第21話竜鱗の拳 其の一

 剣闘士ザインの朝は早い。誰よりも早く起きて己の騎獣であるブケファラスと名付けられたケルベロスの世話をせねばならないからだ。

 ファイトマネーで購入する肉を食べさせた後、背中に乗って訓練所の外周を気の済むまで走らせる。鞍など無いので乗り心地は悪いがザインにとってはいい訓練になるのだ。

 走って体が温まったなら今度は素手のザインと運動というには激しすぎる戦闘訓練を行う。成長に従って身体能力が向上し、魔術も使いこなすブケファラスは訓練所の全域を使ってのびのびと楽しそうにザインに向かっていく。

 二人にとってはじゃれ合う感覚なのだが、『四天剣』以外の剣闘士では巻き込まれただけでも死んでしまう可能性があるほど危険な遊びである。訓練後は井戸水で汗を流した後、訓練所の端に設置されたブケファラス専用の小屋でブラッシングして毛並みを整える。これがブケファラスを従えた日から毎日欠かさずザインが行う朝の日課であった。

 帝国の剣闘士をじっくりと半死半生にした試合の翌朝、ブラッシング中のザインにステファノが声をかけた。


 「今日も早いな、ザイン。」

 「おはよ。どうしたよ、親父っさん。こんな早くから顔出すなんて珍しいじゃねぇか。」

 「偶には良いではないか。なぁ、ブケファラス?」


 ステファノがブケファラスの三つある頭を順番に撫で回すと彼は心地良さげに甘える声を出した。ブケファラスは弱者に触れられるのを嫌がる傾向があり、ザインと『四天剣』の四人以外の剣闘士には全く懐かない。しかし肉体的には剣闘士の誰よりも弱いはずのステファノにはザインと同じくらい懐いているのだ。


 「やれやれ、こんなに大きくなるとは思わなんだ。この前の試合で翼竜を喰い殺すとは計算外だったぞ。」

 「ああ。しかもその影響かはわからんが、コイツ飛行の魔術を使えるようになったみたいだ。空中を駆け回るんだぜ?今度乗ってみるか?」

 「ふふふ。底無しの強さか。お前が来てからの十年、退屈であった日の方が少ないのう。」

 「何だよ、改まって。」


 どこか遠くを見ているようなステファノに違和感を感じたザインは眉根を寄せた。ステファノは諦めたように深いため息をつくと神妙な顔でザインに告げた。


 「昨日の今日で面倒かもしれんが、お前の次の対戦相手が決まった。」

 「一週間開けずにってのは本当に久々だな。何者だ?親父っさんがそんな顔してるってことは俺でも勝てん相手か?」


 ザインの問い掛けにステファノは首を横に振った。


 「そうではない。十中八九勝てると儂は信じておる。だが、相手が相手なのだよ…。」

 「…もったいぶらずに教えろよ。」

 「相手の名はヤム・サンス。『音速拳』の異名を持つ勇者の仲間だ。」


 ブケファラスにブラッシングする手が一瞬止まり、同時にザインの顔から一切の表情が消える。これだから言いたくなかったのだ、とステファノは内心で頭を抱える。普通の人には見抜けないだろうが、ザインは勇者とその仲間の話題が上がるとほんの少しだが雰囲気が変わるのだ。

 一代で商人として成り上がったステファノは相手の感情の機微を読み取るのが上手い。そんなステファノがザインから感じ取ったのは強烈な憤怒と憎悪だ。ここに来る前に何があったのかは聞いたことは無いし聞くつもりも無いが、何がザインの感情の琴線に触れるか解らないのも事実。ステファノは生唾を飲み込むと言葉を選びながら続けた。


 「舞台は急遽催される事になった来週末の御前試合。開催の名目は次期国王の最有力候補である第一王子に戦士としての頂点を見せること…なのだが少々きな臭い。」

 「八百長でも頼まれたのか?勇者様は確かこの国の姫様と結婚するんだろ?俺は勇者とその仲間の強さを証明する当て馬ってところか。」

 「儂も最初はそう思った。勇者の関係者の強さを内外に見せつけるためではないのか、とな。」

 「最初はってことは違うんだな。」

 「左様。国王陛下の文官が持ってきた書状には全力で戦い、勝ったならばお前を召し抱えたいと書いてあった。」


 ザインはブラッシングする手を完全に止めると心の底から嫌そうな顔をしてステファノに向き直った。


 「面倒くせぇことに巻き込まれてるのは…違うな、もう巻き込まれてんだろうな。」

 「儂も情報網を駆使して探ってみたのだが、どうも陛下は本気でお前に勝って貰いたいようだ。」


 ザインは苛立ちを隠そうともせずに頭をガリガリと掻いた後、吐き捨てるように言った。


 「結局、貴族様やら王族様の足の引っ張り合いのダシにされたってことだろ。戦争が終わってすぐだってのに元気なことだな。」

 「言わずともわかっておるだろうが、出場拒否は契約違反だ。出場はしてもらうぞ。」

 「ふん。わかってるさ。」


 ザインは鼻で笑うとブケファラスのブラッシングを再開する。ステファノはザインの不快げな顔の中でその瞳に煌々と灯る光を見逃さなかった。


 (過去にどんなことをされたのか見当もつかんが、相当根が深いのだな。)


 ステファノは大きくなる一方の不安を無理矢理心の隅に追いやって、御前試合の準備に取りかかるために小屋を後にした。




 ステファノが去ってブケファラスと二人きりになったザインは、自分が驚くほど冷静でいられることに驚いていた。奴らへの復讐心を片時も忘れたことが無かったにも関わらず、頭の中にはどう試合を盛り上げるかだけがあったのだ。


 (何だ?何で俺は冷静でいられる?あの狂おしいまでの憎悪はどこへいったんだ?そして何よりも…)


 ザインは手を口元に持っていって自分の顔をベタベタと触り、自分の考えが間違っていないことを確認する。


 (何故俺は笑っている?)


 ステファノが去ってから、ザインはどうしても笑みを浮かべてしまうのだ。必死に表情を変えようとしても、笑みが顔から離れてくれない。


 「クゥ…」

 「お前は悪くない。そう怯えるな。…ああそうか!」


 自分でブケファラスをあやして初めて己が無差別に殺気を放っていることに気が付いた。そして、自分の抱く感情の正体をようやく理解した。

 それは狂喜。

 村人の、父の、そしてルクスの仇を大衆の眼前で堂々と痛めつけることができるのだ。これを喜ばずして、何を喜べというのか。

 殺してはいけないのでトドメは我慢せねばなるまいが、腕か脚の一本くらいは切り落としてやろう。心の中でそう決めるとようやく起き出した剣闘士たちを訓練すべくブケファラスに飛び乗った。


 「てめぇら!今日はハードに行くから覚悟しやがれ!」

 「「うおおおお!」」


 剣闘士ザインの一日はまだ始まったばかりである。

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