第21話.4-2
やや時は遡り、ケイが校門でミカと別れて帰宅した後のこと。
ケイは母親に出掛ける旨を伝え、制服のまま外出した。目的はスズを見つけること。しかし空がすっかり夜となった頃、ようやく事の無謀さを自覚した。
一介の学生では、目的の人物ひとり見つけることすら叶わないのだ。
ひとまず休息しようと、ケイは勤め先のコンビニに立ち寄った。客と同じく表から入ると、勤務中の城山がいた。ケイは適当な挨拶を交わし、レジでホットレモンティーを購入すると、そのまま店外へ。そして店先でレモンティーを一口。ついでに気疲れした吐息を洩らす。
果たして鹿島スズはどこにいるのだろうか。家に帰ったのだろうか。もしもそうならば良いのだが、どうも不安で仕方がない。
事態が急変したのはそんな時だった。
不意に横から誰かにぶつかられたのだ。いったい誰だとその人物を見やる。相当に急いで走ったのか、膝に手を当てて屈み、肩を上下に大きく揺らしている。息遣いが激しい。そんなところで、その人物がスミレだと気付いた。
「どうした?」
問い掛けるが、上げられたスミレの顔を見て、尋常ではないと気付く。
「ケイ、助けて。だれかに、付けられてるの」
呼吸が整わず、切れ切れに話そうとするスミレ。動揺が極まったような声。
彼女の不安定な表情に呼応するようにケイの鼓動が荒れだした。
「付けられてるって……。よくわかんねえけど、とりあえずこっちに来い」
ケイはひとまずスミレを安全な場所に移動させようとコンビニの事務室へ連れていくことにした。城山にはどうしたのかと聞かれたが、適当な言葉で誤魔化し、スミレを事務室で休ませる旨を伝えた。
そして椅子に座らせてしばらく休憩させると、ようやくスミレは話し出した。
いったい何があったのか、そのすべてを。
それはケイ達の知らないところで起こっていた。
毎朝、スミレは自宅を出ると、一定の警戒心をもって郵便受けを開ける。すると案の定、中には一通の封筒が入っている。それをポケットに収め、学校へ。それから数分、自宅が見えなくなったところで、先ほどの封筒を開く。中には手紙。差出人不明のそれはここ最近、毎日のように投函されている。切手が貼られていないので、本人が郵便受けに直接投函しているのだろう。内容がいつも似通っているので、おそらく差出人は同一人物と思われる。文面も、いつも似た様子である。
キーワードを抜き出すと次のようになるだろうか。
『好意があります』『いつも見守っています』
ポジティブに捉えればラブレターだろう。しかし、とてもそういう風には受け止められなかった。仮にこの手紙が恋心を伝える物ならば、何故に差出人は名前を記さなかったのか。また、接触を試みるための期日が記していないのはどうしてなのか。以上の要素からして、これはラブレターではない。つまりは一方的に感情をぶつけられているのだ。そのことが何よりも不気味。たとえ相手がこちらに「愛情」を向けていたとしても、それはただの独りよがりで、きっと歪んでいるから。
ならば、誰かに相談すればいいのに。
そう頭で思いながらも、誰にも心配を掛けたくないと考えてしまう。
ふとスミレは曲がり角を曲がる際、横目で来た道を確認。ずっと後方に人影がひとつ。距離があって何者なのかは判然としないが、それはここ数日、毎日いる。そして一定の距離感を保ったまま付いてくるのだ、その手にハンディカムを持って。
そして一〇分ほど前のことである。
予定を変更したいと言ったキイチと別れたスミレは、仕方なく帰宅しようとした。
住宅街。辺りに人の気はなし。
奇妙な静寂を感じたスミレは、そのとき、言い様のない視線を同時に感じた。
背筋をなぞられる、気味の悪い視線。鳥肌が立つその視線には覚えがある。ハイエナが草食動物をしつこく追い回すような、粘着質な視線。
スミレが恐る恐る後ろに振り返ると、住宅の塀の陰にその人物はいた。
ごくりと生唾を呑む。
大丈夫。いつものことだ。きっと何もして来ない。ここ数日続いているが、いつもあの距離以上は詰めてこないじゃないか。
だけど、今日は、なぜか、普段よりも距離が近い…………いや、近付いて来てる!
