第6話 その声ゆえに



 戦火によって兄を亡くし、年老いた両親と炭屑と化した畑を見る。

 それが、先祖から土地を受け継いだアブラムの、最初の一歩だった。


「親父、お袋。そんな泣き崩れんなよ。おれがなんとかするから」


 アブラムはそう言って、鍬を手に取った。土地を再生するのに、どれほど労力を注ぎ込んでも足りはしない。汗水たらして働いた。

 そんな時である。ルドルフと、その母親マリーヤと出会ったのは。



 村の娼婦宿で、赤ん坊を連れた女が、娼婦にしてくれと頭を下げていた。それがマリーヤと、赤ん坊のルドルフだった。

 母子は酷くやつれ、ルドルフは顔に包帯を巻いている。一目見ただけで、二人がどのような身の上なのかがわかる有様だった。


「なああんた、働き口を探してるなら、うちに来いよ。年寄りばっかで、家事をできる人間が居ないんだ」


 アブラムは、娼婦宿から追い返され途方に暮れているマリーヤに声をかけた。哀れな女を女中として雇う。この時は、そのくらいの気持ちだった。すると、マリーヤは頭を下げて礼を言い、こんな条件を出してきた。


「数日の間のみなら」


 職なし宿無しの女だというのに、この言動はあべこべじゃないか。アブラムは疑問を抱いたが、たいして気にかけなかった。それにこの理由は、マリーヤを家に連れ帰ってすぐに判明したのだ。




 マリーヤは、手先が器用で料理も手芸も上手だったので、荒れ果てたマヤフスキ家は、その日のうちに、だいぶ綺麗な住まいになった。その間、ルドルフはアブラムの両親が世話をしていた。


「マリーヤさん、どうしてルドルフちゃんは、こんな布で巻かれてるんだい? これじゃ息苦しくて、声も出せないだろうに」


 アブラムの父親が、ルドルフの顔に巻かれた布を解き始めた。マリーヤは、持っていたフライパンを床に落としてまで止めに入った。


「その布を外さないでくださいっ!」


 ところが、すでにルドルフの小さな口が外気にさらされてしまった。顔を覆っていた布がなくなり、驚いたルドルフは泣き出してしまう。マリーヤは、アブラムの父親からルドルフを奪い取ると、覆いかぶさるように背中を丸めた。

 その直後、ルドルフが大声で泣いた。

 同時に、部屋を揺さぶるような衝撃が家族を襲う。ビリビリと空気が震え、アブラムとその両親はテーブルにしがみ付くように体を縮めた。

 ルドルフを抱いたままのマリーヤだけが、壁に吹き飛ばされ、叩きつけられた。


「マリーヤ、大丈夫かっ!?」


 一体何が起こったのか考える間もなく、アブラムはマリーヤを抱き上げた。そして、ぎょっとした。

 マリーヤが、手のひらでルドルフの小さな口を押さえつけているのだ。アブラムは慌ててマリーヤを止めた。


「何やってんだ! ルドルフを殺す気かっ?」


「でもっ、今のは、この子の泣き声のせいなんですっ! この子が泣いたら、家が壊れてしまいますっ!」


 マリーヤが怒鳴り返してきた。


「この子が泣くと、人も物も、何もかも吹き飛ばす衝撃になるんです」


「何言ってんだ、それよりもルドルフが窒息しちまうから、やめろって!」


 アブラムには訳が分からず、とにかくマリーヤとルドルフを落ち着かせようとした。しばらくして、マリーヤがポツリと告げた。


「やはり、この家にご厄介になれません。きっと今のようなことが、何度も起こります。怪我だって負います。この子がいる限り、わたしたちは普通の生活は送れないんです」


“今のような事”とは、ルドルフの鳴き声と、突然の衝撃のことを言っているらしい。最初に「数日の間のみ」と、条件をつけたのはそのせいだったのか。

 だが、まだ理解に苦しむアブラムは、マリーヤを止まらせようと説得を試みた。それでもマリーヤは言葉を曲げず、今にも出て行きそうだ。

 するとその時、アブラムの父親が問いかけた。


「マリーヤさん、ルドルフちゃんの父親は、どなたかね?」


「……誰の子かわかりません。ある日突然妊娠し、わたしが一人で産みました」


 マリーヤの答えを聞いて、アブラムは目を丸くした。

 ところが、アブラムの両親はさほど驚いた様子もなく、落ち着いた口調で語りかけた。


「だとしたら、おそらくあなたは、どこぞの精霊様に、見初められてしまったんだよ。ルドルフちゃんは、精霊の血を持つ鳴き人。だから、その子の声には魔力が宿ってるんだ」


「鳴き人だと?」


 アブラムは眉を吊り上げて父親を振り返った。マリーヤも初めて聞く言葉に、キョトンとしている。

 アブラムの両親は、精霊や鳴き人の話を、マリーヤに聞かせた。それは埃をかぶった古い話ではあったが、マリーヤは、理解し難かった息子の異常な能力について、ストンと腑に落ちたようだった。


