謝罪


「まず初めに、あなたには謝らなくてはいけませんね」

 胡蝶こちょうは、そう言って話を始めた。

(いったい、何のこと…………?)

 晏如あんじょが不思議そうな顔をする前で突然、胡蝶は思いがけない行動をとった。

「殿下があなたに、女装を強制したことです。いかにこの宮が原則男子禁制とはいえ、だまし討ちのように突然、あのようなまねをされて、さぞ腹が立ったことでしょう。あのあと、殿下にもきつく申し上げておきましたから、どうか、許してください」

「胡蝶さま…………。頭をお上げください」

 いきなり、深く頭を下げた胡蝶に、あわてた晏如。

 彼は、すぐに頭を上げるように頼んだ。

「ですが…………」

 おずおずと顔を上げ、珍しく言いよどんだ胡蝶に、晏如は安心させるために、静かに微笑んだ。

「…………確かに、あの時の殿下のなさりようには、ずいぶんと腹が立ちました。でも、あきらめましたから」

 そう言って、晏如は両腕を広げて、自分の着ている衣を見せる。

 今日の晏如は、水色の女物のきぬをまとっていた。

 髪も、よく商家の使用人の女の子や、貴族邸宅に仕える侍女がするのと同じように結ってある。

 一応、この離宮の下級女官、という扱いになっているため、女装はするしかなかった。

 さすがに、初日に着ざる負えなかった薄桃色・花柄・フリフリの衣は、ごめんこうむりたい。あの悪夢は、二度と経験したくない。

 だが、もともと女物の衣を着ること自体に抵抗があるわけではない。だからさほど派手なものではなかったら、少しばかり我慢したら着ることはできた。

 ちなみに、晏如の今の格好は、後宮女官のまとうものとしては、かなり質素だった。

 しかし、その質素な装いのせいで、よけいに彼の美しい顔立ちが目立つようになってしまっている。誰がどう見ても、可憐な少女のようにしか見えないだろう。

 それは、晏如にとって、とってもうれしくない現実だったが、十日も同じような姿をしていたら、さすがにあきらめもつく。

「それに…………。ここのみなさんも、新入りだというのに、僕にかなり良くしてくださいます。だから、そこまで悪く思わないでください」

 実際、新人である日突然現れたような存在である“寿晏じゅあん”に対し、この宮で働く人々はみんな優しく接してくれている。

 さらに、瑛明殿下をのぞけば事実、女性しかいない状態であることを、十分に配慮してくれているのか。

 特別に小さな個室を与えてもらった。しかも、風呂つきの。

 これは、新人にしてはかなりの好待遇だ。今まで、晏如が奉公に出たおやしきの中でも、それは群を抜いている。

 このように、待遇も悪くない。

 離宮ではあるが、一応後宮女官ということになっているので、給金も言わずもがな。

 だから。

 一部のをのぞけば、良すぎる職場だった。

 これでしばらくは、万年赤字で火の車の家計の方も、大丈夫そうだ。いずれ、黒字になるはず。

 そんな、私情はさみまくりの理由だったのだが。

 よほど、晏如の対応が紳士的だと思えたのだろう。

 胡蝶は、もう一度頭を下げた。

「ありがとう…………」

「や、やめてくださいよ。胡蝶さま。それに、ここで十日ほど過ごすことで殿下のことも、何となく知ることができましたから。だから今は、怒っていませんよ」

 顔を上げた胡蝶は、最後の言葉に苦笑する。確かに、もうそんなに怒っているようには見えなかった。

 晏如は、ここに来た当初、二、三日は女装することに抵抗した。とはいっても、殿下の前で、ひたすら怒った顔をするくらいだったが。

 それでも、殿下と関わっていくうちに、この国の王子さまの苦労というものが、何となくわかってきた。

 確かに、この宮には四人ほどの女官と、三人ほどの女武官しかいない。それもみんな、二十歳以上を過ぎた女性だけだ。

 そんな大人たちにいつも囲まれて、ひと時も気が抜けないのだろう。

 まだ晏如と同じ十三歳の男の子だというのに、彼は、ずいぶんと大人びていた。

 それは逆に返せば、子どもらしいところが、まったくと言ってもいいほど見当たらないということを意味する。

 どんなときも。

 感情のすべてを、底の見えない微笑でひた隠しにし、決して声を荒げたり、泣いたりはしない。

 どんなときも。

 思わず耳を塞ぎたくなるような女官のお小言でさえ、顔色ひとつ変えることなく真剣に聞いている。

 それはまるで、都一の人形師の作品のように、心が存在しないように見えてしまう。

 だから、瑛明を見るたびに、晏如はどこか痛々しさを感じた。

 いつでも王子らしく振る舞うことを求められているせいだろか。

 喜怒哀楽きどあいらくという、基本的な感情表現さえもすることを許されていないかのように、思っているのかもしれない。

 そんな晏如の考えが、わかったのだろう。

 胡蝶はどこか感激したように、お礼を言った。

「そうですか…………。あなたが、優しい子で、本当によかった。…………ありがとう。晏如殿」

「胡蝶さま…………」

 晏如は、何だか照れくさくなって、頭をかいた。

 そんなにほめてもらったのは、久しぶりだ。

 しばらくしてから胡蝶は、こう話を切り出した。

「実は、晏如殿に話したいことは、これだけではないのです。今から私が話す話は、長くなるかもしれませんが…………。聞いてもらってもいいですか?」

「はい。僕で良かったら、喜んで」

 晏如は、力強くうなずいた。胡蝶の優しさに、触れられた気がしたからだ。

 晏如と胡蝶の話は、まだ、続く。


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