第3話 市場にて


 小さな農村のセリティナ村は、のどかだがつまらない村だ。だから、たまに行商人や旅芸人が商売を始めると、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。サーシャたちが村に着くと、思った通り、いつもと違うを求めて集まった、沢山の人で大混雑していた。

 アハルテケを村の馬宿につなぐと、早速二人は市場に繰り出した。良いものを求める村人と、少しでも利益を上げたい商人との掛け合いが、

 あっちこっちから聞こえてくる。

 サーシャはワクワクしていた。


「お兄ちゃん、わたし反物屋さんが見たい。お店はどっちに出てるかしら」


 サーシャに尋ねられると、ルドルフは市場の左を指差した。さすが、朝一番に買い出しに来ただけはある。店の場所をしっかり覚えていてくれたんだ。サーシャは、るんるんとステップを踏みながら、兄と一緒に歩き出した。

 ところがその時、


「見ろよ、声なしがまた来てるぜ!」


 雑踏に紛れて、意地の悪い声がサーシャとルドルフの耳に届いた。サーシャが振り向くと、少年達がニタニタと笑いながら、ルドルフのことを見ている。こいつらは、いつもルドルフをバカにしてからかう村の悪童どもだ。


「おい! お前なんかが来ても邪魔なだけだぜ、声なし! 何にも言えないんだから、誰も相手にしないぞ!」


「そーだそーだ! 何か言い返してみろい、声なし〜!」


 悪童どもの嫌がらせに、ルドルフは顔を背けた。

 一方で、サーシャは怖い顔を悪童どもに向けると、仁王立ちで奴らの罵詈雑言を全て受け止め、倍にして返すぐらいの大声を張り上げた、。


「うるっさいわよガキどもっ! あんた達こそ、そんなところにたむろしてっ、通行の邪魔よ、消えなさいっ!」


「召使の雇い主が怒ったぞ〜!」


「召使じゃないっ! わたしのお兄ちゃんよっ! わたしのお兄ちゃんをバカにするやつは 、わたしが許さないわよっ!」


 なおもふざける悪童達に、もともと短いサーシャの堪忍袋の尾が切れた。サーシャが腕まくりをして、喧嘩腰になったとたん、悪童たちは笑い声をあげながら、散り散りになって駆け出した。


「やーい声無し! 悔しかったら文句言えー!」


「あっ、こら待ちなさいっ!売った喧嘩は最後までやれーっ!」


 歯をむき出して、悪童たちを追いかけようとするサーシャだったが、その頭に、無言のお叱りが降りおろされた。やりすぎだ。と、目で語るルドルフが、サーシャの頭にチョップしたのだ。

 サーシャは、頭をさすりながら口を尖らせた。


「なんでわたしが怒られるのよ。あいつらには一度、お灸をすえてやったほうがいいのよ」


 抗議する妹に、ルドルフは深々とため息をついて、肩を下ろした。

 声の出せないルドルフには、言いたいことの半分も伝えられない。そっけない顔をすると、ケンカはするなと言わんばかりに、妹の背中を押して無理やり歩かせた。

 だがサーシャは、わずかに先に出て歩き始めた兄の横顔をちらりと見て、笑みをこぼした。ルドルフの目元には、わずかに喜びのシワが出来ていたからだ。



 二人が気を取り直して歩いていると、サーシャの背中に、突然ドンっという衝撃がぶつかってきた。たまらず地面に膝をつくと、ルドルフがすぐに抱き起こしてくれた。


「ありがと、お兄ちゃん。人ごみに押されたみたい」


 と言ってサーシャが立ち上がった瞬間、今度はルドルフの背後に誰かがぶつかって、するりと駆け抜けていった。

 走り去った人の後ろ姿を見て、ルドルフはハっと息を飲んだ。反射的にポケットを手でまさぐるが、入っていたはずの財布がない。ルドルフは青ざめて、走りさったやつの後ろ姿を目で追うが、すでに見失ってしまった。

 ただ事ではない兄の慌てぶりを見て、サーシャも困惑した。


「お兄ちゃんどうしたの? 」


 ルドルフは切羽詰まった顔を向けると、空になったポケットをパンパンと叩き、さらに、ぶつかった人が走り去った方角を指差した。

 サーシャはキョトンとしていたが、兄の言わんとしていることを察するや否や、弾かれたように目を見開き、雷のような大声をあげて叫んだ。


「どっ、泥棒ーっ!」


 サーシャの叫びを皮切りに、買い物で賑わっていた群衆にどよめきが走った。村人たちが周囲を警戒し、隅によりだす。その間にぽっかりと一筋の道が開けた。

 すかさずルドルフは走り出し、その後を追うようにサーシャも慌てて駆け出した。だがスリを見失ってから時間が経ちすぎだ。捕まえたいとは思うが、ルドルフとサーシャの頭に諦めの文字が浮かんだ。