「鳴き人は超常的な魔力を持つ故に、人に避けられ、隠れて生きてきた。だから、鳴き人を知らなくても、無理はなかったんだよ」


「だとしたら、わたしたちはどうやって、生きていけばいいんでしょうか? この子に声を出させないように生きていくのは、とても大変です。お乳をあげるのだって、怖くて怖くてたまらないんです」


 マリーヤの目に涙が溢れ、ポロリと落ちた。雫はルドルフの顔にあたり、母の涙の暖かさが赤ん坊の癇癪を沈める。それをアブラムの両親は微笑ましそうに見つめると、その表情をマリーヤにも向けた。


「ここで生きていけばいいじゃない。大丈夫、家族で手を取り合えば、鳴き人の子だって育てられるわ」


「でっ、でも奥様。この子の声はまるで大砲です。もっと力強く泣かれたら、体だって吹き飛んでしまいますよ」


「だから泣かせないように、笑わせて育てたらいいんじゃないかしら」


 アブラムの両親の提案に、マリーヤは目を点にした。すると、アブラムの父親がルドルフの顔を覗き込んできた。


「どれ、じいさんが笑わせてみようか。べろべろ、ばー」


 アブラムの両親は、それぞれ変な顔をしてルドルフの顔を覗き込んだ。ルドルフは、小さな目をいっぱいに見開くと、爺様と婆様の顔を見て、ケタケタと笑い出した。途端に、アブラムの両親も声を上げて喜ぶ。


「本当に可愛い子だこと」


「なぜ、わたしたちのような、見ず知らずの母子に、そこまでよくして下さるんですか?」


 マリーヤは戸惑いながら、マヤフスキ家の人々に尋ねた。すると、アブラムの両親は顔を曇らせた。口を閉ざした両親にかわって、アブラムが話し出した。


「うちは元々、5人家族だった。だが、戦争で兄夫婦が死んだ。兄の嫁さんは、2ヶ月後に出産する予定だったのに、な」


「産めずに死んでしまって、お腹が大きいままお墓に入ったの。それはもう、悲しくて悲しくて」


 アブラムの母親は最後まで言えずに、大粒の涙をこぼした。そして、ルドルフを抱くマリーヤの肩を抱きしめて言った。


「もうこれ以上、悲しい姿の母親なんて見たくないのよ。せっかく戦争を生き残ったのだから、あなたは、なんの気兼ねもしなくていいの。わたしたちの傷を癒すためだと思って、ここに居てちょうだい」


 それでも、マリーヤは答えを渋って俯いた。そんな彼女に喝を入れたのはアブラムだった。


「子連れで浮浪の生活なんて、子どものためになると思ってるのか?」


「でもルドルフの声は、本当に危険なんです。何もかも壊してしまいます」


「壊されようが吹っ飛ばされようが、戦争で慣れちまって、全く怖かねえよ。うちにいるのは、戦争で家族を吹き飛ばされたやつしかいねえ。今更何があっても動じんさ。二人まとめて面倒見てやるから、あんたもおれ達みたいに、腹、くくれ」


 すると、マリーヤはぼろぼろと涙を流して嗚咽を漏らした。ルドルフをぎゅっと抱きしめ崩れ落ちる。そんなマリーヤを、アブラムの両親が優しく抱きかかえた。



 こうして、マリーヤとルドルフは、マヤフスキ家で暮らすことになった。

 マリーヤはよく働くだけでなく、年老いた両親の介助も上手だった。ルドルフは時には泣いて物を破壊したが、とても大人しく愛らしい子どもだった。

 おかげでアブラムの両親は、それまで床に伏せがちだったのが嘘のように、生き生きとしだし、父親にいたっては、もう一度畑を耕すまでになった。



 しかし、ルドルフが2歳になった冬に、アブラムの母親が死んだ。流行病だった。

 妻の死を嘆き悲しんだアブラムの父親も、後を追うように、春を待たずに逝ってしまった。

 今は亡き両親の勧めもあって、アブラムとマリーヤは結婚したばかりだった。埋葬式の日、3人は並んで喪に服した。


「じっじ、なんでおはか?」


 この頃には、ルドルフが言葉を覚えだしていた。まだ死を理解してないルドルフは、祖父母となった両人の墓の前で、よくこう尋ねていた。たどたどしい喋りは、耳をすまさなければ聞き取れないほどの小声だ。それでも、ルドルフがしゃべるたびに、小風が舞い上がり、時には突風になることもある。

