新人女官・寿晏としての生活
そんな晴れた日の午前中。
彼は、自分に任せられた仕事を黙々と行っていた。
「寿晏。そちらの方は、もうすぐ終わりそうですか?」
「
庭先の落ち葉をほうきで掃いていた晏如は、声をかけてきた上官(上司)に対し、あわてて頭を下げる。
「は、はい。ここは、あと少しで終わりそうです」
晏如の返答に、
「そうですか。では少し、休憩を取りませんか?」
「えっ?」
晏如は、何かにはじかれたように、顔を上げた。
気が付くと、建物の中から庭先におりて、自分の目の前に立っていた胡蝶の顔を見る。
そんな驚きを隠せない晏如に、胡蝶はいつもより声を落として
こう言った。
「実は…………。晏如殿に、話したいことがあるのです。だから、あなたの今日の午後の仕事はなしに、しました」
偽名の“寿晏”ではなく、本名の“晏如”の方で呼ばれた晏如は、すばやく頭を動かした。
庭先であるここでの立ち話、という風にはできない内容。つまり、他の人に聞かれたくない話だ。
それに、僕も一度、胡蝶さまとお話したいことがあった。ちょうどいい機会かもしれない。
「…………わかりました。では、どこにうかがえば、よろしいですか?」
「午前の仕事が終わり、昼食をとったあと、私の部屋に来てください。私の部屋は…………わかりますね?」
胡蝶が、確かめるように聞いてくる。
まだ晏如が宮仕えして間もないからだろう。
それに、晏如はうなずいた。
「大丈夫です。すでに、存じ上げております」
「…………そうですか。では、のちほど」
そう言って晏如に背を向けた胡蝶。
彼女は、そのまま建物の中へと戻っていった。
それを、晏如は一礼して見送った。
◆◇◆◇◆
「うわぁ…………」
その日の午後、上官である胡蝶の部屋を訪れた晏如。彼は、その部屋のすばらしさに、歓声を上げていた。
胡蝶の部屋は、使用人に与えた部屋の中でもひときわ大きかった。この離宮の女官長という地位に就いているからか、二つほどの個室を与えられているらしい。
その中の南向きで美しい花が咲く庭が見える部屋に、晏如は通された。
「どうぞ、寿晏。いつまでもそんなところに立たずに早く、こちらへ来て、座りなさい」
部屋の主である胡蝶が、庭の美しさに見とれ、出入口に立ったまま動こうとしない晏如に、晏如に入室するように促した。
「あ、はいっ。すみませんっ。…………失礼します」
我に返った晏如は、あわてて軽くお辞儀すると、部屋の中へと足をふみ出す。
それから、胡蝶に言われた席に、腰を下ろした。
「どうぞ」
胡蝶が手ずからいれてくれたお茶を、差し出される。
「あ、ありがとうございます」
それを、うやうやしくいただいた晏如は、湯のみを口元に近づけた。
「いただきます」
そう言うと、晏如はゆっくりと、湯のみを傾ける。一口一口、味わうように飲んだ。
「…………おいしいです」
晏如は、お茶を半分ほど飲むと、湯のみを目の前にある机の上に置いた。
胡蝶のいれたお茶は、文句なしに上手かった。
「そう…………。それは良かった。ほかならぬ
晏如の故郷は、龍国では五指に入るほど有名な、お茶の一大産地であった。
事実、彼の実家も茶葉を栽培する農家のようなものだ。半分は。
さらに言うと、
そのため、龍国でも茶郡産のお茶は、一般庶民から貴族に至るまで、幅広い人々に親しまれている。
そこの名家の出である晏如の舌が、相当肥えていると思われるのは、自然なことだろう。
「いいえ。それは言いすぎですよ。それよりも…………何か、大事なお話があると、うかがっていたのですが…………」
実際、そこまで高級茶に飲みなれていない晏如は、謙遜しながらも、胡蝶に、話の本題に入るように促す。
「そうですね…………。では、そろそろ、話を始めましょうか。晏如殿」
それまで、立ったまま晏如を客としてもてなしていた胡蝶。
彼女は、ここで初めて晏如と机をはさんで向かい合うようにして、座った。
晏如は、胡蝶と正面から向き合う。
すると胡蝶は、今まで穏やかに微笑んでいた時とは一転して、まじめな顔つきになった。
そんな女官長の風格を肌で感じた晏如は、ゴクリとつばを飲んだ。背筋をしっかりと伸ばす。
風が、庭の花をゆらした。
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