 その時だった。

 目の前の雑踏の奥で、潰れたような人の悲鳴が上がった。

 二人が人をかき分け雑踏の中心に飛び出すと、野次馬が取り巻いた中で、金髪の人物が、みすぼらしい身なりの男性を組み敷いていた。

 悲鳴をあげたのは、この押さえつけられている男のようだ。男はなおも威勢良く吠え続けていた。


「ひでえなっ! ちょっと肩がぶつかっただけだろうっ?」


「ああ、そうだ。ぶつかってきたのに、侘びの一つも入れない奴は気に入らん」


 金髪の人物は言いながら、男性の腕をぐいぐいと締め上げたので、組み敷かれた男は、悲痛な叫びを交えて謝った。


「すっ、すまなかった! 前をよく見てなかったんだ、許してくれっ!」


 男の断末魔のような謝罪を受けて、金髪の人物は男を締める手を緩めようとした。だが、サーシャはその男の手に、古ぼけた財布が握られているのを見つけ、慌てて待ったをかけた。


「そのまま捕まえてっ、 その人スリよっ!」


「なに?」


 金髪の人物は隙のない顔をサーシャに向け、押された男は目を剥いて青ざめた。サーシャはルドルフの制止を振り切って飛び出すと、男の手から財布をふんだくり、財布に縫い付けられている刺繍を、これ見よがしに突きつけた。


「ほらこれ、わたしのお兄ちゃんの財布の印よ! この泥棒め、観念しなさいっ!」


「どうやら本当のようだな。おい、誰か警官を連れてこい。このまま引き渡してやる。」


 金髪の人物はサーシャの言い分を信じ、野次馬の一人に命令を飛ばした。その有無を言わさぬ迫力に押されて、野次馬はすぐに警官を呼びに走った。サーシャが満足げに鼻を鳴らして胸を張ると、金髪の人は呆れたように声をかけてきた。


「まるで自分が捕まえた風に言ってるが、お前は何もしていないだろう」


 図星をつかれたサーシャは、思わず頭を掻いて笑うしかなかった。

 金髪の人物は肩を落とすと、駆け寄ってきたルドルフに目を向けた。ルドルフは金髪の人物に深々と頭を下げ、サーシャの手を取り群衆の中に連れ戻そうとした。

 だが、すぐに金髪の人物が呼び止めた。


「図らずとはいえ、財布を取り戻してやったのに、礼の一つもないまま去るとはいいご身分だね」


 その冷たい言い草に、サーシャがサッと振り向いた。


「ありがとうございました。でもすいません、兄は口が利けないんです」


 サーシャの返事に、今度は金髪の人物が顔色を変えた。


「何、それは失礼を申した。こちらこそすまない」


 金髪の人物はルドルフに軽く頭を下げ、押さえつけている男の頭をガツンと殴った。


「期様、あの男が声なしと知って盗みを働いたな。つくづく嫌らしい奴だ」


「へへ、しかし運が悪かった。まさかアンタみたいな武人がいるとは思わなかったよ」


 スリの男はそう言い残すと、やってきた警官に潔く縄を括られて連れて行かれた。野次馬たちからまばらな拍手が金髪の人物に上がったが、それらもすぐに止み、市場は元の活気を取り戻した。