 マリーヤは顔を曇らせてアブラムに告げた。


「やはり、わたし、この子を連れて旅に出ます。遅かれ早かれ、きっとこの子はあなたも傷つけます」


「何を今更。あんたの家はもう此処だ。ずっと側に居てくれ。」


「正直に言います。わたし、お義父様とお義母様が病でお亡くなりになって、ホッとしてるんです」


 思いがけない妻の告白に、アブラムは目を剥いた。どういう意味かと尋ねると、マリーヤは涙をこぼしながら、か細い声で答えた。


「いずれ、ルドルフがお二人に危害を与えるんじゃないかと、ずっと心配していました。ルドルフが声で殺してしまうんじゃないかと。だから、今、その心配がなくなって、わたしは肩の荷が下りた気持ちなんです」


 最低ですよね。と、マリーヤは己を蔑みながら俯いた。


「だから、わたし家を出ます。アブラム様は、新しい妻を迎えてください」


「そんなことで、あんたらをよそに行かせたら、おれは死ぬまで両親に小言を言われ続ける!」


 アブラムは首を横に振り、険しい表情で声を張り上げた。何度も考え直すように言い聞かせ、マリーヤから罪の意識を拭おうとした。しかし、マリーヤは暗い顔をしたまま、話を切り出した。


「実は、既にルドルフは人を殺めています」


 マリーヤの告白に、アブラムは顔を引きつらせた。

 マリーヤは、戦火から逃れる最中に、敵国の兵に囲まれた時のことを話した。窮地を救ったのは、ルドルフの声だった。この子が叫び、兵たちを吹き飛ばしたのだ。

 マリーヤの話を聞いたアブラムは、胸をなでおろした。


「もしその時に、ルディが吼えてなかったら二人とも死んでたな」


「それでも、この子が人を殺めたのは事実です。この子には恐ろしい力が宿ってるんですよ!」


「だったら、もう誰も傷つかせないように、ルドルフに力の使い方を教えよう」


 アブラムが言い切った。マリーヤは酷く狼狽えてアブラムの顔を見つめた。


「出来ますか、そんなこと」


「そんな顔するな、おれがなんとかするから」


 そう言って、アブラムはルドルフの小さな頭を撫でた。




 その日から、アブラムは幼いルドルフにペンと紙を持たせ、文字を教え込んだ。日常でよく使う単語を書かせるだけでなく、家中のあらゆる物に名札をつけた。頭の良かったルドルフは、すぐに筆談を覚えていった。

 そしてアブラムは、ルドルフの声についても幾度となく話して聞かせた。


「試しに叫んでごらん」


 アブラムは、ルドルフを外に連れ出して、声を出させた。

 ここは、かつての合戦場。今は何もない原っぱだ。どんな爆風が起こっても大丈夫。そう思っていたアブラムだったが、考えが甘かった。

 ルドルフは初めて出す大声に、ドキドキしながら息を吸い込み、吐き出した。


「おかあさーん!」


 ゴオオっと轟音とともに大地が揺れた。ルドルフの叫びは、原っぱを大地ごとえぐる衝撃となり、二人は、その反動で後ろに吹っ飛ばされてしまったのだ。


「なぁっ? 言っただろう! お前は不用意に声を出しちゃいけないんだ!」


 泥まみれになったアブラムが、同じく泥まみれで擦り傷までこしらえたルドルフに言った。ルドルフは、泥だらけのアブラムを見て、顔に影を落として囁いた。


「ぼく、喋っちゃいけないんだ」


「そうだ。でも、声を正しく使えるように訓練していくぞ。父さんと母さんを怪我させたくないだろ?」


 アブラムはそう言いながら、ルドルフの泥をぬぐってやった。ルドルフは一言も喋らず、こっくりと頷いて答えた。

 それからルドルフは、口元を隠すようになった。喋らぬように意識するためだ。そして数年かけて、衝撃波の強さをコントロールする感覚をつかんでいった。サーシャが家族に加わった頃には、完全に声を操れるようになっていた。



