第34話.了
学園祭当日。
昨日の屋上の件で、再びこっぴどく教師のお怒りを受けたケイとヒロ。無論、真相は話していないので、怒られた理由は屋上にのぼったことについてである。
しかし、本当に怖いのは教師の怒りではなかった。
立ち入り禁止とされた屋上に再び上り、あまつさえそこから落下。そのことが母のミツコの耳に入り、彼女は父のところから飛んで帰ってきたのだ。そして一も二もなく怒声。過保護な分、怒ることなど極端にすくない母がここまで怒るとは、と物珍しく思っていたケイだったが、その次には自分の過ちを理解した。母の怒声に、泣き声が混じり始めたのだ。母の泣き顔。おそらくは初めて見る顔。そのことが、ケイにこれ以上とない反省を促した。自分はしてはいけないことをした。母を泣かせてはいけない。そう心に言い聞かせた。
そしてそれはヒロも同じだったようで、今までヒロに遠慮していたカオルだったが、今回の一件に関してはそんな遠慮を封印。きつくヒロを怒鳴りつけたという。
――初めてだった。カオルさん、すっごく怖かった――
そう感想を洩らしたヒロだったが、顔は嬉しげであった。
その理由をケイは聞かない。
無粋以外の何者でもないからだ。
「さて、これからどうするかな」
教師から言い渡された反省文を書き終えたケイは、教室から出て学園祭で賑わう校内を見渡した。誰もが陽気に笑っている。昨日の事件などなかったかのようだ。
「ま、そりゃそうだよな」
むしろ知られていた方が問題だ。
――あいつって昨日屋上から落ちた奴じゃね?――
なんてことを陰で囁かれるくらいなら、現状の方が遥かに望ましい。
ケイはそんな校内を漫然と歩きながら校庭へと出た。そして自身のクラスの出し物である屋台の所へ。おそらくはみんなで作ったであろう『唐揚げ串』と書かれた看板。それを掲げたテントの下、クラスメイトが客引きをしていた。
そこにやって来たケイを見つけるや、クラスメイトは言うのだ。
「お、藤崎。なんか買ってけよ」
「なんかって、唐揚げ以外に何かあんのかよ」
「ジュース。缶ジュースがあるぜ。ほら、すっげえ冷えてる。一〇〇円」
「いや、これってスーパーで三、四〇円で売ってるやつじゃん」
「馬鹿。こういうのは雰囲気なんだよ。縁日でも、何でこれがこんなに高いんだよって思う物があるだろ? でも誰も文句を言わない。それは雰囲気が大事だからだ」
「ああ、そういうのはあるかもな」
完全に納得できたわけではないが、まあそれも一理あるかもな、とケイはジュースを購入。その場で飲み始める。そんなケイにクラスメイトは語り掛ける。
「知ってっか、藤崎。昨日の放課後、誰かが屋上から落ちたんだと」
「へえ、そうなのか」
内心、それは俺だよ、と言っておく。
「なんでも男女で落ちたらしい。噂だけどよ、学園祭を目前に控えての告白の結果、実らなかった方が自殺を試み、断った方が止めようとして、誤って落下って話だぜ」
そこで別のクラスメイトが割って入ってきた。
「俺が聞いたのは、それとは別だったぞ。いや、男女が落ちたってのは同じなんだけどな、ただ内容が違うんだ。なんでも男が女を襲おうとした結果、落ちたってよ」
「うわ、マジで? 最低じゃん、その男」
目の前、目の前。ここに最低男がいますけど、なにか?
ケイはふっと笑いを零す。
「なんだか色々とあったみたいだな」
「そうそう。とりあえず落下事故があったって話なんだよ。でもやっぱり、俺は告白が正解だと思うね。なんせ、学園祭前日よ。こういうイベント事のたびにさ、これ見よがしにカップルが出来んじゃん。きっとそいつらも同じだって。ああ嫌だ嫌だ。やっぱり男は愛情よりも友情だよな。なあ、藤崎」
「ん? まあ、そういう考えもあるかもな」
とそこで、ケイは後ろから呼ばれた。
ヒロだった。
「ねえ、ケイ。一緒に回ろう」
「おう、そうするか」
そしてケイはヒロと手を繋ぐ。
それを見てクラスメイトが言うのだ、震えた声で。
「お、おい。藤崎、それはどういうことだ」
「ん、どういうことかって? そりゃあ奥さん、こういうことだよ」
ケイは「幸せのお裾分け」と飲みかけの缶ジュースをクラスメイトに手渡し、高笑いを残して去っていく。背後では「要るかこんなもん!」というクラスメイトの声。続いて怨恨の込められた罵り。しかしケイは意に介さない。むしろ心地よい。
何故なら、今からヒロと二人で学園祭を回るのだ。
そう。ようやく実ったこの愛を存分に満喫するのである。
「え? 二人じゃないけど」
「……はい?」
ヒロの言葉に首を傾げたケイは、次に彼女の視線の先を追った。
そこではキイチとスミレ、そしてミカの三人がホットドッグを頬張っていた。
「あ、そういうことね……」
若干、残念なきらいはあるが、まあ二人の愛情はゆっくり育んでいけばいいかと思い直す。
視線の先で、キイチがケイとヒロに気付く。それに続いてスミレとミカも気付く。三人は手を振っていた。それにケイとヒロも返す。
