第66話耳長族の唄 其の三
結局、ザインとギドンは本当に夜明けまで飲み明かした。ギドンが幾度も給仕のメイドに酒を持ってこさせたのだが、呼ぶ回数を重ねるごとに彼女らの顔が変わっていくのは滑稽であった。愛想笑いから徐々に飲んだくれへの非難、そして最後は化け物に怯えるかのように青ざめていたのだから。
夜明けといっても山の地下にあるドワーフの王国に直射日光は入ってこない。それでも時刻が分かるのは部屋にある機械式時計のおかげだ。ダーヴィフェルト王国において機械式時計は最新技術であると同時に途轍もない高級品である。ひ太陽の傾きで大体の時間を知る農民などは存在すら知らないだろう。ザインが知っているのは大富豪である闘技場の主・ステファノが持って自慢していたからに過ぎない。しかし、ドワーフ謹製の時計は人間のモノとは一味も二味も違う逸品だった。
「時計ってこんなに小さいものだったっけか?それに何だよこの…棒?ゆっくり回ってんのか?」
「いえ、私もこんなに小さい時計は初めて見ました。おそらくはその棒、というより針ですか?それが一定の速度で動くことで時刻を示すのでしょう。」
ドワーフの王国で造られた時計とは、ぜんまい式時計なのだ。一方のダーヴィフェルト王国の機械式時計は原始的な錘式、しかも一時間に一度鐘が鳴るだけの代物。機械工学においてドワーフは人間の数百年先の技術力を持っているのである。
「ああ、起きたのか。おはよう。」
「おはようございます。そちらは徹夜で飲んでいたのですか?」
「ああ、そうだけど?」
アンネリーゼが念話ではなく使い魔から普通に声を出したのは、既にギドンが寝落ちしていたからだ。飲み比べはザインの勝利である。勝ったはずなのだが、耳元から漂うのはそこはかとない軽蔑の視線だった。
「な、何だよ?」
「別に。どうかしたんですか?」
「あ、いや、そのぉ…何だか不機嫌な気がして…」
「あら?何か後ろめたいことがおありなのですか?」
「えぇ!?…うん、悪かった!これからは酒は控えます!」
「そうですか?」
ザインは明言していないからこそ、アンネリーゼが並々ならぬ不快感を漂わせているのだわかる。ザインも馬鹿ではないので、これ以上この話を引きずるのを避ける為、強引に話題を変えた。
「あ!そ、そうだ。あの二人はどうしてる?」
「暗殺者のお二人なら順調ですよ。このペースなら一週間もしないうちに山を下りるでしょうね。」
「そっか。」
ザインは短くそう答えたが、その目は笑っていない。生きていたし、彼らの狙いは承知の上とはいえ、刺された上に喉を裂かれた事実は変わらないのだ。
「今度会ったらただじゃおかねぇ。」
「その前に向こうが腰を抜かすと思いますけど?…誰か来たみたいですね。」
アンネリーゼの言う通り、ザインの耳にも早足でこちらに向かってくる足音が幾つも聞こえてきた。それは随分な慌て様で、王宮内だというのに走っているのと大差ない速さであった。そして足音がザインの客室の前で止まったかと思えば扉がノックされる。ザインが応えると五人のメイドが入ってきた。
「ザイン・ルクス・リュアス様。国王陛下が至急お会いしたいと仰っております。」
「解ったすぐに…」
「お待ちください!リュアス様のお召し物をご用意させて頂きました。」
「え?それはわざわざありがとう。じゃあ置いてくれれば…」
「ではお召し替えのお手伝いをさせて頂きます。失礼致します。」
「は?ちょっ!?待っ!」
あれよあれよと普段着を脱がされたザインは大人しくメイド達に従って着せかえ人形と化していた。ただ、彼の身長がドワーフの女性からは高すぎて上着を着脱させるために踏み台を使わねばならなかった。
「よくお似合いですよ。」
「…ありがとう。」
ザインが着替えた服は彼にとって初めての礼服だった。華美で豪奢な装飾が施され、体系を強調するピッタリとしたそれは体格の良いザインにはよく似合う。しかし、こういう服を着慣れていない彼の目には自分の姿が滑稽な道化にしか見えなかった。
アンネリーゼも同感らしく、使い魔から先ほどまでとは打って変わって楽しげな、それもからかうような雰囲気を感じる。ザインはアンネリーゼを意識から無理やり追い出して恥辱を甘んじて受け入れた。
「では、参りましょう。」
「ちょっと待ってくれ。俺は昨日、国王陛下に門前払いをくらったばかり。なのに昨日の今日で心変わりするとは思えない。何があったんだ?」
「私は一介のメイドに過ぎませぬ故、何も知らされておりません。」
「そうか。詮の無いことを聞いてすまなかった。では、案内を頼む。」
「では、此方へ。」
ザインはメイドのリーダーらしき人物からほしい情報を得られなかったが、これはもう一度ドワーフ王と交渉する機会である。彼は心の中で己に喝を入れ、メイドと共に部屋を出る。準備の間、かなりバタバタしていたはずなのだがギドンがイビキを止めて起き上がることは終ぞなかった。
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