 残ったサーシャとルドルフは、もう一度礼を言うために、金髪の人物に駆け寄った。


「あの、本当にありがとうございました。おかげで大事なお金を盗まれずに済みました」


 と、サーシャが言うと、金髪の人物は先ほどとは打って変わって、柔らかい笑みを見せた。


「わたしの懐に勝手にスリが飛び込んできたんだ。気にするな。それよりも」


 金髪の人物は、ルドルフに目を向けると、彼の口元を覆う分厚い布に手を伸ばし、ペロンとめくり上げた。

 ルドルフは猫のように飛び上がって仰天し、サーシャも目を点にして大口を開けた。


「ほう、いい男じゃないか。 口が裂けてるのかと気になったが、こんな男前を隠すなんて勿体無い」


「ちょっと何するんですかっ! 兄は口を出したくないから隠してるんですよっ!」


 ショックで硬直している兄に代わり、慌ててサーシャが金髪の人物の手を払いのけて叫んだ。すると今度は、金髪の人物はサーシャの顔をじっと見つめた。


「妹? それにしては平凡な顔だな」


 その言い草に、サーシャは頬を紅潮させ激昂した。


「あたしは父親似なんですっ! ほっといてくださいっ! あなたこそ、男のくせにお兄ちゃんに色目使うなんて、男色家ですかっ?」


「しっ、失礼な! わたしは女だっ!」


 今度は、金髪の人物が顔を赤くして叫び返した。

 これにはルドルフもサーシャももう一度驚き、まじまじと彼女の顔を凝視した。そう言わてみれば確かに、女性の顔つきをしている。でも目は屈強な老戦士のような威厳を持っていて、とても淑女とは言い難い。

 金髪の人物は、歴戦の兵士よろしく声を轟かせて名乗り上げた。


「名はイスクラ! そこで店を出している、れっきとした女商人だ。まったく、年頃の女を捕まえて男呼ばわりとは、なんと無礼な兄妹だ!」


「ご、ごめんなさいイスクラさん。わたしはサーシャ、兄はルドルフと言います。お詫びに、お店覗かせてください」


 買わんとぶつぞっ。とイスクラはすごんでから、兄妹を自分の店に案内した。



 イクスラの店は、彼女の見た目からは到底考えられないような、乙女趣味な雑貨が並んだ売り場だった。レースのフリルがたっぷりあしらわれた敷物や肘枕を見て、サーシャですら開いた口が塞がらない。ルドルフに至っては凍りついている。

 イクスラは二人の反応を好意的に捉えると、可愛らしい香袋が並んだカゴをサーシャに差し出した。


「オススメはこれだ。いろんな花の香を詰め込んだ香袋で、タンスや衣服の中に入れていくと、匂いが服について上品さを演出できるぞ」


「へえ、いい匂い。わたしこれとか好きだな」


 たとえ押し売りでも、女心をくすぐるものにはめっぽう弱いのが、女という生き物だ。サーシャはルドルフの存在を忘れて、香袋の香りを順番に嗅ぎだした。

 こうなってしまっては、自分の出る幕はない。ルドルフは鉛筆とスケッチブックを取り出すと、サラサラと字を綴ってサーシャに見せた。


 –おれも買い物してくる ここで待っていて–


 サーシャの元気な返事を聞くと、ルドルフはさっさと歩き出して行った。すると、今度はイスクラがサーシャに尋ねてきた。


「ルドルフは本当にいい男だな。連れて帰りたいぐらいだ。結婚はしてるのか?」


 イスクラが名残惜しそうに、遠ざかっていくルドルフの背を見て言うので、サーシャは香袋を漁る手を止めて、口元を引きつかせながら答えた。


「まだですけど。イスクラさんとは合わないと思いますよ。兄は物静かな性格ですから」


 その時、サーシャの鼻を、優しい匂いがつついた。匂いに手繰り寄せられて、その香袋を手に取ると、イスクラが言った。


「それはラベンダーの香袋だ。癒しと安眠効果がある」


「これ、今朝お兄ちゃんが市場で買ってきてくれた花の匂いと同じです」


「ルドルフにぴったりだな。ラベンダーの花言葉は“沈黙”だからな」


“沈黙”か。サーシャはイスクラの言葉を噛みしめるように、花の言葉を頭で繰り返した。そして財布を取りだすと、ラベンダーの香袋を買い取った。イスクラは満足げに微笑んで、可愛いリボンまでつけてくれた。

 しかし此の期に及んでまで、サーシャは刺々しい口調で警戒をあらわにした。


「あの、兄は若いし、結婚とかまだいいんで」


「さっきの冗談を間に受けたのか? 安心しろ、わたしもまだ男に興味などない。第一、わたしは“沈黙”が似合う男なんてまっぴらだからな」


「じゃあ、どんな男がいいんですか?」


 なんとなしに口にしたサーシャの問いに、イスクラは不敵な笑みを浮かべると、そっと答えた。


「そうだな、“鳴き人”なんて、理想的だね」


 聞きなれない言葉に、サーシャは怪訝な顔をして繰り返した。


「“なきびと”? なんですかそれ」


「聞いたことあるだろう? 満月の美しい夜になると、精霊が人里に降りて来る。 もしその精霊と人間が愛し合い、子ができたら、その子は精霊の魔力を宿した“鳴き人”になるという話さ」