普段は一定の距離を保ち、電柱や曲がり角の陰に隠れてひたすらこちらを監視し続けていた人影。それが今日に限っては、その距離を無視して近付いてきている。
血の気が引いていくのを感じた。
きっと勘違いしていたのだ、あの人はこの距離を詰めてこないものだと。何の保証も無いのに、それが絶対的なルールだと勘違いしていたのだ。
スミレはじりっと後退り、気付くと駆け出していた。
まるで津波に追われているような、背後から感じる緊迫した空気。
ここから近い避難所は何処だろうかと走りながら思案し、ふとケイが働いているコンビニを思い出した。
あそこは、ここからそう遠くない。ひとまず向かおう。
そうしてスミレは現在に至ったのである。
「なんだよ、その話……。なんでもっと早く言わなかった! いつからだ! いつからそんなストーカー野郎に付き纏われてた!」
「キイチと情報収集に出た頃からだったと思う。その頃から、変な手紙が届くようになって……」
「変な手紙?」
「そう。それと同時に、朝とかに付けられるようになって……」
不意に、裏口のドアがカンッと甲高い音を鳴らした。
スミレがびくりと体を浮き上がらせる。
ケイは警戒しながら裏口のドアを開け、辺りを見渡した。遠くに、走り去る自転車の姿があった。おそらくあの自転車に轢かれた小石が吹き飛び、裏口のドアに当たったのだろう。そう結論を出しながらも、ケイは念のためにドアの鍵を閉めた。
スミレは手の平で顔を覆い、肩を小刻みに震わせていた。泣いている。怖い想いをしたのだから泣くのも仕方ない。そう考えていたケイだったが、スミレがただ泣いているのではないと気付く。ごめん。ごめんね、ケイ。何故か謝られていた。
「なに謝ってんだよ。べつにお前はなにも悪くないだろ」
「ううん、違うの。違うの、ケイ」
「なにが違うんだよ」
「嘘をついてたの。私達、ケイに隠してたの」
「……はあ?」
スミレにとって、すべてが限界だった。
友人の死、友人の殺人意志、友人への嘘と隠し事、そしてストーカー。これらすべてを抱えたままでいるのは、もはや三木スミレの許容量を超えてしまっていたのだ。
その無理をしたはけ口として涙が溢れてしまった。
そして涙と同時に、スミレはケイにすべてを打ち明けていた。自分達の考えを、ケイを人殺しにしないために嘘をついていたことを。
黙って聞き入るケイ。
すべてを話し終えたスミレは、そのまま謝り始めた。
「ごめん。ごめんなさい。私……」
「なんで……」
ケイは遣る瀬無い気持ちで苦虫を噛み潰した。
「……なんでもっと早く言わねえんだよ」
「ごめん、なさい……」
「ちがう。そうじゃねえよ」
ケイは自分でも何を言っているのかわからなかった。でも、口をついて出てきた。
皺の寄った眉間を手の平で押さえ、舌打ちをする。
スミレは悪くない。むしろ悪いのは自分だ。
藤崎ケイは、少なからず三木スミレを追い込んでいた一人なのだ。
謝らなくてはならないのは、彼女ではなく自分だ。
ケイは戒めを込めて自分の頭を殴りつけ、椅子に座るスミレの前に屈み込んだ。
「スミレ、ごめん。そして安心してくれ。俺、もう犯人を殺そうなんて考えてねえよ」
彼女の震えが止まり、手の平が顔からすこしだけ外れる。潤んだ瞳が見えた。
「……本当に?」
「ああ。俺、わかったんだ。俺が人を殺すなんて言ったことで、どれだけみんなに心配を掛けてたか。なのに、それを伝えるのが遅くなって、ごめんな」
ケイは微笑みかける。
スミレはしばらく唖然とした後、涙目ながらふっと鼻を鳴らした。
「ケイ、馬鹿じゃないの?」
「そんなこと、前々から知ってるだろ?」
スミレは笑った。安堵したように、くすくすと笑った。
ケイは立ち上がる。
「ストーカー野郎がいるか、ちょっと周囲を見てくる。お前はここにいろ」
スミレはすこし戸惑った様子を見せたが、すぐに頷いた。
ケイはそれを確認した後、表の出入り口から外へと駆け出したのだった。
ケイが事務室を出ていってから程なく、裏口のドアノブががちゃりと回った。
突然の音の侵略者にスミレの体は浮き上がる。
しかし鍵は閉まっていたので、それで開くことはなかった。
従業員が来たのだろうか。スミレは目元の涙を拭って裏口のノブに手を掛ける。が、そこで思い留まる。
もしかしたらストーカーかもしれない。でも、ストーカーは私がここに居ると知らないのではないのか。いや、私がこのコンビニに入っていくところを見ていたのなら、私が事務室に居るのは容易に想像できるか。
スミレはドアを凝視したままスッと後退った。
すると次は鍵穴にキーを差し込む音。それからがちゃりと開錠の音がした。
やっぱり従業員か。
スミレの足が、開錠の音に応じて前に進みだす。決して安心したわけじゃない。ただこのとき、スミレは安心を求めた。不安で不安で、誰か側にいてほしかった。だからその開錠の音は、心を開くように染み込んだ。その音に安堵を求めた。
スミレが見詰める中、向こう側からドアが押され、ゆっくりと開放されていく。いったい誰だろうか。不安と安堵の相容れない感情を心に潜ませ、開いていくドアの向こうへと目を向け――そして自分を付けていた人物と同じ服装の男を見た。スミレは体当たりする勢いで咄嗟にドアを閉めた。が、男の足が隙間に差し込まれ、それを拒む。それでもドアを押して男を拒絶。しかしドアに挟まる足がにじりにじりと侵入。スミレは遂にドアを閉める力を解き、店内へと駆け出した。だがその瞬間、背後から二本の腕が絡まってきて、床に押し倒される。上から圧し掛かる男の体重に肺の空気が吐き出され、思わず咳き込む。その口に、男の大きく分厚い手の平が覆い被さった。
「騒がないでよ、スミレちゃん。ねえ?」
笑いの滲んだ男の声が、スミレの耳元で繰り返し流れていた。
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