齋王陛下との謁見

 

 齋王さいおう陛下の側仕えに案内され、陛下の執務室の扉の前までやって来た晏如あんじょたち。

 その前で瑛明えいめいは、扉の向こう側にいる部屋の主に向かって、大きく声を張り上げた。

「失礼いたします、陛下。お召しにより、第二王子・さい瑛明えいめい、ただいま参上さんじょうつかまつりました」

 ギギィ――ッと、執務室の重い扉が開く。

 陛下がいらっしゃる執務机の前まで進み出た瑛明は、その場で両膝をつき、優雅にぬかづいた。



◆◇◆◇◆



「おお瑛明。待っておったぞ」

 瑛明の挨拶を受けた齋王は、久しぶりに会った息子の方を見て、うれしそうに顔をほころばせた。 

「お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません。陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅう………」

「もう良い。さあ瑛明、立つのだ」

 お決まりの挨拶を述べようとする瑛明を、齋王は途中でやめさせた。

「感謝申し上げます。陛下」

 立ち上がるように言われた瑛明は、静かに腰を上げる。

 そこに、椅子に座っていた齋王が、瑛明の目の前にやって来た。

「久方ぶりだな、瑛明。元気にしておったか?」

「はい。おかげさまで、わたくしはもちろんのこと、白竜宮はくりゅうきゅうのみなも、日々有意義に過ごせております。陛下もお変わりないようで、わたくしも安心いたしました」

 齋王は、右手で瑛明の背をいたわるように、軽くなでながら、近況を尋ねる。

 それに、瑛明は心なしか、ほほを上気させて答えた。

 やはり、齋王陛下とその息子の王子という、特殊な親子関係とはいえ、瑛明にとって父に会えることは、とてもうれしいことなのようだ。

 二人が、お互い元気であることを、確かめた後。

 齋王が、執務室の扉付近で立礼をしたままひかえる、晏如の姿を見つけた。

「瑛明。これは…………初めて見る顔だな。もしや、おぬしが文で書いておった、ちん(齋王の自称。私、という意味)に紹介したい白竜宮の新入りの者か?」

 齋王の言葉に、はい、とうなずく瑛明。

 彼は晏如の方をふり返りながら、齋王に話しかけた。

「さすがは陛下。お目が早い、もうお気づきになられるとは。そうです。この者が、胡蝶こちょうの遠縁の者であります、寿晏じゅあんと申す者です。――――寿晏。陛下にご挨拶せよ」

 最後の、自分に向けられた言葉に、晏如は緊張気味に返事をした。

「は、はいっ」

 それから、齋王の執務室に入った瑛明がしたように、その場で両膝を付き、座って、両手を床につける。そして、額が床につくくらい深く頭を下げ、挨拶の言葉をのべた。

「齋王陛下。お初にお目にかかります。私は、寿晏と申します。以後、どうかお見知りおきを」

(…………。はっ。ま、まちがえた…………。これは、宮廷のお偉いさんや、高位貴族と会った時に使う挨拶だった…………)

 言った後に気が付いても、もう遅い。

 晏如は、今さらながら、ものすごく後悔した。

 正しくは、『齋王陛下。お初に御目文字おめもじつかまつります。先ほど、おそれ多くも殿下の紹介にあずかりました、寿晏と申す者にございます。陛下に拝謁はいえつたまわりましたこと、心より御礼申し上げます』だ。…………たぶん。

 晏如は、頭を下げ続けたこの時間が、永遠のように感じた。

 まるで、判決を待つ、罪人のような気分だ。

 そんな重い沈黙をやぶったのは、齋王の笑い声だった。

「はっはっは。よい、よい。寿晏よ、面を上げよ。そうか、そうか…………。この者が、寿晏か」

「陛下」

 どうやって晏如の失敗をかばおうか…………と考えていた瑛明は、少しばかり拍子抜けして父の方を見る。

 こんな風に笑う父を見たのは、数年ぶりだ。よほど、晏如のことが気に入ったらしい。

「ほう…………なかなかの美人だな。歳はいくつか?」

「陛下の御下問ごかもんにお答えいたします。私は、今年で十三になりました」

 晏如は、上げた顔をもう一度下げながら、齋王の質問に答える。

(よしっ。今度はお作法通り、話すことができた!)

 晏如は、心の中で大きなバンザイをした。

「そうか、そうか…………。では、瑛明と同い年だな。よかったな、瑛明。おぬしはこの者のことをどうやら気に入っておるようだし、これでやっとおぬしもご学友という存在を得られそうだ」

 ご学友、という言葉に、晏如は思わず許しもなく齋王の顔を見てしまった。

 次いで、瑛明の顔を見る。

 そういえば、忙しい日々の中ですっかり忘れていたが、胡蝶が言っていたその件は、いったいどうなっていたのだろうか、と。

「陛下。その件なのですが…………。今しばらくは、この者を女官として生活させても、よろしゅうございますか?」 

 一礼した瑛明は、父にある提案をした。

「…………なぜだ?」

 それに齋王が、少しばかり意外そうに問う。

 瑛明は、ここぞとばかりに理由を挙げていった。

「それは、この者の実家の方では、宮廷に奥付きの者として出仕していることになっているからです。さらに申し上げますと、実は、この者の家はあまり裕福ではないようで、この者が定期的に奉公に出ることで、家計を支えているようなのです。陛下が正式にわたくしのご学友とお認めになり、そのようにこの者を取り立てますと、この者の家族が路頭に迷ってしまいます」

 そこまで言うと、晏如の家族を思って、いかにも悲しそうな顔をする。

 実は、ご学友という存在は、給料をほとんどもらえない。下級女官の方が何倍ももらえるのだ。

「そうなのか、寿晏?」

 息子のそんな表情を見た齋王が、晏如にそう問いかける。

 晏如は、この際正直に話すことにした。

「陛下の御下問にお答えいたします。殿下がおっしゃったように、私の実家は貧乏です。いわゆる、名ばかりの貴族と申すものでございます。事実、私が時々近くのお金持ちの方々のおやしきに奉公に出ることによって、家計を支えております」

(…………。貧乏貴族で、悪かったな…………っ)

 神妙そうな顔をしてうつむいた晏如は、その表情の裏で、そんなことを考えていた。

 この国の頂点に立つ齋王陛下とその息子である瑛明殿下には、貧乏暮らしの苦労なんて、一生理解できないだろう。

 そんな晏如の事情を知ったからか。

「寿晏は、家族思いの良き孝行者だな。…………よかろう。瑛明。おぬしの好きにせよ」

 こう言うと、齋王はあっさりと瑛明の申し出を許した。

「はっ。感謝申し上げます。陛下」

 瑛明がお礼の言葉を述べる。

「あ、ありがとうございます。陛下」

 晏如も、頭を下げた。

「よいよい。ではもう、帰りなさい。あまりに遅かったら、白竜宮はくりゅうきゅうの者たちが、心配するであろう」

 齋王が、やさしく執務室からの退出をうながした。

 そろそろおいとましようと思っていた瑛明は、父のありがたい申し出に、素直にうなずく。

「はい。何から何までお気遣いいただき、ありがとうございます。それでは、御前ごぜん失礼いたします」

「うむ。また来なさい」

 もう一度、深く頭を下げた瑛明たちは、こうして齋王との謁見を終えたのであった。


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