ふと、繋がったヒロの手に力が込められた。
ケイはその手を見て、それからヒロを見た。
彼女がにやりと笑う。
「ねえ、ケイは私のこと好き?」
また唐突なことを……。
ケイはため息をつく。
「ああ、好きだよ」
この女、なんど同じことを言わせるのだ。
そう思いながらも答えてしまうあたり、自分はどうかしている。
そんなケイにヒロは言った。
「私も、ケイが好きだよ」
「――ッ」
一瞬で体温が上昇。背中に汗が滲み出る。
言い慣れてはいるが、言われ慣れてはいない。
ヒロはそんなケイの様子を見て、ケラケラと笑った。
どうやらからかわれたらしい。
「でも私、本当にケイが好きだよ」
「ああ、そうですか」
ケイは捨て鉢にそう言い放ち、そっぽを向く。
「嘘じゃないよ。だからお母さんに会ったら、絶対にケイのことを話すんだ」
「こんな時にまで、死んだ時の話かよ」
「これが私の初恋の人ですって紹介するの。だからケイ、一緒の世界に行こうね」
「だから死んだ時の話はやめてくれない?」
「あはは。……ねえ、ケイ」
「なんだよ」
「もしも私がまた間違ったことをしようとしてたら、その時も止めてくれる?」
「……」
ケイはふたたびヒロを見やる。彼女は真剣な表情で見詰めてきていた。
だから真剣に答える。答えなくてはならない。
「止めるよ。何度でも正してやる」
間違った道を選んだならば、きっと周囲が正してくれる。
友達が、家族が、恋人が止めてくれる。
そう信じればいいのだ。
そしてケイは続けて言った。
「その代わり、俺が間違ったことをしてたら、お前が俺を止めろよ」
するとヒロは嬉しそうに答えるのだ。
「殴ってでも止めてあげる」
と。
ケイは苦笑し、お手柔らかにお願いしますと頭を下げる。
ヒロは自信満面に任せなさいと自身の胸を叩いた。
そんなところで、ケイはずっと釈然としなかったことを問うことにした。
「なあ、ヒロ。ひとつ、どうも納得できねえことがあるんだけど、聞いていいか?」
「いいけど、なに?」
「ミカのことだ。お前はミカを映画撮影に巻き込んだわけだけど、やっぱりあれって偶然に頼りすぎてる気がするんだよな」
もしもミカが屋上で自殺しようとするスズを発見していなかったら?
もしもミカが意を決して屋上の会話に割って入ってきていたら?
もしもミカがスズにすべてを問い質していたら?
これらすべてを偶然にもクリアしたとしても、きっと色々と問題は残っているはず。しかしミカはヒロの思い通りに動き、結果として現在の位置にいる。
「やっぱり都合よすぎるというか、思い通りに行き過ぎなんだよ。お前、本当にこれを初めから想定してたのか?」
後付けで想定どおり、と言っているのならば理解できる。しかしそうだとすると、今度はヒロの自殺計画の方で不都合が出てくる。
ゆえにケイにはわからなかった。
偶然か、必然か。
想定どおりなのか、後付けなのか。
どちらかが嘘でも矛盾は生じてしまうジレンマ。
考えているだけで頭が混乱しそうである。
するとヒロはくすくすと笑い出した。
「なに笑ってんだよ」
「だってケイには最初に言ったじゃん」
「なにを?」
「じつはね、私、未来が見えるの」
「……」
その答えにケイは疑問のすべてを飲み込むと、額を押さえてため息をついた。
それは昨日に自分の口で否定したことじゃなかったか?
まったく、どちらが本当で、どちらが嘘なのか。
また、本当に未来が見えるのか、それともただの出任せなのか。
それは知らない。
だけど、今は未来が見えると信じてみるのも悪くない気がした。
信じるだけで疑問は解消してしまうのだから。
だが、そうなると新たな疑問が浮かんでくる。
果たしてヒロは何処までの未来を見通していたのだろうか。
藤崎ケイが屋上から落ちる芳野ヒロの腕を掴むことを知っていたのか。
水瀬ミカが垂れ幕を利用して助けてくれると知っていたのか。
疑問を解消しようと考えれば考えるほど疑問が浮かんでくるパラドクス。
ならばどうする。
ケイは空を見上げる。
天候は晴れ。
周囲は学園祭の陽気。
その陽気には笑顔がよく似合う。
だからケイは笑う。考えることはひとまずやめて笑う。
未来のことなど知らない。
わかっているのは、いま初恋の少女と手を繋ぎ、同じ道を進んでいるということ。
間違ったらお互いに正し合って、そして進んでいくこと。
向かった先に、幸せな結末が待っていることを信じて彼女と歩いていくこと。
そんな将来にすると心に決めたこと。
今はそれだけわかっていればいいと思った。
/
これにて了となります。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
なお、この作品のコンセプト等は「近況ノート」にて記載しようと思います。
馬鹿と煙は屋上にのぼる 田辺屋敷 @ccd
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