第八話 「お泊りの支度」








 葉月は、食い入るように作業を見つめていた。


 あれから、作業が続いている。

 直斗はちゃぶ台に古い新聞を広げ、そこに預かった本を置いている。

 周りにも新聞が敷き詰められ、あらゆるものが散乱していた。


 墨の入った硯、筆、和紙。

 他にも、糊やにかわや水の入った湯飲みなど。

 書物の修復に必要なものは、所狭しと溢れている。


 葉月はそれらを言われるがまま直斗に手渡す役で、緊張しながらもてきぱきと動いていた。

 日中に仕入れたものを片付けていたおかげもあってか、どれを渡せばいいかもすぐに分かる。

 直斗を待たせることもなく、テンポよく手伝いができていた。


 一方幹哉はと言えば、食器を片付けに行ったきり戻ってこない。

 確かにこの作業だと、直斗と葉月がいれば十分だろう。

 しかし、だとするなら葉月の方がいらなかったはずだ。


 この店は今まで直斗と幹哉だけで回っていた。

 きっとこんな依頼だって受けたことがあるだろう。

 もちろんその時は幹哉が手伝いをしていただろうし、それならば今回だって葉月である必要はない。

 むしろ直斗と幹哉の二人の方が、息の合った作業ができそうだ。


 そんなことを考えていると、葉月の目の前に手が差し出される。

 直斗が必要なものを求めているのだが、葉月は考え事をしていて何が欲しいのかを聞いていなかった。

 あたふたしながらも何か渡そうとしていると、直斗が淡々とした声で言う。


「和紙」


「あ、すみません……」


 特に怒るでもなくこちらに気を向けるでもなく、ただ淡々とした直斗の口調が怖い。

 葉月が和紙の切れ端を渡すと、直斗はすっと受け取る。

 そのまま繊細な作業に没頭し、葉月には興味がなかった。

 もちろん大事な作業をしていることは分かっている。

 葉月は自分がぼーっとしてしまったことを反省し、次はこんなことがないよう再び集中した。


 それからしばらくして、ようやく一段落したのだろう。

 直斗が筆をおくと、大きくため息をついた。


「お疲れ様」


 葉月の方を見ると、先程とは打って変わってにこりと笑ってくれる。

 それにつられるようにして、葉月もふっと息をつく。


「あの、すみませんでした……」


 葉月はそう言うと、正座をしたまましょぼんとしてしまう。

 直斗は謝罪の意図が分からず、きょとんとする。

 しかし葉月がもじもじとしているのを見て、何となく察したようだ。


「あー、仕方ないよ。こんな時間だもの」


 直斗はそう言うと、店の時計に視線をやる。

 葉月も同じく時計を見ると、深夜2時を回っていた。

 まさかこんな時間になっているとは思いもしなかった葉月は、ぎょっとして外の様子をうかがう。

 真っ暗な夜にほんのりと街灯がついているのが分かるが、歩いている人はいない。

 葉月はそこで初めて、深夜の空気が澄んでいることに気が付いた。


「後は僕だけでやるから、君は泊っていくといいよ」


 直斗の言葉に、葉月がぱっと振り返る。

 深夜の夜道を帰るのは気が引けると考えていたところの、直斗のこの言葉。

 まるでそれを見透かしたような提案に、つい直斗をまじまじと見てしまった。


「みーちゃんもそのつもりだからさ、声掛けてごらん。奥で軽い夜食作って待ってるよ」


 葉月はぽかんとしながらも立ち上がり、恐る恐る店の奥へ行く。

 すると直斗の言う通り、幹哉が簡単な夜食を用意して待っていた。

 困惑しながらも促されるままに食事を済ませると、そのまま二階へと案内される。

 角部屋に通されるとそこには布団が用意されていた。


「助かった。明日は好きな時間に降りてこい」


 幹哉はそう言うと葉月を残して、さっさと部屋から出ていってしまう。

 すぐに階段を下りる音がして、やがて静かになった。


 葉月は訳が分からないながらも布団に入り、ここまでのごく自然な流れを思い返す。

 もしかして、彼らは最初からこのつもりだったのだろうか。

 葉月に勝手場で幹哉の手伝いをさせたのも、修復を手伝わせたのも。

 今日は葉月を家に帰さないために、いろいろと用事を言い付けたのだろうか。


 そこまで考えて、葉月は昼間の休憩時間のやり取りを思い出す。


「急に内で働くことになって、ご両親はびっくりしてなかった?」


「え? あぁ、はい。大丈夫ですよ。うちの両親、朝早くに出掛けて夜は遅いですから」


「……仕事が忙しいんだな」


「そうですね。今日から二人とも出張ですし、私が働き始めたことも知らないと思います」


 それを聞き、直斗と幹哉は顔を見合わせる。

 葉月はそれに気付かず、ほうじ茶をすすって満足そうな顔をしていた。


「……そうか。じゃあ、夜は送っていこうか?」


「へ? あ、いえ! 全然大丈夫です!」


「そう?」


「はい、私は大丈夫です!」


 その後またすぐに在庫整理が再開したのだが、それにしても用意がよすぎるのだ。

 葉月の枕元には新品の下着などが入った巾着。

 その下には真新しい甚平。

 俗に言うお泊りセット的なものが完璧に備わっていた。

 もしかして、この店はそういうサービスもしているのだろうか。


 あれこれと考えることが多すぎて眠れないと思っていたが、日中のこき使われ様と先程までの緊張感。

 それによってしっかりと疲れていた葉月の身体は、次第に眠気に勝てなくなる。

 うとうととし始めた葉月は、まだ考えたいことがあるのにと思いながらも、静かに眠りに落ちていくのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る