第22話竜鱗の拳 其の二

 御前試合当日、闘技場は開場の数時間前から行列が出来始め、開場時には今までで最長の列を成していた。なんせ今日の御前試合では『四天剣』と『剣王』という看板選手全員が出場することが決まっている。それぞれのファンが一堂に会すれば会場動員数が過去最高になるのは当然だ。

 開会式では国王と第一王子が直々に演説し、民衆のボルテージは最初から最高潮に達している。ザインからすれば内容のない、いたずらに民衆の興奮を煽るだけの駄文だったが、大衆からすればあれで十分らしい。

 欠伸をかみ殺しながら退屈でしかない開会式が終わるのを控え室で待っていた剣闘士たちだったが、試合が本格的に開始すると皆が意気揚々と会場に向かっていった。先日と同じく、今日のような大きな試合の前日にはザインがご馳走をふるまう。今日がデビュー戦になる新入りも気合い十分だ。

 どの試合も中々見所があって盛り上がったが、終盤になるとついに『四天剣』の試合が始まった。彼等四人によるバトルロワイヤル形式の戦闘は白熱し、試合時間は一時間以上かかった。

 ある者は攻撃する瞬間を狙い、またある者は攻防を繰り返す者たちを纏めて叩き潰そうとし、圧倒的な速度で他の選手を撹乱する者もいれば、敵の攻撃を他の選手に当たるように誘導する者もいる。一瞬たりとも油断できない、観客にとっては瞬きすら惜しい激戦を制したのは人間のジョナサンであった。

 実はこの試合、真剣勝負でありながらも八百長試合でもある。国王の亜人嫌いは有名で、ジョナサン以外が勝利すれば御前試合の後に何をされるかわかったものではない。ステファノとザイン、そして『四天剣』の四人による入念な打ち合わせの下、誰も気が付かないほど巧妙な八百長試合を演じたのだ。




 実際、国王は人間の勝利を大いに喜んでいた。人間こそ至高の生物であり、亜人は歪んだ生き物だと信じて疑わない彼にとってこの結果は至極当然なのだ。


 「うむ。中々見応えのある試合であったな。あの剣闘士には何か褒美を与えるとしよう。」

 「流石は父上。素晴らしいお考えに御座いますな。そうは思いませぬか、オットー殿?」


 機嫌良さげな国王に追従するのは第一王子であるホーツェルン・ブーシュ・トイル・アジェルヴォルン。王位継承権第一位の次期国王と目される人物だ。

 性格は国王と同じく強欲で、欲しい物を得る為ならば手段を選ばない。また、自尊心も人一倍強いので、オットーが国王に就任するという市井の噂に激怒して最近は事ある毎にオットーにつっかかる面倒な男だ。


 「ええ。素晴らしい試合でした。」


 第一王子の前では迂闊な発言が出来ないオットーはなるべく波風を立てない返答を心掛けている。貴族といっても地位が低く、絢爛豪華な世界とは無縁の生活を送ってきたオットーはこういう腹芸が苦手だ。とにかく揚げ足を取られないように気をつけるので精一杯だ。


 「次は…ほうほう、魔獣同士の殺し合いか。勇者よ、あの魔獣共について説明せよ。」


 『四天剣』の戦いで荒れた闘技場の整備が終わると、東西二つの門が同時に上がって奥から次の選手たちが入場した。東門からは黒く大きな魔獣、西門からは大きな檻に入れられた十匹の紫の毒々しい大蜥蜴であった。


 「はっ。黒い三つ首の巨大な犬はケルベロスと申しまして、戦場跡などに溜まる負の魔力を犬や狼などが吸収して生まれる魔獣です。対するはヴェノムリザードという大蜥蜴の一種です。こちらは魔術を使えないので猛獣扱いですが、性格は獰猛で自分より大きな相手にも躊躇なく襲いかかります。しかも爪と牙には強力な毒があり、常に群で狩りを行う南方では湿原の王者と言われる最強格の爬虫類です。」

 「詳しいな。勇者ともなれば知っていて当然と言うべきか?」

 「討伐者として活動していたこともありますので、その時に学んだのです。」


 オットーは狩人では勝てないほど凶暴な猛獣や魔獣の討伐を専門に行う討伐者という職業に就いている時期があった。ヤムや他の仲間たちと初めて出会ったのは討伐者をしている頃だ。まだ勇者として神獣の加護を得る前の、日銭を稼がねば今日の飯にもありつけない哀れな貧乏貴族だった頃の話だが、今思えばその頃が最も楽しい時間だったように思う。


 「あのケルベロスなる魔獣は『剣王』ザイン・リュアスのペットと聞いたことがありますが、ずいぶんと大人しいですな。猛々しく檻の中で暴れるトカゲとは大違いだ。貫禄がある。」


 闘技場の中央で威嚇するでもなく檻の中を動き回る大蜥蜴をケルベロス、つまるところブケファラスは睥睨していた。その威圧感と存在感は圧倒的で、見る者全てがこの試合の結果をはっきりと察してしまうほどだ。