 しかし、この頃マリーヤが変わった。

 赤ん坊のサーシャにつきっきりになり、ルドルフと関わらなくなっていったのだ。

 そして事件が起きた。

 一匹の蛇が家に入り込んだ。蛇は戸棚の中に隠れていた。蛇に気づかず、ルドルフが棚の中の物を取り出そうと、手を突っ込んだ。その瞬間、蛇が噛みついた。


「ぎゃぁっ!!」


 驚いたルドルフは、叫び声をあげて尻もちをついた。声は衝撃波となって蛇を粉砕し、戸棚を破壊した。天井の柱が折れ、壁にまで穴が空いた。一緒にいたアブラムが、とっさにサーシャを守って木屑を背に受けた。


「ごっ、ごめんなさい」


 小声で謝るルドルフだったが、その頬をマリーヤが平手打ちした。床に倒れたルドルフを、さらに叩きながら叫ぶ。


「お前のせいでサーシャが怪我をしたらどうしてくれるっ! この化け物の子めっ!」


 急いでアブラムが止めに入ったが、マリーヤはなおも、血眼になってルドルフに罵声を浴びせ続けていた。

 マリーヤは、魔力を持ったルドルフを怖がった。赤ん坊のサーシャがいるため、マリーヤの母性は牙を剥き、ルドルフを敵視し始めた。ついには、ルドルフの全てを、暴力で押さえつけようとし出したのだ。

 そしてルドルフの声も、ルドルフが成長するにつれて、ますます強力になっていく。いろいろなことが重なり、マリーヤの怯え方は激しさを増していった。


「喋るなっ! 喋るなっ! 喋るなぁっ!」


 日に何度も浴びせられるマリーヤの絶叫。それは大きな針となってルドルフの耳を突き刺さした。

 ルドルフも、自分の声に怯えた。家族を傷つけてしまうかもしれない事を恐れた。

 だからある日、舌を焼き切ろうとして、真っ赤に熱した鉄棒を口に突っ込んだ。しかし、酷い火傷は、2、3日で跡形もなく消えてしまった。それが余計に、母の心に恐怖心を植え付けたのだ。




「ルドルフ、こっちへおいで」


 ある日、マリーヤが、ルドルフを手招きした。

 母親から呼ばれることなんて滅多に無いルドルフは、嬉しさのあまり、満面の笑みで駆け寄った。だが、ルドルフの笑顔はすぐに引きつった。母親の手に握られている、巨大なハサミを目にしたからだ。

 マリーヤは、ルドルフの舌をハサミで切断しようとした。狂気じみた笑みを見せ、息子にそのことを伝える。


「大丈夫、痛いのはほんの一瞬よ。声さえなければ、わたしはお前のことも愛せるはずなの」


 笑顔で話す母を前にして、ルドルフは涙を流して怯えた。それでも、母の期待に応えるために、指示に従って口を開けた。

 すんでのところでアブラムが止めなければ、ルドルフは本当に舌を切られただろう。

 だからアブラムは、決断しなければならなくなった。


「ルドルフ、今日から、何があっても声を出さない特訓をしていくぞ」


 少年になったルドルフに、アブラムは暗い顔をして告げた。その手には木の棍棒を握りしめている。ルドルフは、黙って頷くと、服を脱ぎ捨てた。

 アブラムは、素肌を晒したルドルフの体を、思いっきり棍棒で打ち付けた。ルドルフは歯を食いしばって、痛みをこらえる。それを何度も何度も繰り返した。例え骨を折っても戦車の砲撃を受けても、痛みで絶叫しないための訓練だった。

 そしてそれを、マリーヤに見せた。母の代わりに継父がルドルフの魔力を封じ込める。その暗示だった。だから、マリーヤはルドルフに暴力を向けるな。アブラムとルドルフの、無言の訴えだった。




 ルドルフが11歳になった年に、マリーヤが死んだ。心を病んだ末の衰弱死だった。


「ルドルフ、ごめんね」


 死の間際、マリーヤはルドルフに謝り続けていた。ルドルフは黙って頷いた。


「サーシャをよろしくね」


 もうルドルフは声を出さなかった。何があっても。

 マリーヤはそれを見届けると、安心したように眠りについたのだ。

 母の葬式の日の夜、ルドルフはアブラムと一緒にあの原っぱに行き、これが最後だからと告げて、思いっきり声を出して泣き叫んだ。


「お母さんっ! お母さんっ!」


 ルドルフが声を出したのは、本当にこれが最後だった。

 本当は何度だって呼びたかったその名前を、何度も繰り返し泣き叫んだ。

 その後ルドルフは、何があっても一言も喋らなかった。

 もし声を出すことがあれば、それは。強い殺意を抱いた時だろう。

 それほどまでに、ルドルフの声は研ぎ澄まされていた。

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