 イスクラの説明に、サーシャは頭をひねって腕組みした。


「それ、おとぎ話の“湖の番人と月の妖精”ですよね。わたしも子どもの頃に母が語って聞かせてくれましたけど、でもおとぎ話ですよ? イスクラさんって、見た目に似合わず本当に乙女チックなんですね」


「見た目に似合わずってのは、どういう意味だ?」


 思わず口を滑らせたサーシャに、イスクラは目をキッと吊り上げて歯を剥いた。サーシャは慌てて笑ってごまかし、話をそらそうと懸命に取り繕った。


「どうして鳴き人の男性が理想なんですか? 魔法が使いたいとか?」


「ああ、その通りだ。喉から手が出るほど、魔法が欲しいね」


 イスクラは、ニっと方頬で笑った。

 ちょうどその時、ルドルフが買い物から戻ってきたので、サーシャはイスクラとの会話を切り上げて、立ち去ることにした。


「まいどあり」


 イスクラはサーシャに声をかけ手を振り、サーシャもそれに答えて笑顔を見せた。


「見つかるといいですね、理想の男性」


「見つけたら捕まえておいてくれ」


 最後まで恋の話は奇妙な形で終わったが、サーシャは楽しい一時を過ごせて満足だった。

 その間に、兄が何を買ったのか、全く知らずにいたのだが。サーシャは、兄と一緒に市場を巡り、残りの買い物も楽しむ事が出来た。




 ところが、問題は起きた。

 一通り買い物を楽しんで、家に帰ろうとなったところで、サーシャが思い出したようにルドルフに聞いたのだ。


「そういえば、お兄ちゃんの買い物って何を買ったの? 見せてほしいな」


 尋ねられたルドルフは必要以上にうろたえだし、必死の表情で首を横に振った。兄の焦る様子を、サーシャはほくそ笑んで見つめた。


「怪しい〜なぁ。一体何を買ったの? 見せてよ」


 さては如何わしい何かだろう。あばいて、からかってやれ。と、サーシャの魂胆は、浅はかで幼稚なものでしかなかった。

 だから、兄のカバンを無理やりこじ開けて中を覗き込み、厚い布に大事そうに巻かれた、キラキラした何かが見えた時は、驚いて思わず後ずさりをしてしまった。


「お、お兄ちゃん。それ、なんのつもりで買ったの?」


 動揺を隠せないまま、兄に尋ねるサーシャだったが、兄が答えようと、スケッチブックを手にしたとき、それを思いっきりはたき落としてしまった。

 ルドルフは目を丸くしてサーシャを見たが、サーシャは意に返さず叫び返した。


「お兄ちゃんまでわたしを結婚させる気なのっ?!」


 サーシャの言葉を聞いて、ルドルフは慌てて手を振った。説明をしようと、サーシャを呼び止めようとして腕を掴んだが、すぐに振り払われてしまった。

 サーシャは、兄に向かって罵声を飛ばした。


「触らないでよっ。お兄ちゃんもお父さんとグルだったんでしょ!裏切り者っ!」


 思いのたけをぶつけると、サーシャはルドルフの胸板をげんこつで叩いた。ドスンという鈍い音がし、兄の硬い胸板がわずかに揺れた。

 しかしルドルフは、うんともすんとも言わず、ただ、悲しげな目をしてサーシャを見ている。

 サーシャはさっと身を翻すと、一目散に馬宿に走っていった。



 市場の雑踏を押し入りながら走り、ぶつかっても謝らず、ひたすら走った。

 馬宿に入ると、アハルテケが不思議そうにサーシャを見てきた。おやご主人、お兄様は一緒じゃないの? そんな声が聞こえてきそうだ。だがサーシャは、愛馬の眼差しを無視すると、アハルテケの縄を解き、その背にまたがった。

 そのとき、厩にルドルフが駆け込んできた。サーシャはキっと睨み、怒鳴りつけた。


「お兄ちゃんなんてもう知らないっ! ついてこないでっ!」


 そして、兄を跳ね飛ばす勢いで、猛然とアハルテケを走らせた。その後ろ姿を、ルドルフは困った表情で見送るしかなかった。

 ただ、カバンの中にしまった、金の髪飾りが、一際重く感じた。


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