 「ええ。ヴェノムリザードは凶暴で危険とはいえ、それは湿原に限っての話です。ぬかるんだ泥炭地でもスムーズに動けるのが彼らのアドバンテージです。整備された固い地面の上でケルベロスに勝つのは難しいでしょう。」

 「強者の余裕というものか。余は一方的な試合は好かんのだが…」


 渋い顔をする国王に対してオットーは首を横に振る。


 「いいえ、陛下。ケルベロスの勝利は揺るがずとも、そう易々と事は運びますまい。ヴェノムリザードのチームワークは人間の比ではありません。群れ全体がまるで一つの生き物のように動くのですから。…始まります。」


 試合はオットーの予言通り、ブケファラスが終始苦戦を強いられた。一匹一匹は取るに足らないが、数に物を言わせた特攻戦法は彼を大いに苦しめる。

 ヴェノムリザードは狩りや戦闘においてこれといったリーダーを有しない。それどころか群れのボスすら存在しないという。大人の全員がリーダーであり、特攻兵なのだ。全体の勝利のために喜んで死地に自ら飛び込むことを厭わない。個を捨てる戦術にブケファラスは一方的になぶられるように見えた。


 「ガルルアアアアア!」


 確かに、ヴェノムリザードの爪も牙もブケファラスの硬い体毛に覆われた分厚い皮膚を傷つけることは出来ない。しかし、効かないとはいえ自分の動きを阻害しつつ小さな敵に群がられるのは非常に不愉快である。

 だが、一匹のヴェノムリザードがブケファラスの背中によじ登ったことが彼の逆鱗に触れた。ブケファラスはザイン以外の何人たりともその背に乗せるつもりは無いからだ。ザインになるべく本気を出さずに戦え、と指示されていたので使っていなかった奥の手を見せる決断を下した。


 「バアアアアアアア!」

 「シャアアアア!?」


 体を大きく震わせて全身にしがみつくヴェノムリザードを引き剥がしたブケファラスは、その三つ口から紅蓮の炎を吐き出す。ドラゴンの吐く息吹にも匹敵する火力の前には、ヴェノムリザードなど少し大きくて強いトカゲ程度の存在でしかない。

 十匹のヴェノムリザードの内七匹が劫火に焼かれて絶命し、残りの三匹も炎に炙られて全身を火傷している。どちらが勝者かは比を見るより明らかであろう。

 司会の勝利宣言に一呼吸遅れて歓声が上がる。ブケファラスは周囲の声など意にも介さず、消し炭にならなかった三匹をそれぞれの頭が咥えて東門に戻っていった。瀕死のヴェノムリザードがその後ブケファラスのおやつになったのは想像に難くないだろう。




 ブケファラスの戦いの眺めていた国王たちであったが、その中で一人だけ思わず立ち上がってしまった者がいた。オットーである。

 彼の知識ではケルベロスはここまで強力な魔術は使えないはずだ。成体のケルベロスが炎や雷を吐くのは有名だが、ヴェノムリザードのような大蜥蜴を瞬時に炭化させる火力を持つなど聞いたこともない。これまで戦った魔獣の中でも確実に上位に入る化け物だ。

 だが、問題は自分の仲間であるヤムがこんな化け物を使役する者と戦わねばならないという事実である。殺すつもりで戦わねば勝つことは出来ないだろうし、勝算は限りなく低いだろう。切り札を使えば確実に勝てるはずだが、それはヤムにとっても危険な賭けとなる。

 親友に危機が迫っていると確信して青くなっていたオットーに、国王は怪訝な顔を向ける。


 「どうしたのだ?顔色が悪いぞ?」

 「い、いえ。」

 「勇者殿はあのケルベロスに臆したというのですか?勇者ともあろうお方がそれでは困りますなぁ。そうは思わんか、妹よ。」

 「…。」


 この部屋にいる最後の人物にしてこれまで一度も口を開かなかったのが、アンネリーゼ・ダアル・カシュレ・アジェルヴォルン第四王女。国王の末娘であり勇者オットーの婚約者だ。

 彼女の出生については謎に包まれているが、それを補って有り余る程に美しい美姫であった。燃え盛る炎ように赤く、それでいて下品には感じない艶やかな赤い髪。妖しい輝きを放つ王家の証たる金色の瞳。白磁の如き肌に映える薄紅色の頬と唇。そしてその美貌は聖画に描かれた天使に勝るとも劣らない。

 幼さの残る可憐なアンネリーゼ姫は、兄に同意するでもなく無表情で退屈そうにぼんやりと闘技場を眺めていた。無口な彼女が返事をするとは端から思っていなかった第一王子は馬鹿にしたように首をすくめた。

 会場の整備が終わると遂に今日のラストを締めくくるメインイベント、『音速拳』ヤム・サンスと『剣王』ザイン・リュアスの試合が始まる。

 その時、感情の籠もらない彼女の瞳に熱が灯った。彼女の直感が、彼女には彼が必要であると告げる。彼女が諦めていた自由への活路をはっきりと認識した瞬間であった。

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