第18話

 どれくらい、そうしていたのだろう。気づけばピスカは浅い眠りに再び落ちていた。

 目を開いたとき、幾らか気分が良くなっていた。気のせいだろうか。首を巡らせると、座ったまま寝ているユイルが見えた。心配、してくれていたのだろうか。

 寝返りをうつ。いまは朝なのか夜なのか、陽の光が届かないので全く分からなかった。喉が乾いている。口の中に広がる鉄の味もなんだか気味が悪かった。飲み物は、と思って身体を起こそうとしたら、寝台の隣にある台に容器が載っていることに気づいた。

 腕を突っ張って上体を起こした。苦痛で顔が歪む。手を伸ばして容器を持った。

 父上が、置いてくれたのだろうか。そう思うとなんだか嬉しかった。

 口許に運び、ゆっくりと傾ける。痺れが這うように口内を刺激したが、それ以上に喉を潤した水はおいしかった。少しずつ、少しずつ容器を空にする。

 飲み干した時、気分もだいぶ落ち着いていた。

「もう身体起こして大丈夫なの?」ユイルの声がした。

「うん。まだちょっと痛むけど」

 両手で容器を弄る。ありがとう、と言おうと思った。けれど上手く言葉が出てこなかった。ユイルが立ち上がって近づく。そっと手が伸びた。触られるのかと思って身体が一瞬震えた。けれど期待に反して、ユイルの手は容器を掴んだ。

「入れてくるよ」

 そう言うと部屋からユイルの姿が離れていった。なにか言わなければと思った。感謝の言葉。謝罪の言葉。言わなければ、言葉にしなければいけないことは沢山あった。けれど、喉に蓋をされたように、どうしても言葉を紡ぎ出すことが出来無かった。

 ユイルが扉に手を伸ばす。と、その前に扉は開き人影が現れた。

 視線が合う。体躯が勝手に震えだした。姿が近づく。

「父上……」

 と、ピスカは声を漏らした。造られたような笑顔が向けられる。手が伸びる。反射的にその手を避けてしまった。寝台を軋ませ、端に寄って距離をとる。

「そうだ。ユイル礼を言っておくよ、ありがとう。お前のおかげで実験は想像以上にはかどったよ」

 あと、と言ってピスカを見た。

「ピスカ、今日はある実験をするから必要なものを買ってきてくれないか?」

 父上はいつもと変わらない口調でそう言った。実験。なにをするつもりなのだろう。

「待ってください。ピスカはまだ怪我をしています。代わりに僕が――」

「いいの」ピスカが遮るように言った。「わたしなら、もう大丈夫」

 まだ、父上はわたしを必要としてくれているんだ。ならわたしは、それに全力でこたえなきゃいけない。

「ピスカ、大切に保管しなさいと言っていた書物は持っているかい?」

 何を指して言っているのかはすぐに理解した。

「あれは、街から出るときに燃やしました」

 立ち上がろうとしたピスカが寝床に倒れこむ。顔を、殴られたのだ。暴力を振るわれた映像が頭の中で再生される。

「ごめんなさい」ピスカは即座に謝った。「他の人に見られてはいけないかと思って」

「私がそうしろと命令したかい?」

 ピスカは首を振った。

「なら、なぜしたんだ!」

 部屋に響く怒声。震える唇が謝罪の言葉を呟く。

「あれがどれほど大切なものか分かっているのか? 私が研究した玩具と魔術の関わりについて記した書物。それもとても重要なことをだ。それを燃やすとは、本当に使えない存在だね、お前は」

 蔑むような視線で父上はそう言った。その視線がユイルに向く。

「まあいい。ユイルを造りあげたことだけは褒めてやってもいい。さすがは私の玩具(ムスメ)だ」

 いまのは褒められたのだろうか。頬を押さえながら父上を見た。

「どうした? 主人からその働きを認められたんだ。もっと喜んだらどうだ?」

「ありがとう、ございます」

 声はまだ震えていた。父上から褒められた。ずっとその事を望んでいたはずなのに、心から湧き上がる喜びの感情が存在しないことにピスカは戸惑っていた。

「お前が買ってくるべきものは書物に書かれていたものと同じだ。覚えているか?」

 毎日のように読んでいた。それに実際に使った書物だ。内容はすべて頭の中に入っていた。

「はい、大丈夫です。でも、それを使うってことは――」

 父上の顔に陰りが出来たのを見て、ピスカはそれ以上なにも言わなかった。

「お前はただ命令されたことだけをしていればいいんだ」

 首を下げて同意を示した。父上が部屋から去る。

 あの材料を使うってことは――。ピスカはユイルを見た。父上は魔具を造るということだろうか。

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