちょっと育ちすぎだがな、うちで取れる卵が、栄養満点なせいなんだ」


 ペトホフは恥ずかしそうに息子を紹介すると、マールの豚の腹のような腕をパチンと叩いた。すると、肉がぼよよんと弾んで波打った。マールが、じろっとルドルフを見た。挨拶らしい挨拶はない。


「パパ、この人誰?」


 マールが肉に埋まった首を動かして、ペトホフに尋ねた。ペトホフは、妙な猫撫で声をして息子の問いに答えた。


「パパの友達さ。お前のお嫁さん候補の」


「その話は後でしよう。今は娘達を探すのが先決だろう?」


 アブラムがスパっと口を挟んで、ペトホフの紹介を叩き切った。ペトホフは、それもそうだと頷いて、アブラムの後を追い慌てて歩き出した。ルドルフもそれに続こうとした。ところが、突如、柔らかいものに跳ね返された。マールに体当たりされたのだ。


「ぼくの前を歩くなよ、間抜け」


 マールは鼻で笑うと、のっしのっしと歩いて行った。ルドルフは、布の下で口を尖らせ、汚いデブの背中を睨みつけながら歩いた。

 ルドルフがそんな顔をして、イスクラの前に出たものだから、イスクラは誰よりも先にルドルフに声をかけた。


「どうした、やけに不機嫌だな。やっと“声”を使う気になったか?」


 イスクラは笑いながら、さりげなくルドルフに盗賊達を脅すように促してきた。だが、その必要はないのではと思えるほど、イスクラは盗賊達ボコボコに痛めつけていた。いくらアジトの場所を吐かせるためとはいえ、ここまでやったら、軍隊の存続さえ危ういのではないかと心配になってくる。

 しかし、それでも盗賊達は1人として口を割ろうとしないらしい。イスクラは唇をかみしめて悔しがっていた。


「盗賊どもめ、よっぽど盗賊の親分に恩義を感じているようだ。一体どんなやつが率いてるのか気になるだろう?」


 と、イスクラは皮肉を口元に浮かべて微笑んだ。そんな彼女に、マールが声を荒げて詰め寄った。


「そんなことはどうでもいいんだよ! おれっちの妹はどこにいるのか、さっさと探せよ!」


 相手が女だからと見くびって、マールは強気な態度で出たらしい。しかし、相手はただの女ではない、このイスクラだ。


「黙れ豚野郎! わたしはこの世で一番デブと不細工が大嫌いだ! 両方兼ね揃えてる貴様など、わたしに謁見する価値などないっ。その醜い醜態をさっさと引っ込めんかっ!」


 怒鳴り返されたマールは、息が詰まったような悲鳴をあげると、鼻をブヒブヒ鳴らして父親の後ろに隠れた。しかし、大きな体は、当然隠れきれていない。ルドルフはそれを黙って見ていた。すると、イスクラがルドルフに言った。


「なんだ、お前でもそんな笑い方が出来るんだな」


 ルドルフは、顔が半分隠れているから油断していたが、秘めたる蔑みが表にまで出てしまっていたらしい。ルドルフが慌てて顔を取り繕うと、イスクラはますます面白そうに笑った。だが、すぐに険しい目つきになると、尖った口調で告げた。


「悪いが、お前達もここから出て行ってもらおう。ルドルフが我々に協力しないのであれば、お前達も部外者だ。邪魔にしかならん」


 ルドルフは思わず抗議しようとした。しかし、それよりも速くイスクラの口が動いた。


「貴様は、本気を出せば、わたしですら太刀打ちできぬほどの力を持っている。だのに、その正しい使い方を全く知っていない。無様な負け犬だ」


 そう静かに語ると、イスクラは冷たい眼差しでルドルフをひと睨みした。


「貴様が決心すれば変わることもある。今こそ、お前の価値を決めるときじゃないか?」


「良い加減にしてくれ。あんたの言う通り俺たち部外者なんだろう、おれたちはもう出て行く!」


 アブラムが声をあげ、イスクラに睨まれて立ち尽くしているルドルフの腕を引っ張り、無理やり歩かせた。それでも、イスクラは最後にもう一つ、ルドルフの背中に声を投げた。


「ルド、その時が来たのだ、あとは貴様の心次第だ」


 ルドルフは、わずかにイスクラを振り返った。しかし父親に腕を引かれ、何もせずに黙って出て行った。




 不本意な形での帰路となり、アブラムも、ペトロフ親子も何も言わなかった。ルドルフは三人から少し遅れて、下を見ながら歩いていた。そこに、歩みを並べる足が見えた。顔を上げると、マールのでっぷりした顔が、不思議そうな目でルドルフの顔を覗き込んでいた。


「なあ、お前、あのおっかない女隊長とどういう関係? あいつ、お前のこと買ってたみたいじゃん」


 マールの太った舌が、聞き取りにくい言葉を発する。しかし、ルドルフは首を横に振りかえすと、顔を隠す布の上から口を指差し、その前で手を交差させた。マールは、眉をひそめた。


「はっ? 何それ?」


 話せないと伝えるためのジェスチャーだったが、こんなにわかりやすいのに、マールには理解できなかったらしい。ルドルフは苦笑いを浮かべた。その時、道の外から驚嘆した様な声が飛び込んできた。


「す、すげえデブ!」


 ルドルフもマールも、声の飛んできた方を見た。そこには、いつもルドルフをからかって遊ぶ村の子どもたちの姿があった。いつもならとっくに家に帰っている時間だが、昼間の騒動のあとで村じゅうが騒がしく、おまけに軍隊や他所の村の衆までいるものだから、子どもにとってはお祭りの日のように、日が落ちた後も出歩くことに抵抗がないらしい。

 しかし、今は人攫い騒動が起きている真っ最中。家に帰った方がいい。ルドルフは、忠告するためにスケッチブックに手を伸ばした。すると、


「うわっ、あいつだ!」


 子どもたちが、マールの後ろに隠れていたルドルフを見つけて、声をあげた。ルドルフは思わずため息をついた。この子たちの、この後の行動は予想がつくからだ。いつものからかい文句が飛んでくる。

 ところが、目の前の子ども達は文句を並べるどころか、顔を引きつらせると、じりじりと後ずさりしだし、そして、ワッと逃げ出した。ルドルフは驚いて硬直した。

 やっと気付いたのだ、村の景色が、いつもと違うことに。

 娘を探しに来た他所の村の人間と一緒に、青ざめて震えている村人がいる。彼らは、おぞましいものでも前にしているかのような目をしていた。

 そして、ルドルフは戦慄した。

 彼らの視線の先にいるのは、自分だったのだ。

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